その4(平成20年3月28〜4月8日)
その1 その2 その3
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平成20年4月18日 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2度目の四国遍路その4 |
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四国八十八ヶ所霊場会公式ホームページ http://www.88shikokuhenro.jp/index.html |
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プロローグ 何度も書くが、四国遍路は贅沢な遊びと私は思います。1度行くと又行きたくなります。私は行くとしても2・3年先と思っていましたが、同行者さんに誘われて、2度目の四国遍路でした。ともあれ、多少の思惑違いがありましたが、最後まで一緒に出来たこと何よりと思います。 今回も同行者さんは夜行バスで、私は飛行機。出発点も同行者さんは伊予和気駅で、私は1駅手前の三津浜駅です。およそ15kmの差があるものとして、追いつけるのは3・4日後と思っていました。連絡は携帯で取りつつ。 なお、私は2度目の膀胱癌の手術をして出かけました。再発癌そのものは誤診と解り安心しましたが、初回は術後狭窄で悩みました。そこで、2度目には充分な手当が出来たものと思います。しかし、その反動か尿意に対して我慢ができなくなってしまいました。面目ないことながら、所かまわぬ立ちションを、同行者さんには無視して頂くようお願いしました。 3月28日 7:25羽田発の飛行機に搭乗すべくタクシーで武蔵小金井駅に行く。 全てが順調で松山駅を1列車早いのに飛び乗ることが出来、昨年11月の続き三津浜駅にて遍路姿に衣替え、予定より30分ほど早くスタートできたこと、心に余裕が生じて嬉しいことでした。52番太山寺・53番円明寺を打つ。 瀬戸内海を見ながら松山市から今治市に入りました。初日の行程、菊間には月の家旅館1軒しか無く、断られたら大変なので前日に予約しておきました。27.5km 宿代6.500円+ビール500円 洗濯機無料 3月29日 54番延命寺を打つ。東京で五分咲きながら花見をして来て、四国では開花も未だなのにびっくりです。2・3日後からはずぅ〜と花見をしながら遍路が出来たのですが。55番南光坊納経所のオッサンは話し好きな方です。前回いただいたミニ色紙をお見せすると、お袋へプレゼントの納経帳にサインをしてくれました。 56番泰山寺・57番栄福寺を打った後、宿に予約の電話をしました。辺りには5・6軒有るので大丈夫と思っていましたが全て満室と断られて慌てました。急ぎに急いで58番仙遊寺・59番国分寺を打ち、予定より5kmほど先の敷島旅館は、先行する同行者さんに想わぬハプニングで追いつくことが出来ました。42.1km 宿代6.000円+ビール500円 洗濯は宿でしてくれました。 3月30日 朝から雨。小さな集落にさしかかったところ開店準備中の小さな雑貨屋さんが、接待として桜餅をくれました。今日の昼時は山上の60番横峯寺。昼飯の手当をしなければならないところでしたので、足しとして有りがたく頂きました。 それにしても寺までの残り3kmほどの辛かったこと。山に強い同行者さんに遙かに遅れての到着でした。ともあれ、合羽を着ていても中までびっしょり、濃霧の寺で納経を済ませたて休憩所で食事中、寒く震えて総入れ歯ながらの歯茎が合いませんでした。 山を降って61番香園寺・62番宝寿寺を打ち宿に入る。本日の行程は難所だっただけに前日頑張った分距離が短縮できて助かりました。29.0km 旅館小松は肉屋でもあると聞きましたが、こんなにたくさんと思われるほどの肉鍋料理に舌鼓を打ったのでした。料金も安く5.250+ビール600円。 3月31日 朝の内に63番吉祥寺・64番前神寺を打つ。後はひたすら宿まで歩くのみ。まだかまだかと思っていた桜の花が咲き始めました。
