平成23年編P-5
fc5web

武藤翔峰さんのホームページ

武藤翔峰の部屋 P-6(fc2web)

バックナンバー

平成17年以前P-1(fc2web) 平成20年までP-2(fc2web) 平成21年P-3(fc2web) 平成22年P-4(fc2web) 


P-5 プログラム

第33回トルコ・ユーラシアマラソン
第15回犬山城⇒郡上八幡城56kmマラニック
白山天空マラニック
第25回ミッドナイトサンマラソン
2011年ロサンゼルスマラソン
渡辺富夫さんフル100日完走
100連日走の世界記録を達成




平成23年10月25日掲載

第33回トルコ・ユーラシアマラソン

投稿者:翔峰 投稿日:2011年10月24日(月)19時00分13秒
こんにちは、翔峰です。大地震の起きたトルコより、無事帰国しました。
平成23年10月16日(日)第33回トルコ・ユーラシアマラソンに参加してきました。この大会はフルマラソン、15km、8kmファンランのほか、タイムや順位を競わない8kmフリーファンランの計4種目があり、110,000人の参加でした。フルには、8,817人が走りました。いずれのコースも、トルコ最大の都市イスタンブールのアジア大陸側からスタートし、美しい街並みを駆け抜け、ボスポラス海峡を挟んで2つの大陸をつなぐボスポラス大橋をヨーロッパ大陸側へと渡ります。フルマラソンと15kmのコースは、アヤソフィアやブルーモスクが点在する歴史地区を抜け、スルタンアフメット地区のヒポドローム広場でゴールを迎えます。
スタート地点に並んでいるとき日本の吉田さんと一原さんにお会いしました。雲峰さんをよくご存知でした。福島の大森さんと鶴岡100kmの菊池さんは別の場所にいてお会いできませんでしたが、大森さんは第一の折り返し後のすれ違いでお見かけしました。
私は世界8大陸目の367回目を6:08:12で無事完走、400回目のフルマラソンを赤道のどこかの大会で完走し、地球上の3極点、南極、北極、赤道のフルマラソンを完走するのが夢です。夢は夢を呼ぶ、夢を持てば人は輝く、夢は生きる喜び………これからも無理せず、楽しんで走り続けたいものです。

  


イスタンブール

投稿者:翔峰 投稿日:2011年10月24日(月)19時06分19秒
今回も自由気ままなひとり旅で、ゴール地点に近い旧市街のユースホステルに泊りました。
イスタンブールはアジアとヨーロッパの2つの大陸を隔てるボスフォラス海峡にまたがっており、よく言われる「東西文化の分岐点」という言葉がまさにぴったりなエキゾチックな都市です。1600年もの間、ビザンチン帝国、オスマン帝国という巨大帝国の首都、世界の中心として栄華を極めました。マラソンの前後には、これら世界遺産に登録されているビザンツ時代を代表する建築のアヤソフィアとその向かいに鎮座する優美な姿のブルーモスク、オスマン朝歴代スルタンの居城のトプカプ宮殿、世界中の物資が流通したグランドバザールやエジプシャンバザールを訪れ、また、ボスポラス海峡クルーズに乗船したり、やガラタ橋のたもとでこんがりと焼き上がるサバサンドを食べたり、世界の若い女性たちとインターナショナルフレンドシップを育んだり、たっぷりとトルコの良さを堪能しました。

アメリカの大学に留学中のロシアの女性  


世界遺産カッパドキア

投稿者:翔峰 投稿日:2011年10月24日(月)19時09分15秒
トルコ、アンカラ東南部にある世界遺産カッパドキア。まるで地の果てを思わせる不思議な奇岩群がひしめきあう風景は言葉を失うほどの迫力です。古代噴火によって堆積した火山灰や岩が長い歳月をかけ浸食されて生まれた風景です。地下8階にもなるという迷路のような地下都市デリンクユ、未だ研究が続けられている地下都市カイマクル、岩窟教会を博物館にしたギョレメ野外博物館などが見どころです。 幽霊の出そうな“妖精の煙突”、のすべてが、この世のものとは思えない現実離れした雰囲気に包まれています。カッパドキアのこれらの奇岩には、円錐型、尖頭型、円柱型、キノコ型、帽子をかぶっているように見える形のものまであります。レースの後、イスタンブールから3泊4日のカッパドキアツアーに出かけ、洞窟ホテルに泊り、奇岩類を堪能しました。一人旅も自由、気ままで楽しいものです。

