平成24年4月12日開設
MC3-17
その3 鹿児島西野櫂峰邸にて
FC2web
その2 西野櫂峰=幸広さんの生前葬 その1 屋久島縄文杉100回目登頂ツアー プログラム 海宝道義さんの古希祝 |
||
翔峰さんの写真集より http://muto.digi2.jp/13yakusima/2013yakusima.html#kaiho |
平成25年9月00日 | ||||||||||||
赤文字をクリックすると掲示板にジャンプします。 http://6121.teacup.com/unpoh1234/bbs |
||||||||||||
|
||||||||||||
|
||||||||||||
|
||||||||||||
|
||||||||||||
|
||||||||||||
|
||||||||||||
|
||||||||||||
9/02(月)薩摩川内〜鹿児島観光〜鹿児島空港〜帰京 つじポン記 朝起きて朝食の支度をするが残りのパン以外殆ど無いな!ビールはまだ冷蔵庫にあったのでそれで流し込む。朝8時過ぎに西野邸の戸締りを確認して家を出る。路線バスで川内駅へ向かう。田舎道で渋滞も、信号もない道を30分以上走る。これでバス料金は100円、安いな。 川内駅に着き、切符を買おうとするが、鹿児島市内で今朝土砂降りの雨が降り在来線は運休。此処でJRの粋なサービス。代替えで新幹線乗車。新幹線を利用すると片道1740円。今回は運賃のみで910円。 鹿児島中央駅の観光案内所で「名勝 仙巌園」の行き方を聞く。市内観光地巡回バスを推薦され、駅前より乗る。これは観光地を巡って、それぞれの観光ポイントに行くと車内のガイド説明があり便利だ。バス運賃160円。仙巌園は島津家の別邸で桜島を望む名園である。NHKの大河ドラマ「篤姫」のロケ地にも使われた。隣の島津家の資料館「尚古集成館」とセットで入場料は1000円。見るべき場所、見物する物は多くあったがチョット高めな値段。 再び巡回バスに乗り、名所旧跡の案内を聞きながら、鹿児島中央駅に戻る。 駅の近くに最近名所になった屋台村に向かう。屋台村という名前の通り夜間の屋台がメインだが何件か昼間から営業している店もあった。鹿児島ラーメン店「黒天」に入りラーメンを食べる。九州ラーメンは博多、熊本、久留米、鹿児島と色々あるが、関東人から見ると皆一緒の感じがする。ここで店主に聞く。それぞれの違いは何かと。彼は鹿児島の味はとんこつスープを主体として鶏がらのスープを加え、店夫々独特の工夫をしているそうだ。ラーメン代750円。 昼食後、駅前バスターミナルより高速バスで熊本空港へ。所要時間45分、料金1200円。空港に着いて、待ち時間に鹿児島銘菓「かるかん」と「鹿児島ラーメンセット」と今回立ち寄った熊本の名物「陣太鼓」を土産として買う。土産はいらないと言っていた雲峰さんも「かるかん」を一箱買ったようだ。 鹿児島空港17:50のスカイマークSKY308便に乗り、羽田に予定の19:35に少し遅れて到着。 飛行機を出て、ここで雲峰さんとも解散。長い7日間でした。お疲れ様。つじポンは9時過ぎに無事自宅に帰り、一杯飲んで睡眠。 |
||||||||||||
|
||||||||||||
9/01(日)居残り つじポン記 何もする事無し 焼酎飲みつつひたすら残飯整理でした・・・。 海宝さん、西野さん、きの子は9/1(日)昼過ぎに西野邸を出ました。 海宝さんと、きの子は空港から東京へ。西野さんは何処かで飲み会があるとの事で一緒に出てゆきました。 私どもは翌日(9/2)のフライトなので、当初は一緒に鹿児島市内迄出て屋台で一杯の予定でした。 しかし当日はかなりの雨が降っていて、鹿児島に出ても出歩け無いので、二人でもう一晩西野邸に泊まる事になりました。 つじポン・宏 |
||||||||||||
|
