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第27回フランクフルトマラソン
第10回ソウル国際市民マラソン
ミルフォードトラック54km
第13回新潟定期総会・JOYマラソン大会
フルマラソン200回完走 第30回パリマラソン



平成20年11月6日掲載

第27回フランクフルトマラソン


10月24日(金) フランクフルト到着
ホテルから京成成田駅までは歩いて数分の近いところにあり、成田空港第一ターミナルには7時半過ぎに到着、8時過ぎには22名全員が揃う。今回の添乗員はこれまでと同じく美人の鎌田さん、Eチケットを貰い荷物を預けて手荷物検査、出国検査を受け搭乗ゲートへ向かう。我々の乗る便は機体への補給が遅れ約50分出発が遅れ9時35分となったが、到着は予定通り14時23分であった。飛行コースはシベリアを横断しヘルシンキからバルト海を南下、無事フランクフルト空港に到着した。上空から見るドイツには風力発電のプロペラがいたるところに設置されており、地球環境を守る方針が良く分かった。荷物のピックアップ、入国審査もスムーズに進みバスで4日間宿泊するラヂソンホテルに向かう。フランクフルトは快晴で少し寒く感じる。バスの車窓から見る市内の紅葉は黄金色に輝いており素晴らしい風景だ。ホテルには4時過ぎに到着、部屋に荷物を置いてから近くのスーパーで飲料水、ビールなどを買う。夕食はホテルのレストランでサーモンを食べ、今日は早めに就寝した。

10月25日(土) ゼッケンピックアップ、市内観光
朝5時過ぎに目が覚め、高橋さんと二人でジョギングに出かける。最初ホテルを出て左手方向に往復20分位走り、次に右手スタート地点に向かう。約20分位でスタート、ゴールのメッセ・フランクフルトに着き、ここが明日のスタート地点だと確認しホテルに戻ってシャワーを浴び、朝食を食べてマラソンコースの下見、ゼッケンピックアップを兼ねて市内観光にに向かう。

EXPO会場では青のバンダナを買う。夜叉ヶ池マラニックの参加賞のひとつであったが日本ではなかなか買えないとのこと、河合さん、渡辺さんなどオシャレ派にも勧めたところ早速買っていた。昼食はレストランBINDINGでターキーを食べる。午後は歩いて観光、レーマンベルグ広場(ローマ人の丘)、市庁舎、戦後修復されたゲーテの生家などを観光した。

夕食は市内のレストランでおいしいフランクフルトソーセージを食べ、お店の専属ミュージシャンがアコーデオンを弾いて一緒に歌など歌ったりして、明日のマラソンに備え盛大な前夜祭となった。
ホテルに帰ってから明日のマラソンに持って走るおにぎりを高橋さんと作った。ごはん、のり、うめぼしなど材料は日本から持ってきた。これで準備はバッチリ、早めにベッドに入った。
 
10月26日(日) 第27回フランクフルトマラソン
いよいよフルマラソンの日となった。スタートは10 時とゆっくりなので楽だ。
ホテルをバスで出発しスタートライン近くでバスを降り、記念撮影をしてバスに戻り、スタートまでしばらく暖かいバスの中で9 時30 分頃まで待機する。フルには約1 万人、リレーやその他をあわせ1.5 万人が参加した。

マラソン当日は晴れ時々曇りで風もなく気温4度という絶好のコンディションに恵まれ、号砲が鳴ってからスタートラインを踏むまで約13 分かかったが、コースはフラットで走りやすくフル百のみなさんは好タイムでゴール。沿道には30 万人を越す大観衆が盛大な応援でランナーを励ましていた。私はダウンタウンの名所旧跡を廻る贅沢なコースを写真を撮影しながら走り、今年の自己ベスト(4 時間54 分8 秒)で285 回目を完走することができた。夜は市内の中華料理レストランで盛大な完走パーティーを開き、お互いの健闘を祝福した。

10月27日(月) ハイデルベルグ→ローテンブルグ
今日はホテルで朝食後、72km先のハイデルベルグへの移動だ。ライン川の支流、ネッカー川に沿って広がるハイデルベルグにはドイツ最大のハイデルベルグ大学があり山の上の古城やバロック風の町並みが広がっている。町の中心部には歴史のある学生酒場やアンティークショップが点存しドイツの昔の面影を色濃く残す貴重な街である。14万人の市民のうち学生が2万人もいる大学の街でもある。早速ハイデルベルグ城を訪れバルコニーから旧市街地を眺めた。また、地下にある世界最大のワインの大樽は大変迫力のあるものだった。その後市街地を観光、免税店でお土産を買ってレストランでおいしいサーモンの昼食を食べた。昼食後はさらに164km 先のローテンブルグに向け移動した。

