その1
(平成18年11月17〜22日)
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平成18年12月1日

2度目の四国遍路その1

 
四国八十八ヶ所霊場会公式ホームページ
http://www.88shikokuhenro.jp/index.html

 

同行二人
「四国遍路ひとり歩き同行二人」は持参の地図編で、同行二人は弘法大師を意味しますが、この度の実質同行者は各種マラニックで旅仲間の女性でした。同行者にとっては初めての四国遍路、体験者との同行を求めていたのでしょう、再三行こう行こうと誘われていたし、私としても何時か又行きたいと思っていた2度目の遍路、シリーズ奥の細道探訪マラニックが終わったのを機会に行くことにしました。が、バイトながらも仕事を持っている同行者の都合に合わせて、往復夜行バス(料金¥18.000)2泊を含めて5泊6日、正味遍路は4日間の先ずは様子見の行程となりました。

出発は11月17日(金)品川バスターミナルより21:30発、到着は18日徳島駅前6:50。JRに乗り継いで板東駅下車。歩いて5分の1番札所霊山寺にて身支度を調える。同行者は一応すべて、私は2度目として納経帳と御朱印を戴く白衣を買いましたが、納経帳は最初に買ったものに朱印だけ重ねて押してもらうものとは知らず、2冊目を買うことになってしまいました・・・。

宿
同行者の脚力は私以上であるので、私の歩調に合わせてもらうことにして、1日35kmを目安とする行程を私が作りました。宿の予約は当日2時頃までに電話を入れるのですが、休眠の所もあり得るので万が一に備えて2軒候補に上げて作ります。ところが、2日目3日目の手頃な距離に宿が無く、少々頑張らなければならなくなりました。

初日、たまたま正午に民宿寿食堂でビールを飲みながら昼食を取りつつ、今日の宿旅館八幡に予約を入れました。食堂の主が無理だという。翌日は13番まで行くと云うと、絶対無理だという。ま、私は2度目の遍路と云ったのでそれ以上何も言わなかったが、奥さんが電池を持っているかと心配してくれました。持っていると応えたが、端くれとはいえウルトラランナーを自負する私たち、いざとなれば時速5.5kmで4・5時間、時には1日中でも歩き続けることが出来るのです・・・。

それにしても2日目の宿の遠かったこと。朝からずぅ〜と雨、遍路ころがしで名高く徳島一の難所の遍路道、12番焼山寺を13:00に出発、21km先の13番大日寺側の民宿名西さんが今日の宿です。17:00着の予定が17:40になってしまいました。17:00を過ぎると暗くなります。しかし、幹線道路の1本道明かりを灯すまでもなく、万事承知の欲張った行程でしたが、宿での評判は2・3km距離が長いのではないかと、多くの遍路さんが言っているとのことでした。同行者は4kmは長いと言い張るのですが・・・。

 

3日目の宿は民宿名西さんに紹介してもらったところです。予定では20番鶴林寺麓の金子屋さんでしたが、横柄で評判が良くないとのこと。近くに競争相手が無ければあり得ること、ともあれ、紹介して頂いたさかもとさんは金子屋さんより7kmほど奥地ですが、指定場所まで送り迎えしてくれると云うことでさかもとさんに決めました。さかもとさんは廃校を改装したもので、部屋も通路も風呂もトイレも、何もかも広く大きく、ゆったり出来て最高でした・・・。

宿の予約は毎度同行者に電話してもらいました。
同行者は肩こりに悩まされて、距離的に弱気になりがちでしたが、予約の際には精一杯距離を稼ぐところに宿を取ってくれました。部屋は一部屋。元山屋で雑魚寝に慣れた同行者は平気です。私は同行者次第、もはや枯山水の女みたいな男ですからと言うと、男みたいな私ですがと応じてくれました。もっとも旅での習慣はいつもと同じで、毎日地酒を買って持ち込み、夕食に飲み、部屋でも飲んでバタンQ。小便の近い私は夜中に2・3度起きるので、これまた旅での私の心得、部屋の出入り口に近い方に寝て、同行者の安眠を妨げないようにしました。ま、同行者にはでくの坊の私で物足りなかったかな・・・。