宿の健康の館東洋館は浴場と兼業でした。食事は2食付きながら朝は弁当。洗濯機は有料の上、全自動でなかったので私には使えずパス。35.5km 宿代5.800円+ビール500円 4月1日 朝食の弁当を食べて、明るくなった5:50に宿を出る。今日は65番三角寺・66番雲辺寺と山道なので早々にコンビニで昼の弁当の手当をする。曼陀峠は愛媛県から香川県の県境であり、香川県に入ってからは徳島県との県境をたどって雲辺寺ですが、雲辺寺の住所は徳島県です。
今日の宿、雲辺寺の山道を降りた最初の民家の民宿青空屋は気持ちのよいところでした。主がPRに三角寺と雲辺寺の間でパンフレットを配っていたのは前回のことです。感じが良さそうに思いましたが、今回泊まって実感しました。洗濯機は乾燥機も無料。部屋も風呂も広く、トイレはウオッシュレットで清潔でした。経営者の夫妻は明るく誠実でした。私はじいちゃんばあちゃん経営の昔ながらの佇まいに、往時を偲びたいと思いつつも、これからは現代的な所が好まれることでしょう。 夕食時同行者さんとは意見が分かれて、翌日は別行動にすることにしました。私は善通寺の宿坊に泊まりたいが、同行者さんは無理とのことで。前提は、翌々日に番外で金刀比羅宮に行くことになっているので、調整が可能だからです。38.7km 宿代6.750円+ビール600円、料金を払うと接待として握り飯2個くれました。 4月2日 同行者さんが無理というのも無理はありません。今日は寺数もあり距離もあります。そんなことから私は同行者さんより一歩先に宿を出ました。ところが67番大興寺の納経所に職員がいず、待っている間に追いつかれてしまいました。ともあれ、先行して68・69番神恵院・観音寺で納経を済ませて善通寺の宿坊に電話をしました。しかし、満室で取れません。何のことは有りません。後から来る同行者さんと同じ宿を予約することになりました。 来る途中車の窓から接待として頂いた土佐ぼんたん、重いのでどうしようかと思いましたが、果物好きの同行者さんの来るのを待って腹の中に納めました。
70番本山寺を打ち、昼食にラーメン屋を見つけて入ろうとしました。が、隣にコーヒー屋が在りました。ここでも意見が分かれてお互いに好きな方に入ることにして、私はラーメン屋でラーメンとビール1本でした。 71番弥谷寺・72番曼荼羅寺・73番出釈迦寺を打ち宿に入りました。宿は曼荼羅寺の文字通り門先の門(もん)先屋旅館でした。33.8km 宿代7.350円+ビール500円、洗濯機200円乾燥機100円。 4月3日 宿を出て1kmほど過ぎたところで2人とも杖を忘れたのに気付きました。戻りかけたところに宿の主人がミニバンで届けてくれました。今日は番外で金刀比羅宮に行く日、予定通り行くことが出来ます。 74番甲山寺・75番善通寺を打つ。善通寺の宿坊には弘法大師の出身地だけに、1度は泊まりたいところです。何時のことになるか判りませんが、予約は早めにしなければと思います。
善通寺から金刀比羅宮にはJRで往復したので時間的に余裕が生じました。駅前のひなびたうどん屋で早めの昼食にしました。私は毎度ながらうどんにビール1本です。 76番金倉寺・77番道隆寺を打ち、なお余裕があるので丸亀城に寄りました。丸亀城は桜が満開。花には酒と露店で求めたビール、350ml缶が500円だったのにびっくりです。 78番を打ち、なおの余裕を見越して、予定より2kmほど先に取った宿が、前回泊まったところと気付いたのは玄関に入ってからでした。25.7km 川久米旅館6500+ビール600円 洗濯機無料乾燥機100円 4月4日 79番高照院・80番国分寺・81番白峯寺・82番根来寺・83番一宮寺を打つ。 白峯寺への急登、根来寺からの長い下りが疲労の蓄積した膝・足に堪えました。疲れた身体に、前日2kmほど稼いでおいて幸いでした。