今回我々が通るのは古城街道とロマンティック街道である。古城街道はマンハイムから大学と古城で有名なハイデルベルグ、ネッカー渓谷の小さな町や村を経てローテンブルグ、ニュールンベルグ、さらに国境を越えてチェコのプラハまで続く国際的な観光街道だ。また、ドイツの観光街道としてあまりにも有名なロマンティック街道は古都ヴェルツブルグから中世の町並みやローテンブルグ、古い城壁が印象的なディンケルシュビュール、2000年の歴史を誇るアウスブルグ、そしてアルプスの麓の町フュッセンに至る約350km の見所一杯のルート、そのクライマックスを飾るのがノイシュヴァンシュタイン城だ。

3 時半ころにローテンブルグに到着、中世の宝珠と言われ、ロマンティッく街道のハイライトとなっているローテンブルグ谷間を流れるタウバー川から見るとはるか高台に位置しているローテンブルグを眺めることができる。町の起源は19世紀にまでさかのぼり最初の城壁は12 世紀に出来上がった。自由都市として栄えたのは17 世紀の宗教戦争30 年戦争の頃までで、中世の面影をほぼ完璧に残している町として知られている。荷物をリーマンシュナイダーホテルに置いて市内観光、市庁舎や大聖堂を見学した。大聖堂ではタワー最上段まで上り城壁に囲まれたローテンブルグの町並みを見た。最上段からの眺めは最高でローテンブルグの町並みが一望の下に見渡せた。夕食はホテルのレストランでポーク料理を食べ、ビール、ワインなどたっぷり飲み、食後も会長たちの室の2 次会で大いに盛り上がった。

10月28日(火) ローテンブルグ→ノイシュヴァンシュタイン城→フュッセン
朝6時半に起床、朝食を食べた後町の中をウオーキングした。ここローテンブルグは第2次世界大戦の戦火からも逃れ中世のおとぎの国の世界の面影をほぼ完全に残している城壁に囲まれた素晴らしい町である。町の中心はマルクト広場で仕掛け時計、マイスタートルンクのある市庁舎があり両側の窓が開いてティリー将軍とヌッシュ市長が現れジョッキを手にした市長が飲み干すシーンが有名だ。聖ヤコブ教会の塔に上がり40mの高さからローテンブルグの市内を眺めた。その後、旧市街を取り囲んでいる城壁に上がりその一部を歩いて見学した。ウオーキングから戻り8時45分にバスでノイシュヴァンシュタイン城、フュッセンに向かう。途中、中世の面影を残すディンケルシュビュールに立ち寄る。手工業や交易で繁栄した帝国自由都市ディンケルシュビュールも外敵からの攻撃に備えて築いた城壁に取り囲まれた中世の都市の面影を今に残す素晴らしい町である。バスを降りて町の中を観光、聖ゲオルグ教会に入り礼拝した。

ロマンティック街道はベルツベルグからフュッセンに至る街道であるが、我々はディンケルシュビュールを観光した後アウトバーンに乗りフュッセンに向かった。この辺りはバイエルン・アルプスの峰々や森と湖の豊かな自然が生み出す四季折々の美しい景色を眺めることができる。


今回のドイツ・ロマンティック街道のフィナーレを飾るにふさわしい見どころがフュッセン近郊にあるノイシュヴァンシュタイン城、別名白鳥の城と呼ばれるお城である。バイエルン国王ルートビッヒ2世が17年の歳月と巨額の費用をつぎ込んで自己の夢を実現させようと精魂をこめて作った白亜の美しい城、それがノイシュヴァンシュタイン城である。作曲家ワーグナーのパトロンとしてオペラに取りつかれた王は「ローエングリン」「パルシファル」など多数のオペラの名画面を城内の壁画に描かせている。城の名も王とワーグナーのオペラとの馴れ初めとなった「ローエングリン」の白鳥伝説に由来する。かつては国の財政を傾けた城も今日では観光収入源として光り輝いている。ノイシュヴァンシュタイン城は3回目の訪問であるが来るたびに新しい発見、感動があった。ノイシュヴァンシュタイン城へはミニバスで登った。予約時間は15時20分477番で予定通り入城できツアーは約40分日本語ガイド付きである。今日の宿泊はフュッセンのホテル、HOTEL SONNE FUESSEN だ。夕食はホテルのレストランで食べ夕食後307号室で恒例の2次会を開き、ワイン、ウイスキー、焼酎薩摩白波、狐印の地元の養命酒など7〜8本のボトルを空け11時過ぎまでの盛大な宴会だった。
 