||||||||||||
|
||||||||||||
|
||||||||||||
|
||||||||||||
|
||||||||||||
|
||||||||||||
8/31(土) 天狗鼻海軍望楼台 つじポン記 朝食後、曇天で今にも雨が来そうな天候であったが川内市指定文化財「天狗鼻海軍望楼台」に行くことになった。 関西4人組の残った3人、中山夫人、きの子、西野さん、雲峰、つじぽんの合計8人。約1時間チョット村道を南に下り、その後海に向かう右の狭い道を40分。 途中、道端で中山夫人が筍の群生を見つけて採取。筍は春先かと思っていたが、種類により今の時期取れる物もあり、都会人はびっくり。 展望台の景色は素晴らしかった。眼下に東シナ海が広がり、人工物は一切ない。これが東京近辺なら人気の観光地になるだろう。 此処で海宝さんの筋肉を鍛えるサーキットトレーニングの講習が始まる。結構疲れる。 帰路の途中より雨がボツボツ降ってきた。皆夫々急ぐが、馬力のない雲峰、つじポンは雨に濡れながらトボトボと。 昼食にはさっき取った筍の茹でたのが出て来た。これがまぎれもない朝取りの筍だ。少し苦味があったが本当の自然を食べている感じだ。 一休みした後、関西の女性3人(いっちゃん、たかちゃん、さっちゃん)が帰阪するので、中山夫妻が見送り方々帰路に着く。これで残ったのは5人(西野さん、海宝さん、きの子、雲峰、つじポン)。寂しくなった。 もう何もする事が無いので、だらだらと酒を飲みながら寝床に入る。 |
||||||||||||
|
||||||||||||
8/30(金)霧島温泉 つじポン記 朝、食事の後みやこ、あゆみ親子は指宿方面に観光に向かった。ここでさようなら。名古屋の5人組も朝練をした後帰路に着いた。 残った人は当初、水の綺麗な海に海水浴に行くつもりだったが、低気圧が近づいて海も白波が立っているので急きょ霧島観光に出かける事になった。 中山さんが運転するワゴン車に中山夫人、雲峰、つじポン、大阪のさっちゃん、きの子の6名。海宝さん運転の末吉さんから借りた車に西野さん、滋賀のたかちゃん、いっちゃん、ちゃんの5名で計11名。 初めに隣の市、久野木市の日本一大きい楠の木を見て、そして九州最古の木造駅「嘉例川駅」へ行った。この駅はレトロの雰囲気だった。その後坂本龍馬とお龍さんが新婚旅行に行ったと言う「塩浸温泉」へ着く。 此処で海宝さんが温泉卵買い求めた。食べて見ると内部が柔らかい温泉卵でなく、しっかりとゆで卵であった。買い手がつかず長く温泉に漬かっていたので熱湯でなく温泉の温度でもゆで卵に成ってしまったのであろう。 それから霧島温泉にゆく途中、昼食を食事処「薩摩路」で取る。殆どの人が運転手に遠慮してアルコールは取らず地元の蕎麦類を頼んでいたが、そこは御大雲峰、我関せずと生ビールを注文していた。 本日の目的「霧島ホテル」13時に着いた。ここは一流のホテルで「硫黄谷庭園大浴場」が有名である。 4種類の温泉を引き、大浴場を挟んで両脇に男子浴場、女子浴場がある。真中の大浴場は混浴であった。 つじポンが野天風呂の後、大浴場に行くと関西4人組が入っていた。彼女らに招かれ近づくとタオルで前を隠しながらの状態だった。細部は見えなかったが大体の概要は判った。あまり露骨に見えるより、チラチラ見えるこの方が艶かしく想像力を沸き立てて趣がある。その後中山さん、西野さん、雲峰さんが入ってきて夫々目の保養をしたようだ。 再集合の3時半まで2時間半あったが、あっちこっちの湯船をゆっくり渡り歩いてもつじぽんは風呂は1時間半しか持たなかった。集合場所の休憩所に行くともう海宝さん、雲峰さん、きの子は既に横になって休んでいた。すぐに関西4人組も出て来た。そこで湯上りのビールを一杯。 中山さんも出て来た後、横になって休んでいた人達も起きだして、暫らく談笑。