  ユーラシアマラソンで出会い、カッパドキアでも会った韓国の女性


ひとり旅

投稿者:翔峰 投稿日:2011年10月25日(火)10時07分20秒
カッパドキアツアーガイドのトルコ女性私のひとり旅は、ユースホステルに泊り、食料は日本から持参して自炊する節約の貧乏ひとり旅です。自分の好きなところに好きなだけ、自由にのんびりと過ごしています。パッケージツアーのように自分の自由を拘束されないので、自分の思うままがままに行動できるのが好きです。時には、ひとり旅同士が意気投合し、自分の境遇、計画など話し合い、情報交換などします。数ヶ月かけて南アメリカ大陸を回り、トルコにやってきた若い女性、ケープタウンからトランジットでトルコに来た若い女性、モロッコで楽しい経験をした若い女性、そんな人たちの話を聞いていると私のモチベーションも高まります。

 ★ 古稀となり夢とロマンと恋求め自由気ままな夢ひとり旅  翔峰

仕事を辞め次の仕事までの間、数ヶ月世界を放浪中の韓国女性 マラソンの応援に来ていたトルコ女性
写真をポイントすると女性の国籍が判ります


写真のアップ

投稿者:翔峰 投稿日:2011年10月28日(金)10時33分34秒
こんにちは、翔峰です。
先日参加した第33回ユーラシアマラソンとイスタンブール、カッパドキアのひとり旅のスナップ写真をこちらにアップしました。
ちょっと枚数は多いのですが、「息を呑むような絶景」とはこのような絶景をさすのでしょうか?

http://mutotoho.digi2.jp/isutanbul/isutanbulmarathon.html

ご覧いただければ幸いです。
明日から大阪マラソンに出かけます。



このページのTOPに戻る



平成23年8月13日掲載

第15回犬山城⇒郡上八幡城56kmマラニック

投稿者:翔峰 投稿日:2011年 8月29日(月)12時44分25秒
こんにちは、翔峰です。
8月27-28日、恒例の真夏の祭典、東海マラニック呼びかけの第15回犬山城⇒郡上八幡城56kmマラニックが行われ、1泊組18名を含む40名(フル百6名)のランナーが参加しました。
東海マラニッククラブ(TMC)マネージャーの木下さんは、最近少し体調を崩され、ここ3ヶ月間の例会はお休みとなっていましたが、今月から元気に復活され、皆さんの大歓迎を受けました。
スタートこそ曇り空で走りやすかったのですが、すぐに真夏の太陽が照り付け例年通りの厳しいマラニックとなりました。
郡上八幡到着後はお風呂で汗を流し楽しい宴会のあと、早速郡上踊りに参加しました。
今日は新町通りでの踊りとあって一段と風情も深く楽しい一夜を踊り明かしました。
翌日は、大和温泉まで10kmの朝練を行い、途中造り酒屋の日本酒の試飲でふらつきながら走り、大和温泉で汗を流し生ビールでのどを潤しました。
木下さん、本当に復活おめでとうございました。これからの例会が楽しみです。

こちらに写真をアップしましたのでご覧いただければ幸いです。
http://mutotoho.digi2.jp/first/15gujoun.html


  