10月29日(水) フュッセン→ビーズ教会→ミュンヘン
今日はフュッセンからミュンヘンまでの108kmの移動の日だ。途中世界遺産のビーズ教会に寄った。ここはロココ風教会の最高傑作でゴチック調の素晴らしい教会であった。1730年の復活祭のとき、ある兄弟が木彫りのキリスト像を作ったが、その像を巡礼する人々が絶えずビーズ(牧草地)教会に発展したという。記念にキリストのnecklaceなどを買った。

ドイツ南部に広がるバイエルン州の州都ミュンヘンはベルリン、ハンブルグに次ぐドイツ第三の大都市だ。しかし都会というよりもいかにも町のような暖かさを感じるところである。市内には巨大なビャホールが何軒もあり、一度体験した10月のオクトーバフェストはミュンヘンの大ビール祭りだ。これまで3度ミュンヘンを訪れているが今日は4回目の訪問、10月秋のミュンヘンはいつもと変わらず暖かく迎えてくれた。町はきれいで公園や緑も多く秋真っ盛りの今、黄金色に輝く街路樹がきれいであった。

今日はフュッセンから108kmのバスの旅であったが、3時間弱でミュンヘンに到着、昼食はビャホールEINGANGで食べた。昼食後はバスで町を観光、ミヒャエル教会、オペラ座、ミュンヘン大学、凱旋門、オリンピック公園などを巡った。その後バスを降りシュッッン通り近くのカールス広場を巡りノイハウザー通りを散策し、新市庁舎にあるマリエン広場を見学した。バイエルン王国を文化、芸術の町に育てたのはビッブス王家で建物には高さ規制が設けられており、高いのは教会の塔だけだ。また、ミュンヘンの街路樹は落葉樹である。その理由はドイツは北の国であり太陽が低いのでもし針葉樹で葉がついていると、太陽の光が遮られて1階まで入らないので、落葉樹を植えているのだ。その後ニンフェンブルグ宮殿を見学した。18世紀を風靡したロココ様式であり、曲線、飾り、金、またフレスコ画(しっくいが濡れている間に描く技法で変色しない)が多い。夕食前には大ビャホールに入り地元の人たちと合席で交流し、グロースト(乾杯)ポスト(乾杯)などを教えてもらった。夜はレストランで最後のディナーを食べ2次会も盛大に行われた。
 
10月30日(木) ミュンヘン→10月31日(金)成田空港
午前中自由時間があったのでみんなを誘ってユダヤ博物館の見学に行った。ユダヤ博物館には展示物があまりなく建物だけが立派な看板に偽りのある博物館でがっかりした。途中地元の人たちのための大きな市場を通ったが、沢山の野菜、果物があり、こちらの方が十分に楽しめた。

ミュンヘン空港を15時30分に飛び立ち、予定より1時間早く10時4分に成田空港に無事到着した。
吉野さんはじめ鎌田さん、、みなさん、大変お世話になりありがとうございました。


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平成19年3月10日掲載

第10回ソウル国際市民マラソン


月4日、ソウル国際市民マラソン大会に参加してきました。この大会は、韓国で非常に人気が高い参加者12,000名のマラソン大会です。
外国参加者が650余名(日本からは300余名)が参加し、国際市民マラソン大会として発展しています。
コースはソウル市の中心を流れる大河「漢江(ハンガン)」に沿った平坦なサイクリングコースで対岸に美しいソウルの町並みを見ながら楽しく走れるコースです。

フル百回楽走会は、第2回目から親しいお付き合いをしており、竹田龍峰会長等のエイドの食べ物や飲み物のアドバイスのおかげで、おにぎり、卵焼き、みそ汁、きゅうりの漬け物、ミニトマトなど、日本人好みのエイドも充実しています。
女性は60歳以上、男性は70歳以上で特別賞のニューバランスのシューズがプレゼントされ、夫婦での参加者には豪華な記念品がプレゼントされます。