しかし最後の中山婦人は中々出てこない。とうとう時間一杯の3時半まで楽しんで出て来た。みな水膨れに成っているのでは凝視。しかしその様子はない。風呂の横でいい気持ちで寝ていたそうだ。 今日はつじポンの関西の愛人、ちゃんが帰るので鹿児島空港まで見送りついでに帰宅。空港ではつじポンとちゃんは名残を惜しんでいた。 帰りを急ぐ事は無いのだが、中山さんの運転は早くて荒い、林道の坂道など他に車が来ない事を良いことにどんどん飛ばす。皆、車のバーをしっかり握り締めていた。追従の車の運転手、海宝さんは借りた車に傷つけないよう必死に付いて行ったと言っていた。 西野さんの実家に帰り、昨日はご馳走が有り過ぎ、供されなかった烝鳥と海宝さんの持参の鮭の燻製をメインにまた大宴会が始まった。 |
||||||||||||
|
||||||||||||
8/29(木)阿蘇〜薩摩川内 海宝さん古稀祝い大宴会 つじポン記 朝6:30河野夫妻に肥後大津まで車で送って貰い豊肥本線で熊本駅へ行く。 熊本駅より市営バス130円に乗り熊本バスターミナルへ行き9:00発の高速バスで鹿児島空港迄行く。 11:30に着く。此処で12時前後に到着する大阪グループ女性4人組と東京からのきの子、西野さんの鹿児島の友人中山さんの山仲間のあゆみさん、みやこさん親子と待合せをする。 あゆみさん、みやこさん親子は鹿児島観光を計画していて、日程を海宝さんの古稀祝いに合わせてくれたそうだ。あゆみさん、みやこさんの便は予定通り着いたが大阪組の飛行機が機体故障で大幅に遅れるので、いったん中山邸で休憩をする。 中山さんとは西野さんが屋久島の西野さんの定宿「フレンド」で知り合ったらしい。西野さんの生前葬の時も、北海道一周ドライブの帰り参加したそうだ。会社勤めをしていたようだが、今は何をしているのかはまったく不明。西野さんの友達らしい。 ここで昨日より一足早く来ていた海宝さんがくつろいでいた。海宝、西野、中山さんは今朝早く鹿児島の市場に行き、宴会用に鶏3羽、マグロの頭、大量のマテ貝を仕込んで来た。 鳥は生きたまま買って、中山邸でさばいて蒸し鳥にした。丁度出来上がるタイミングであったので記念に写真を取る。そうこうしている内に関西組も到着したので、西野宅目指して中山邸を車で出発する。 1時間半近く掛り漸く西野宅に到着。今日は夫々長旅だったので疲れを取るため、近くの「市来温泉」に全員で向かう。近くと言ってもここは片田舎、距離は16km以上離れた隣の串木野市だ。車で20分以上掛かった。 ここで珍しい人、津の国府さん達と会った。彼らは名古屋の翔峰さんをリーダーとした15,6名の屋久島で縄文杉、宮之浦岳の観光グループで、西野さんに民宿「フレンド」を紹介して貰った関係も有って、海宝さんの古稀を祝うため屋久島の帰り帰宅を延長して虎峰さんを含め精鋭5人が駆けつけた。 つじポンは雲峰さんの掲示板で翔峰さんを良く知っていたがお会いするのは初めてである。彼はまだフルマラソンは現役であり、海外の大会にも色々出ている。カメラ、コンピュータに詳しく多才な人だ。 国府さんとは今は亡き奥様が健在の頃「鶴岡100km」で知り合った後、あちこちの大会で出会いよく飲んだ。虎峰さんは雲峰さんとはかって同じ会社に勤めていたそうだ。彼とは2年前「みちのくRun」の翌日、仙台の守仙人の車で一緒に観光して以来だ。元気そうである。 皆、宴会が気に掛かり風呂はカラスの行水で簡単に済ませ西野宅に戻る。その間、西野さんの幼馴染みの時吉さんが大量の伊勢海老を調理して、同じく幼馴染の砂竹さんが自分の船を出しカンパチを釣って来て刺身にさばいていた。 夜7時過ぎより海宝さんの古稀祝いの宴会が始まる。参加者は前出20名に加えて時吉夫人、佐竹夫人の2名を加え総計22名。 今夜の料理は豪勢だ。伊勢海老を初め、カンパチ、かつお、イカ、タコ、きびなごの刺身。