このページのTOPに戻る



平成23年8月13日掲載

白山天空マラニック

投稿者:翔峰 投稿日:2011年 8月11日(木)19時39分46秒
こんにちは、翔峰です。
8月7日-9日、白山に行ってきました。白山は、50年ほど前、学生アルバイトとして、皿洗い、室掃除、ボッカ、ガイドなどしていた懐かしい山です。
今回はテント泊のため、テント、シュラフ、食料、着替え、炊事道具など一式を担いでの山行でした。テントは、ダンロップのXG-126、1人用ゴアテックステントで約1.5Kg、
シュラフはモンベル(mont-bell) のU.L.スーパースパイラルダウンハガー♯3 バルサムで約600gで、いずれも軽量がセールスポイントです。
天気予報は晴れ時々曇りだったにも拘わらず、すごい土砂降りとなり甚之助避難小屋に逃げ込みました。
しばらく1時間ほど様子を見ていたら雨も上がったので、再スタート、砂防新道分岐で右に行き、4時ころに南龍が馬場に到着しました。
夜中に再度土砂降りの雨になりましたが、さすが、ダンロップのゴアテックステントだけあって、全く雨に対して問題はなく、また、モンベルの軽量羽毛シュラフは暖かく、十分に休めました。
白山は高山植物の宝庫で、写真も沢山撮れました。
こちらに写真をアップしましたのでご覧いただければ幸いです。
http://mutotoho.digi2.jp/2011hakusan/11hakusan.html

  

  


このページのTOPに戻る



平成23年7月3日掲載

第25回ミッドナイトサンマラソン


雲峰さん、こんにちは、翔峰です。

平成23年6月25日(土)北極圏・ノルエー、トロムソで第25回ミッドナイトサンマラソンが行われ、梅田さんご夫妻など総勢27名の翔峰エコツアーの皆さんが完走されました。

梅田展子さんはフルマラソン100回達成、ご主人の修正さんはすでに100回達成済みのため、ご夫婦でも100回達成となり、日本人3組目の快挙となりました。

 

一日中太陽の沈まない白夜のなか、アーリースタートで夜7時半(ノーマルスタートは8時半)にスタートし真夜中の2時にゴールします。私は去年も1人で参加しましたが、雨が激しく寒さに苦しめられました。しかし、今年は天気も良く、寒くもなく最高のコンディションでした。27名中、フルマラソンは17名、ハーフマラソン1名、10km2名、4.2km7名で全員時間内完走で完走メダルをもらいました。

当初、8名は応援の予定でしたが当日エントリー可能と分かり、折角北極圏まで来たのだからと、レースに参加し、初マラソンのため感動もひとしおでした。記録的にも年代別、1位、2位(65歳-女性)、1位(75歳-男性)、2位(60歳-男性)、2位、3位(70歳-男性)など素晴らしい記録で、地元の新聞にも大々的に写真つきで報道されました。

 

このツアーでは、2段ベッド、4-6人部屋のユースホステルに泊り、日本から食料を持参してキッチンで自炊しながら旅を続ける節約の「翔峰エコツアー」でした。YHの部屋やキッチンではいつも酒盛りや宴会で盛り上がり、まるで修学旅行のようでした。

マラソンの前には、オスロに2泊しノーベル平和センターや国立美術館など観光、マラソンの後もコペンハーゲンで3泊、人魚の像やローゼンボー離宮、また、スエーデンのマルメにも足を伸ばしマルメ城を見学しました。

 

マラソン中のトロムソには4泊し、標高421mのストールシュタイネン山に登り、北極圏の大自然を満喫、スカンジナビア3国での楽しい12日間を過ごしました。この旅は、移動はすべて公共の電車で移動し、観光ポイントの案内や説明もお互いが事前に勉強して分担、手造りで安上がりの楽しい旅を実現しました。


北極圏・トロムソの白夜マラソン

投稿者:翔峰 投稿日:2011年 7月18日(月)20時05分52秒
こんにちは、翔峰です。先日訪れて北極圏・トロムソの白夜マラソンと北欧ツアーの写真、毎日の記録をこちらにアップしました。ご覧いただければ幸いです。
http://mutotoho.digi2.jp/2011midnight_marathon/midnightmarathon.html
公園では短い夏を惜しむかのように、若い女性たちが惜しげもなく美しい裸体で日光浴をしていました。