今回の最終ランナーは日本人のランナーで8時間5分でしたが、遅いランナーにも優しい大会です。
ソウルマラソンを完走した翌日、ソウルマラソンクラブとの交流10周年を記念して、焼肉パーティが開かれました。
朴前会長をはじめ、幹部6名の方々も出席、フル百回楽走会で作った記念の盾を贈呈したり、ハングル語を教えてもらったりして楽しい交流会となりました。

宿泊はヨイドの豪華なレキシントンホテルでした。ソウルに着いた日は地下鉄を乗り継いで南大門や南大門市場を観光し、マラソンの翌日は朝6時過ぎに起き、ヨイド公園や韓国の国会議事堂周辺を散歩しました。朝食後は観光バスで世界遺産の「水源城」の城壁観光やソウルタワー、ソウル市内などを観光し、ソウルの4日間を十分に楽しみました。ソウルマラソンはお勧めの大会です。
なお、以下にはリポート、写真集をアップしています。 


10seoul.pdf へのリンク


 

 


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平成19年2月10日掲載

ミルフォードトラック54km

1月22日-2月2日、平均年齢64歳の武藤ツアーの一行17名がニュージーランド、ミルフォードトラック54kmとマウントクック1日トレッキングを完踏しました。

ミルフォードトラックは『世界で一番美しい散歩道』と言われ、世界中からハイカーが殺到するため出発する1年前から周到な準備、予約が必要です。

自然環境保全のため1日の入山数は50人に制限されています。
70%は雨になると言われるこの地域、我々が歩いたときは5日間のうち4日間が奇跡的に晴れ、千田さんや国府さんの力強いサポートのお蔭で最高齢72歳を含む17名全員が元気に54kmを完踏しました。

コケで覆われた自然倒木、シダが覆い茂る登山道、ブナなどの原生林が群生する大自然コースを心行くまで堪能しました。


 

 


milford.pdf へのリンク


マウントクックトレッキング


ミルフォードトラック完踏のあと、定期バスでマウントクックへ移動、マウントクックYHに宿泊し、翌日ニュージーランドの最高峰3,754mのマウントクックを眺めるビューポイントまで1日ハイキングに行きました。

2月25日には日本人3人パーティのうち2人が転落死したというこの氷河に覆われたマウントクック、我々17名は二人のプロの美人山岳ガイドに案内され、ここでもマウントクックの大自然を満喫しました。

武藤ツアーは『酒と女性をこよなく愛し、自由で気ままな節約旅行』ですが、今回もユースホステルに泊まり、ミルフォードトラックやミルフォードサウンド遊覧、マウントクック、クライストチャーチ観光、オークランド観光などニュージーランドの全てを堪能してきました。




 


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平成18年10月14日掲載

第13回新潟定期総会・JOYマラソン大会


みなさん、こんにちは、武藤です。
10月8日-9日、フル百回楽走会・第13回新潟定期総会が盛大に行われました。
私は7日夜に名古屋から夜行バスで新潟に向かい、新潟駅前で各地から参加の皆さんと合流し、新潟の加藤さんはじめ地元会員の案内で新潟の観光に出かけました。最初弥彦神社に行き明日のレースの無事完走を祈願、お参りをしました。
次に新鮮な海産物市場、長岡・寺泊漁港で大きな蟹丸々1匹乗った「かにラーメン」を食べました。
そして、新潟景勝百選の一位に選ばれた出雲崎に行き、良寛記念館や「良寛と夕日の丘公園」から眺める日本海の素晴らしい景観に酔いしれました。
そこから帰途につき、本日宿泊のホテルスターホテルにチェックイン、総会に備えました。

8日の定期総会、全国交流会には、71名の方々が出席し交流を深めました。
総会は例によって、宇多さんの議長選出に始まり、吉野事務局長の名進行振りも手伝って、議事はほぼしゃんしゃんと進みました。阪本副会長と武井幹事が退任、矢田副会長と反町幹事が新任されました。
来年はフル百創立20周年という記念すべき年となり、記念名鑑も刊行されるそうです。

そのあと、みなさんお待ち兼ねの宴会、全国交流会へと進みました。
武井幹事はじめ、新潟会員の皆さんの心のこもったもてなしが感じられ、感謝しながら楽しいひと時を過ごしました。
富山の82歳、長老桜井光雄さんをはじめ、全国各地の会員の皆さんの一口コメントも聞くことができ、お互い楽しい交流を深めました。