今日最後に私がしなければならないのは、郵便局で預金を下ろすことです。ほんの少し回り道をして一宮局に行きました。ところがATMが受け付けてくれません。これまで何度も使ってきたのに??? 結論はカード会社と郵便局との契約内容に変更があって(新たなカードでは預金がおろせない)、カードが新しくなったのを、私はすっかり忘れていました。ともあれ、同行者さんに借りることが出来て本当に助かりました。 私はいざとなったら消費者金融(未だ1度も利用したことはないのですが)を利用する積もりです。それにしても、あまり底を突いてからでは、手段に限りがあるので大いに反省するところです。同行者さんの、ある程度の金を無いものとして必ず持っていること、を教訓として。 余談ながら、帰宅後飛行機のチケットを登録済みの同カードで買おうとしましたが、やはり受け付けてくれません。カード会社に電話をすると、有効期限が更新されているので、登録の更新が必要と云われました。更新すると会員番号は同じでも、その次の3桁の数字=セキュリティー番号が変わることが判りました。32.5km 天然温泉きらら素泊まり¥4.750 洗濯機200円乾燥機100円 4月5日 84番屋島寺・85番八栗寺・86番志度寺・87番長尾寺を打つ。 屋島寺の上り下りのきつかったこと。八栗寺への途中の民家で頂いた冷たい麦茶のうまかったこと。小さなコップながら5杯も頂きました。気分長閑に長尾寺への道筋、桃の花・梨の花咲く山里の風景が印象的です。長旅ももうすぐ終わりです。
夕食後同行者さんの提案で翌日の行程を変更しました。私は直接1番霊仙寺に向かう予定でした。しかし、そのコースをたどると宿まで42.5kmです。しかも、その翌日は大坂峠の山越えです。同行者さんの言うのに無理は無く、10番切り幡寺に向かうコースに変更しました。そして、宿を7番十楽寺の宿坊としました。コースに山越えはなく、距離は38.5kmです。しかも同行者さんには1度も経験のない宿坊泊は、万事変更に不都合はなく同意しました。 最終日、高野山の宿坊も同行者さんに是非1度と予定していましたが、帰るというのでこちらも同調しました。ともあれ、本日の距離32.0km ながお路泊¥6.500+ビール600円 洗濯機200円乾燥機100円 4月6日 8:00からと聞いていた遍路サロン、7:30到着は早過ぎるのであきらめていましたが、開いていました。私達が本日最初の到着です。名簿に記帳すると、記念にバッジと「遍路大使任命書」をいただきました。 遍路サロンから女体山へは地道と林道の2通り在り、どちらを行きますかと尋ねられると、同行者さんの一声で林道をたどりました。女体山山頂付近の岩場は、遍路道一番の難所と私は思うが、天気がよく頂上からの眺めが良くて何よりでした。
4回に分けて3年がかいりの区切り打ち、ついに満願成就、88番大窪寺です。女房より携帯に金沢在住の兄が咽の手術をして入院中とあり、平癒祈願要望のメールに応えて、納経所で割り符のお守りを買いました。割り符には義兄の名前を記入して半分に割り、一方を守り袋に、名を記した他方を備え付けの箱に入れました。寺では月に1度まとめて祈祷するとのことでした。 門前の土産屋で昼食兼ビールで乾杯。 大窪寺から切幡寺は川沿いに降りっぱなしで、私が前回大坂峠越えをしたのに比べて本当に楽なコースでした。宿泊の7番十楽寺宿坊は遍路始めに来たときには建設中でした。部屋は、広くてきれいでしたがあまりにもホテル並みで、私には少々味気がありません。建物の3・4階が宿坊でした。難は各階に洗濯機が1台しかないことです。7・80人ほど入れる食堂の半数ほどが埋まっていたでしょうか。その内、洗濯機の必要な歩き遍路は10人足らずでしたが。38.5km 宿代¥7.800 洗濯機200円乾燥機100円 4月7日 6:30本堂でのお勤めに出て7:00朝食。7:30に宿坊を出ました。雨の予報が少し延びているようで、降られる前に出来るだけ前進する魂胆です。コースは寺には寄らないが最短距離の逆打ちなので、多くの歩き遍路者にすれ違いびっくりしました。ともあれ、ぽつぽつと来たので3番金泉寺で休憩を兼ねて雨支度をしました。
