マラソンの歌34号-14
平成24年 2012年
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大菩薩峠ゴールのマラソンにわれは出でたりはるか以前に マラソンの記憶薄れて朧なりスタート地点も模糊と曖昧 調べ見る大会参加四度有り詠みたるマラソンの歌の残れば 辿り行く青梅街道マラソンの帰りに下りし古道なりけり 大菩薩峠を越ゆる山道が青梅街道とはわれ知らざりき 夕焼けの空眺めつつ富士山の姿麗し変はることなく 眼下なる大菩薩湖は人造湖二十年前の記憶に有らず 歩き旅は身軽なるべし山小屋は風呂が無ければ着の身着のまま
山小屋の朝食六時飯前に待ちゐる日の出雲焼き赤し 標高の高きがゆゑの紅葉なり下るに連れて秋が遠のく 辿り行く牛の寝通りの原生林広葉樹林に心癒やさる 山栗が落ちてゐるのに拾へぬは行き先遠く余裕があらず イノシシの掘りたる跡か不可解な掘り痕あまた道筋に沿ふ 奥多摩湖目指して下りの楽でなし急なる下りに膝が笑ひて 急坂を下りて膝が笑ふなり小河内ダムにてバスに乗りたり 二日後も筋肉痛がいや増して立つも難儀にふらつき歩む
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青梅街道は甲州街道の裏海道として新宿の追分から甲府の追分まででした。その青梅街道の歩き旅を、8月・9月に新宿の追分から青梅まで消化したようですが、私は参加しませんでした。この度は雪の降る前にと云うことで、難所の大菩薩峠越えでした。私はかってマラソンに何回か訪れたことが有るので懐かしさもあり参加しました。 全く老いたもので筋肉痛が何時までも引きません。たったの1泊2日の歩き旅でしたが、4日経っても何時もの暮らしに戻れないでいます。3日続きの旅はもう絶対に無理と、残念ながら確信する次第です・・・。 |
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参加したマラソン大会4回の「マラソンの歌」 昭和62年 昭和63年 平成元年 平成4年 |
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