このページのTOPに戻る



平成23年3月26日掲載

2011年ロサンゼルスマラソン


みなさん、こんにちは、武藤です。
私は米国版フル百回楽走会の「50STATES+DCクラブ」の会員になっており、3月20日(日)のロサンゼルスマラソンを完走し、カリフォルニア州の国盗りを達成しました。
ロサンゼルスは米国2番目の大都市で、約3万人のランナーが参加、ロサンゼルスドジャーズの本拠地、ドジャースタジアムを朝7時20分にスタートし、ダウンタウン、ハリウッド、ビバリーヒルズなどを通りサンタモニカビーチにゴールする素晴らしいワンウエイコースです。
スタート前には300回完走の富山の小路さんとお互い健闘を誓い合い写真撮影して元気に走り出した。
前半は小雨模様であったが後半からすごい土砂降りの雨と強い風に苦しめられ、やっとゴールすることができた。
ゴール後預けた荷物を引き取りに行った所、荷物は大会当局が管理しておらず、ランナーが自分で見つけて引き取る日本では考えられないシステムで、ゆるく縛ってあった荷物は中身が散乱、多くの人が見つけられなかった。
幸いにも私は殆ど奇跡的に荷物を見つけられたが、このような大会では荷物は預けない方が良いと思った。

 
 
レースの前には、以前羽島で英会話を習っていた友人のランディの自宅(オレンジ郡)に泊った。
彼には、空港への出迎えやゼッケンピックアップ、ダウンタウンやハリウッドの観光、マラソン当日の送りなどで大変世話になった。
前々夜、前夜には祝杯の前夜完走祈念パーツティーを開いてもらい、お店に来た人たちと一緒に米国版国盗りマラソンの話題で盛り上がった。

 

ハリウッドの「トイ&コスチューム」では、スパイダーマンの衣装を購入、時々はこれを着て走ってみるつもりだ。
マラソンの後、ランディーと別れてからは、「酒と女をこよなく愛し、自由で気ままな一人旅」を満喫し、サンタモニカビーチやベニスビーチなど西海岸の有名なビーチリゾートで過ごし、西海岸特有の美しい海岸線を散策、マラソンの疲れを癒した。
 
ロサンゼルスの次にサンフランシスコに移動し、フィッシャーマンワーフやチャイナタウン、ゴールデンゲートブリッジを観光したり、半日観光バスで市内観光したり、ケーブルカーに乗ったりして、春のサンフランシスコの名所旧跡を巡った。
また、脱出不可能と言われながら脱獄を企てたことで一躍有名になった、アルカポネなどの凶悪犯が収容されていた刑務所「アルカトラズ島ツアー」に参加した。

    

このツアーは人気が高く当日のチケットは購入不可とのことだったので、あらかじめネットで予約購入したが正解だった。
フィッシャーマンワーフでは、おいしいクラムチャウダーを食べたり、街角の似顔絵描きに似顔絵を描いてもらったりした。
今回もユースホステルに泊り自炊しての節約ツアーであったが、同室の外国人たちと交流を深めネイティブの英語を楽しんだ。
 
--------------------------------------------------
武藤 翔峰
HP    http://www.geocities.co.jp/Athlete/6177/muto/7tairiku.html
つぶやき http://twitter.com/toho_x
--------------------------------------------------


補足:ロサンゼルスマラソン

 投稿者:翔峰  投稿日:2011年 3月26日(土)18時20分53秒
  ロサンゼルスマラソンに参加される場合、預ける荷物はなくなってもいいような古い着替えや要らない着替えを預けましょう。高価な着替えや思い出のある着替えは預けないようご注意ください。預けた荷物はゴールまで運んでもらえますが、探し出すのはランナー個人個人です。袋の縛り方がゆるいと他のランナーに中身を放り出されてしまい、沢山の衣類が散乱、雨で濡れていました。段ボール箱に入れていますが雨のため表示が消え、どこに入っているか分かりません。日本では考えられないシステムですが、日本以外ではよくあることなのかもしれません。海外では何でもそうですが、日本での常識が通用しません。今回も沢山経験しました。