1番霊仙寺は雨ながら大勢の人で賑わっていました。しかし、納経所は混んでいません。ここから始める遍路者が、売店で買う納経帳には揮毫が既にしてあるからと納得です。お礼参りに来たわけですが、記念として、前回はもらえた数珠が無くなってしまったのは残念なことです。 電車で徳島駅、バスで徳島港、フェリーで和歌山。14.2km 宿泊和歌山市 サンホテル¥6.000 4月8日 5:34始発電車にて和歌山線名手駅下車。名手駅より西国街道(麻生街道)をたどりました。私たちを含めて10人ほどの仲間が、昨年西国巡礼の旅を結願しました。西国巡礼の旅では札所3番粉川寺から高野山へ番外として行くのが麻生街道です。西国巡礼の旅を蘇らせて粉川寺に参拝し、門前の丸浅旅館に泊まる積もりでしが、満室で取れずサンホテルになった次第です。 麻生街道も私が前回たどった町石道のように案内がでているものと思いましたが、私の認識不足で迷いに迷うことになってしまいました。幸にも数少ない民家で道を尋ねることができ、日高峠の四の地蔵からは旧道をあきらめて、車道に出ることにしました。
車道に出てからも高野山までは未だ遠いようです。またまた尋ねたミニトラックのおじさんが、乗せてくれるというので、町石道合流点の矢立まで、好意に甘えて接待を受けることにしました。 高野山の寒かったこと。桜は未だ蕾も小さかったです。21.0km 奥の院で納経帳に揮毫と白衣に朱印をいただき、2度目の四国遍路も無事完結しました。遅くなってもその日のうちに帰ることにして、ささやかな乾杯は新幹線の中でした。 エピローグ 4月19日郷里飯田市の山奥、遠山郷マラニックに参加しました。もう1つ大事な目的が、帰路お袋に会い納経帳と頂いた朱印の白衣をプレゼントすることでした。お袋は親父と一緒に、数十年前にバスツアーで四国巡りをしたことがあるようです。が、納経帳も白衣もなかったようなので喜んでくれました。人間何時までも生きられません。何時の日かの晴れ着になれば幸いと思っています。 四国遍路は本当に贅沢な旅です。私はもう1度やりたいと思っています。目標は75歳。今度は通しで本当にゆっくりしたいと思います。そのときまで健脚であればのこととして。 同行者より 4回にわけ足掛け3年の遍路も無事に終了し、高野山迄お礼参り出来た事本当に嬉しいです。 53番円明寺に立つと気が引き締まりました。お参りを済ませてスタート。ちょっと緊張。南光坊の住職さんにはお説教された。もっとゆっくりと歩きなさい、と。何となくせかせかと歩く癖が付いているのですね。そんな気はさらさら無いのに知らないうちに一日の距離や遍路日数に何処か捉われているのですね。又この住職さんは東京の人でそれも江東区そして私の家の近くでした。遍路サロンでは南葛八十八ケ所の一覧表を貰う。88番大窪寺の山の木の一部を使って建てたお寺が葛西(葛飾区)南部にあるとのこと。機会を見つけ訪ねてみたい。 88番大窪寺に着いたときはホッとして肩の力が抜けました。無事に遍路を終えた事をつたない般若心経を唱えつつ感謝しました。そのせいか下りでは一休みばかりでした。元々午前中は早くも遅く歩いても午後は体にギアチェンジがかかってガックリとペースダウン。本当にご迷惑をかけました。時期なのか団塊の世代か?一人遍路の方にも多く会いました。 高野山へのお礼参りでは絵地図では分かりにくいところがあり右往左往のハプニング。疲れましたが無事に到着が出来て嬉しかったです。寒くて手ぬぐいまでも体に巻きつけましたが震え止まりませんでした。案の定帰宅後大熱でダウン。今回は山の上り下りが多く体力を消耗しました。又私には日程も少々長く一日の行程が長い日が多かったので疲れました。それなのにもう一度通しで遍路をしてみたい・・・と。改めて地図や記録を見ていると楽しい時、苦しかった事、多くの一期一会の人達、そして最後まで我儘にお付き合い戴きました事に心から感謝いたします。 |
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