詐欺事件
3日目、19番札所立江寺でのことです。同行者が小綺麗なばあさん遍路と話をしていました。後で聞くところによると、トイレに輪袈裟を懸けたママ行ってはいけないと、注意されたことから会話が始まったとのこと。娘を亡くし追っかけ亭主を亡くして遍路に出てきたと、娘の写真と亭主の分骨を見せながら話してくれたとのことでしたが、私が近づいた時、心やすくも「近くへ来たら寄ってください」と、ばあさんが住所氏名を書いた納め札を同行者に渡すところでした。「今日は何処まで」と、ゆきがかり上同行者が問いかけたことから私も話を聞くことになりました。わが方の本日最終予定地17:00に、すでに20分ほど遅れているのが気になりながらも。

ばあさん曰く、野宿と。びっくりして疑念を重ねて問うと、体調を崩し医者へ行ったが、保険証と思って持っていたのが、○○の間違いで全額現金払いになってしまい文無しになってしまったとのこと。このところ遍路詐欺が多いらしく何処でも警戒されて、文無しでは野宿するしかないとのことでした。この寒空にと、慈悲深い同行者と私は共同慈善事業として1万円貸してしまいました。

娘の写真と亭主の分骨を見せつつ直ぐにも返すと云ってはいたが、帰宅後1週間も経てば、詐欺師に詐欺の手ほどきを受けた授業料と思い諦めています。後で思えば、1千円ほど接待として与えて、サラ金にでも行くように勧めれば良かったと思います。返せる金であれば、当座必要な金の工面はサラ金ほど便利なところはなかろうと思います。私は未だかって利用したことはないのですが・・・。


2度目の遍路道。よく覚えているところ、全く覚えのないところ、うかつにも旧道を見逃していたところ等も有り、新しい発見がずいぶんありました。2通り有る遍路道には以前と異なる道を選んだ所もあり新鮮でした。

四国の山はそれほど高くはないがアップ・ダウンが厳しく、川が綺麗で気持ちがいいところです。護岸工事など施しておらず、全く自然の儘なのがすがすがしく感動ものです。そんな険しい山村の遍路道には、蜜柑畑の中を行くようなところが多々あります。失敬して戴いた蜜柑のうまかったこと・・・。

失敬などしなくても、所々にある遍路休憩小屋には無料の蜜柑がどっさりと置いてあったりして、頂きながらも有りがたいことでした。

  

4日目
元山屋の同行者には山上の20番鶴林寺・21番太龍寺はご機嫌なコースでした。(2日目12番焼山寺もそうでしたが)22番平等寺を打って未だ15:00。次回のためにたいの浜駅まで行って、うまい海鮮料理でも食べて戻る予定です。ところが行ってみてびっくり、鯛の浜と思っていたのが田井の浜、夏のリゾート地でオフには電車も止まらないところでした。仕方なく1kmほど戻って由岐駅から徳島駅に戻りました。

続きは由岐駅から、頃は来年3月か4月ですね、同行者さん・・・。

同行者より
雲峰さん同行して戴き有難うございました。長年の夢の一歩が踏み出せました。白装束と菅笠を身に着け、杖を持つとこれからの長い遍路の旅に緊張感を持ちました。初めてのご接待を可愛い女学生から受けたときは少々戸惑いましたが感激でした。車を止めて飴をくれた方(旅の最後まで助かりました)、子供達が声を掛けてくれ元気をいただいた事、ずぶ濡れになった靴の手入れをしてくれたり、肩こりの薬をくれた旅館のおばさんなど沢山の親切を戴きました。山の登り降りは厳しいけれど登りきったときの満足感は最高です。そして歴史を肌に感じます。里道やみかん畑は心を和ませてくれました。転ばぬ先の杖で転びそうになったり、サギおばあさんにあったりと楽しい旅でした。


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