ゆでまき貝、さつま揚げ、烏賊の煮付け、きびなごの天ぷら、野菜田舎煮、ポテトサラダ、海宝さんの肉の燻製等々。 宴たけなわになった時点で、海宝さんの挨拶があり、その後各自1分の話があった。中には酔って何を言っているのか判らない話を延々とする人もいた。多少だれた所で、サプライズ。女性全員から海宝さんに古希祝いのチューの嵐。海宝さんの嬉しそうな顔。写真を見て下さい。 宴が進み、夫々体調に合わせ、寝床に着いて行った。なんて言ったって古希祝いでは年寄りが多いもんで、早寝早起きである! 最後には海宝さん、西野さん、国府さん、つじポン等5〜6人程が残った。ここで西野さんがいたずら心を起し、一升瓶に水を詰め、名古屋のあゆみさんに銘酒だと注がせていた。つじポンはすぐ気づいたがここは遊び心、「旨い、うまい」とおかわりをした。本当に宵越の水は旨かった。 宴は深夜1時過ぎまで続いた。宴席解散後つじポンは確保していた寝場所には行ったが既に他人が寝ていた。しょうがなく彼は廊下で寝るはめになってしまった。 |
||||||||||||
|
||||||||||||
7/28(水) 阿蘇 つじポン記 朝7時過ぎにホテルを出る。地下鉄「中洲川端」駅より博多駅に出て7:53発の新幹線で熊本8:32着。熊本駅より豊肥本線8:44発に乗り替えて約50分立野9:36さらに南阿蘇鉄道で一駅漸く河野さんの住む「長陽」に着いた。ここで河野さんの出迎えを受ける。つじぽんと河野さんとは「大村湾160km」で知り合いその後「玄海100km」「阿蘇スーパカルデラ100km」なども一緒に走っている。 今回の旅行で、博多から薩摩川内までひとっ飛びで行くのは慌ただしく情緒が無いので、つじポンが彼女に熊本で会いたいと連絡を取った所、河野さんは約2年前よりご主人が南阿蘇に建てたログハウスに住んでいる。其処に遊びに来ないかとのお誘いがあった。 つじポンは阿蘇には苦い思い出がある。約10年前、「阿蘇ス―パ−カルデラ100km」のレースに参加して、始めて収容車に拾われた大会であった。このコースはタフで最後近くから見る雄大な景色が売り物のコースだ。リタイアしたのでつじポンはこの景色を見てない。それで見てみたいと希望を出した。雲峰さんも初期頃この大会の頃50kmの部に参加したので思い出がある。そんなこんなで話が進み今夜1泊のお世話になる事になった。 コースは複雑に入り組んでいるので、河野さんも良くコースは覚えていない。20回近く完走した友人に案内を頼んだ。昼過ぎに河野邸に来る予定になっている。 河野邸はご主人が手作りで2年間掛けて作った立派な家だった。外観はログハウス独特の風情が有り内部も広く簡素であるが風格があった。 河野邸で一休みをして後、ご主人が近くの俵山展望台へ案内してくれた。ここから阿蘇の雄大なカルデラの景色を見ることが出来た。 河野邸に戻り程なく阿蘇100kmを案内してくれる「熊本てれっとウルトラマラソンクラブ」の重鎮、釘島さんが到着した。「てれっと」という意味は熊本地方の方言で「ぼおっと」している状態らしい。要はノンビリ走ろうと言う趣旨で作られたクラブだそうだ。 一緒に河野さんが用意してくれたざるそば食べた。この蕎麦は地元の久木村「そば道場」製の名物。 釘島さんとはランニングが趣味なので、すぐ打ち解けた。違いは釘山さんがバリバリの走る現役、雲峰、つじポンはもうよれよれのWalking組。 話の中で、熊本てれっとのメンバーで居酒屋「さくら」大将田代さんが福祉の仕事に変わるので店を閉める事になったと言う。つじポンは田代さんと「大村湾160km」で最後近くなってバテバテでお互い喘いだ事が何回かあった。また現役の頃熊本に出張に行った時、「さくら」に顔を出し、へべれけになった記憶がある。 9/1(日)のお別れ会には熊本を中心として各地から48名が参加する予定だそうだ。 