9日は、新潟島1周15kmと5km折り返しのコースを使ってフルマラソン大会が行われました。
新潟島1周では佐渡島や荒波狂う日本海や信濃川河川敷を望むサイクリングロードを走りました。
アップダウンもなく平坦で、風光明媚なコースで新潟市内のビル街も見ることができます。
5km折り返しコースは日本海沿いの15kmコースとダブル部分で、コース上のすぐ近くで横田めぐみちゃんが拉致されたそうです。スタート地点と5kmコース折り返し地点の2箇所にエイドステーションがあり、元気を回復しました。
幸い暑くもなく、寒くもなく、強い風も吹かず快適に走ることができました。
お蔭で楽しい2日間を過ごすことができ、準備や当日の運営にご苦労された武井幹事はじめ、新潟会員の皆様には心から感謝いたします。ありがとうございました。


06niigata.pdf へのリンク


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平成18年4月20日

フルマラソン200回完走 第30回パリマラソン


健康のためにと思って軽い気持ちで走り出したのは、21年ほど前のことでしたが、初めてホノルルマラソンを完走したときには感動の涙が止まりませんでした。それ以来マラソンの魅力にとりつかれ、いつのまにか走ることが生きがいとなりました。そして、4月9日の第30回パリマラソンで念願のフルマラソン200回完走を達成し、一緒に走り続けてきた仲間達にも祝福され、本当に走り続けてきて良かったと実感しています。
この間、南極大陸マラソンを完走し、世界7大陸をフルマラソンで踏破したこと、パリマラソン、ロンドンマラソン、マドリードマラソンを走った後、ヨーロッパアルプスに登ったこと、同時多発テロの直後にワシントンD.C.マリンコープスマラソン、ニューヨークシティマラソンを走ったこと、さくら道で2ステージには分けましたが、今住んでいる岐阜の地から、生まれ故郷の金沢まで270kmを49時間かけて自分の足で走ったこと、サロマ湖、野辺山、四万十川、富士五湖、しまなみ海道、宮古島100kmなどのウルトラマラソンも21回走ったこと……などが走馬灯のように思い出されます。
継続は命と言いますが、21年間、走り続けてきて良かったこと。
・余分な体重が落ちスマートになり沢山食べても太らない。
・心肺機能、筋持久力が強くなり、従って、肉体年齢が若く、 疲れにくく、ビールがうまくて食事 が美味しい。
・ストレスに強くなり、いつも心身ともに絶好調、快適に人 生を送っている。
・肌の艶が良く、表情も明るく友達が沢山できる。
・そのため飲みすぎ、走り過ぎて時に体調を崩すこともある が、回復が早く風邪で寝込むなどとい うことは10年に 一度もない。
・年1度の人間ドッグではオールAで、肥満、糖尿病、動脈 硬化、心臓疾患などの運動不足病(生活 習慣病)とは無 縁の生活を送っている。

そして、私自身、ランニングと出会えたおかげで、快適な人生を送っており、これからはこの素晴らしい健康的な世界を、それを知らない人たちにも分けて上げるべく、機会あるごとにランニングの素晴らしさをPRし、普及に努めていきたいと思っています。「生涯医者知らず」を実践し、ますます若年化する生活習慣病に対抗できる処方箋は「健康ランニング」以外には、私には思い当たりません。
そして、精神的にも随分強くなり、次のようなことを心がけて生きるようになりました。

 

・いつも好奇心を持ち、感動することを忘れない
・自己責任,自力本願の精神を持つ
・言い訳をしない(何もしたくない人は言い訳を見つけ,何かをしたい人は方法を見つけるの精神)
・人生真剣勝負,耐えて自分を鍛える
・言われたからやるのではない,必要だからやる
  (生き方は与えられるものではなく、自分で選び 取るもの)
・志を高く持つ
・気付いたら、即行動を起こす。

青春とは心の若さである、心に夢を持ち、希望を持ち、目標を持って生きればいつまでも若くいられると信じています。
これからも志を高く持ち、健康の続く限り走り続け
・80歳までにフルマラソン300回完走 
・47都道府県国盗りマラソンの達成
ができるよう、楽しく、愉快に走り続けて行きたいものです。
この後、5月7日ウイーンマラソンで201回目を走ります。


200paris.pdf へのリンク


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