フル百楽走会へのレポートもご覧ください ro-p-.pdf へのリンク


米国西海岸の旅の紀行文

 投稿者:翔峰  投稿日:2011年 4月 3日(日)17時31分27秒
  こんにちは、翔峰です。
ロサンゼルマラソンと米国西海岸の旅の紀行文をこちらにアップしました。
ご覧いただければ幸いです。
http://mutotoho.web.fc2.com/lamarathon/lamarathon.html


このページのTOPに戻る


平成23年1月12日掲載

渡辺富夫さんフル100日完走

 投稿者:翔峰  投稿日:2011年 1月12日(水)11時12分12秒
  こんにちは、翔峰です。
渡辺富夫さんがフルマラソン100日連続完走の世界記録を達成した当日のスナップをこちらにアップしました。
ご覧いただければ幸いです。

http://mutotoho.web.fc2.com/muto/12hiratsuka/12hiratsuka.html

平成23年1月10日掲載

101回目完走中

 投稿者:翔峰  投稿日:2011年 1月10日(月)11時11分0秒
当日は竹田龍峰さんや西野櫂峰さんも応援に駆けつけ、一緒に走ったり、祝賀パーティーではおいしいお酒をたらふく飲んだり、楽しい一日を過ごしました。
朝日新聞や東京新聞、報知新聞など多くのマスコミも殺到、今日から新聞で報道されるそうです。特に報知新聞は一面全面での報道とのこと、ぜひ見たいものです。
今日は、「お礼マラソン」と称して101回目を完走中とのこと、いったいどこまで世界記録を伸ばすのでしょうか?


  

  


このページのTOPに戻る



平成23年1月9日掲載

100連日走の世界記録を達成

 投稿者:翔峰  投稿日:2011年 1月10日(月)11時01分28秒
  こんにちは、翔峰です。渡辺富夫さんがついに100連日走の世界記録を達成しました。
「43年間の会社勤めを終え、100日連続のフルマラソン完走を果たした男性がいる。相模原市南区の渡辺富夫さん(66)。9日、平塚で100日目のゴールを4時間51分57秒で通過した。「無事に到達できた。みんなに支えられた」と祝福にこたえた。
渡辺さんは1985年に初めてフルマラソンを走って以来、500回以上も完走している。昨年6月、工業ゴム会社を65歳で退職すると、8月に北海道の宗谷岬〜襟裳岬を2週間で往復するレース(計1090キロ)に出場した。
長年の夢だったこのレースを8月14日に完走し、次の目標を探し始めた。「記念碑になるものを」と考えていた時、52日間連続フルマラソンという記録の存在を知り、所属するマラソン仲間の会「フル百回楽走会」(平塚市、佐藤潤会長)に持ちかけた。会員番号と同じ「69日」を目標にとも考えたが「どうせなら」と100日に決めた。
一人で走っても完走は証明できず、記録としても不十分。土日は大きな大会に参加するが、問題は平日。吉野孝敏事務局長(68)と相談し、日本陸上競技連盟の規定を参考に「最低3人以上が走ろう」と決め、楽走会や自宅近くの仲間に一緒に走ってもらうよう頼み、100日連続の日程を組んだ。
初日は昨年10月2日の皇居竹橋マラソン大会。気温が25度近くまで上がる中でスタートした。10月中は「なんだか大ごとになってしまったなあ」とプレッシャーに押しつぶされそうだったという。100日間を通じ体調が悪くなることはなかったが、このころ体重は2キロほど減って55キロに落ちた。台風が来た日もあったが、雨がっぱを着て走ったのは計5日間だけだった。
11月23日に53日連続の新記録。「これで、いつやめても新記録」と気が楽になった。毎日弁当を用意してくれた妻の幸子さん(64)に対しては「100日間、日曜日なしだった。感謝している」。100日目は幸子さんと長女の由紀さん(38)も大会に参加、家族3人そろって完走した。
大記録を達成した渡辺さんは、10日には地元の相模原市で「100回達成お礼マラソン大会」を開く。これで101日連続となり、記録にピリオドを打つ。」





  


朝日新聞


このページのTOPに戻る


「雲峰のマラソンの歌」トップページに戻る 峰倶楽部に戻る メンバー紹介に戻る 更新履歴
inserted by FC2 system