雲峰、つじポンの知り合い北九州の西田、植村、博多の江口さん達は福岡の天神より118km走って来るという。たいしたものだ。もし宴会を事前に知っていたら今回の行程に組んでも良かったなあ。 釘島さんは日本でのウルトラレースの第一人者、熊本の坂本明子さんをよく知っていると言う。つじぽんは5〜6年前神宮外苑24H走で彼女の専属エイドを受け持った事があった。釘島さんが彼女に電話してくれたので、つじポンは久しぶりに坂本さんと話し嬉しそうな顔をしていた。 昼食後、釘島さんの運転する車に乗り、カルデラマラソンのコースを辿って行った。 河野さんの自宅近くで10km地点からコースを辿って行く。途中、白川水源に立寄る。ここは毎分60トンの湧水量を誇り日本名水百選にも選ばれている。我々もこの名水で喉を潤す。 コースの21km過ぎから3kmの急坂がある。ここでつじポンは喘いでいたな。そこを登りきるとコースの中間点阿蘇市波野支所まで50kmはゆるい登り、降りが続く。中間点は50kmのスタート地点でもある。雲峰さんはかってここからスタートした。つじポンはここまでまあまあ順調に来た。さあ此処で後50km頑張るぞと気合を入れて走り出したが、10km行かない内急にバテ始めた。そのごよれよれの状態で走り続けたが、70km地点でタイムオーバー。収容者に拾われるハメになってしまった。 つじポンは第1回の「四万十」以来「サロマ」「玄海」「越後くびきの」「秋田」「恵比寿、大黒」「アラスカ オーロラ」「中国 太原」等々の100kmを初め「萩往還250km」「甲州街道200km」「大村湾160km」などのウルトラマラソンは総て完走してきたがが、此処で挫折。彼の力もここまでだったんだろう。その後「にちなんおろち」「玄海」とリタイヤする事が多くなって行った。そして段々と経年劣化が進み現在のていたいらくの状態になってしまった。 中間点以降は結構幅員の狭いくねくねしたコースが多くあった。さすがのベテラン釘島さんも少し迷ったようだ。雲峰さんが唯一記憶している牛のいる風景の牧草地を越して、いよいよ見せ場85kmの地点まで来た。さすが案内書で豪語してある通り凄い見晴らしであった。ちょっと霞が掛かっていたので、写真にその豪快さが十分映らないのが残念だ。 漸くゴールの阿蘇市内牧の総合センターに着いた。 此処で収容車では運び込まれたつじポンは内牧温泉に浸かった後、スタート地点で出会った走友、町田グループのチッチ&さりー夫妻、西野さん、江川あっちゃんと埼玉蓮田の菅原パパを複雑な気持ちで出迎えた。その時は選手、応援者が多数いて、テント張りの中には売店が多く出て、マイク放送もあり非常ににぎにぎしかった。今は人影もほとんど居ず穏やかな風景だった。 スタート地点の南阿蘇温泉センター「ウイナス」を通り、河野家に帰った。17:30過ぎだった。午後1時過ぎの出発だから4時間半も掛かった。多少道を間違えたが殆ど休憩もせずにこの時間である。運転も大変だったな!気安くマラコンコースを見たいなどと大変な事を言ってしまった。悪かったなあ。反省、反省。しかしその時は挫折したが100kmは長いなあ!元気な頃といえよく走ったものだ。 河野邸に着いた後、雲峰、つじポンは引き続き近くの「久木野温泉」まで釘島さんに送って貰う。そこで釘島さんは帰路に着いた。今日半日有難う御座いました。家まで気を付けてお帰り下さい。 温泉を出た後、河野さんのご主人の迎えを受け河野邸に帰る。今夜は玄米食を初め豪華な自然食のオンパレードだった。河野さんは将来自宅を改造して自然食のレストランを開く計画を持っている。それだからどれを食べても美味しかった。彼女は一緒にマラソンコースを廻ったので料理の時間がとれず、色々食材を用意したが使い切れず少ない料理でと恐縮していたが、これだけあれば十分過ぎる。健康食だった。 飲んべいの雲峰、つじポンは遠慮せずにしこたま飲めるよう、南阿蘇の山村酒造が阿蘇の米、阿蘇の水で作った地酒「霊山 上撰」「霊山 原酒」と缶ビールを途中買い込んだ。隣に住む河野さんの妹さんも来てくれゆったりと夜遅くまで酒席は続いた。 |
||||||||||||
|
||||||||||||
海宝さん古希祝い 九州旅行(H.25.08/27〜09/02) 飲み仲間、西野さんより海宝さんの古稀祝いを8/29(木)自分の故郷「薩摩川内」で盛大にやるから参加しないかと雲峰さんとつじポンにお誘いがあった。飲める事になるとすぐ賛同する二人である。雲峰さんとつじポンは毎日が日曜日なので、古希祝い当日より2日早く出発する事にした。雲峰さんが九州新幹線に乗って見たいと言うので、博多、熊本経由で鹿児島に行く事になった。 つじポン記 |
||||||||||||
8/27(火)東京〜博多 1日目 羽田発9:20、福岡空港11:10着のフライトに乗るため雲峰さんと8:30羽田のスカイマークカウンター前で待合せをした。 今回博多、熊本で知人にお世話になるので、空港で土産を買うため少し早めにつじポンは6:30に家を出た。土産を買い、雲峰さんと無事出会い飛行機に乗り込む。ほぼ定刻通り福岡空港に着いた。 福岡空港に昼前に着くので、夕方まで何もする事が無い。つじポンの友人安川通明君に前もって市内観光を頼んでおいた。彼が到着ロビーで待っていてくれたが、中々つじポンは探せない。約10年振りの上、彼の容貌が大きく変わっていた。特徴ある近眼メガネは老化が進みメガネの必要が無くなりメガネ無し。その上体格がまた横に立派に広がっていた。それでも何となく雰囲気をかもし出していたので会うことが出来た。 昼食はと聞かれると、勿論博多ラーメンでしょうと言うことで、「一風堂 空港店」に案内された。メニューに「白丸」「赤丸」と2種類有った。どう違うのかと店員に聞くと、白丸はマイルドのあっさり系で赤丸は濃厚なコッテリ系と言う。年寄りにはあっさり系の方が体に良いと思ったが博多まで来たのだからこってりの赤丸を頼む。味は独特の風味があり東京で食べる博多ラーメンとはチョット違っていた。 食事が終わり、昼からの観光は、学問の神様菅原道真公の「太宰府」叉は中国(漢の時代)から日本に送られた金印「漢倭奴国王」が発見された「志賀島」の選択だった。我々は志賀島コースを選んだ。車で途中、福岡国際マラソンが現在の街中を走る前のコース、海の中道、雁の巣折り返しの地点を通り志賀島に入り島を一周した。途中「金印公園」を見学して「休暇村 志賀島」で一服し帰路に着いた。博多に入り志賀島を博多湾越しで見ようと市内の高台にある「西公園」に行った。見晴台の前の木が成長していて、生い茂った葉で良く見えなかった。冬になると葉が落ちてよく見えるそうだ。 ホテルの「ベストウエスタン 福岡中洲イン」に行きテェックインをして、安川君が自宅に車を置いて戻る迄、一休み。このホテルは博多の繁華街で地下鉄「中洲川端」から徒歩1分のネオンきらめくすごい場所である。部屋はツインでやや狭いが、テレビ、洗面用品など一通り揃って二人で7200円。 しっかり飲める内飲んどこう。銘酒「萬代」の吟醸酒や瓶入の泡盛の古酒をしっかり飲んで、皆いい調子に成った。 その後、席を長浜の屋台村へ移動した。ここは博多の夜の名所で「長浜ラーメン」の発祥の地だ。夜になると屋台が数多く開き、ラーメンだけでなく店夫々特徴ある料理を出している。 我々は地鶏の網焼きを焼酎で一杯。その後ラーメンで仕上げた。つじポンは隣の外人と訳の解らない英語で盛り上がっていた。ホテルに戻ったのは11時を廻っていたかな。もう其の辺になると良く判らない。 |
||||||||||||
|
||||||||||||
このページのTOPに戻る その2 西野櫂峰=幸広さんの生前葬に戻る |
||||||||||||