平成27年6月23日開設
 マラソン大会出場記録 
村本 修 P-1
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村本 修
マラソン大会出場記録

プログラム

2016年(72・73歳)
2014年(70・71歳) 2015年(71・72歳)
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2010年(66・67歳) 2011年(67・68歳)
2008年(64・65歳) 2009年(65・66歳)
2006年(62・63歳) 2007年(63・64歳)
2004年(60・61歳) 2005年(61・62歳)



村本 修
2014年(70・71歳) 2015年(71・72歳)



より鮮明なPDFにてご覧ください。 1-12-muramoto-1.pdf へのリンク


2015/7/9
第30回サロマ湖100kmウルトラマラソン参加記
2015.7.8 村本 修

2015(H27)年6月28日(日)に開催された「第30回サロマ湖100kmウルトラマラソン」に参加しました。
サロマ湖ウルトラは、今年30回を迎える日本で最も歴史のある大会で、参加人数3500人(50kmの部を含めると4000人)の最大規模を誇り、まさにウルトラランナーのメッカと言える大会です。10回完走者には「サロマンブルーメンバー」の称号を与えられ、常呂(ところ)カーリング場の横に足形を残せるという栄誉が与えられることから、それを目指すリピートランナーも多く、エントリーも一日で終わってしまう人気大会です。

今回は私にとって5回目のサロマでした。初めてサロマを走ったのは2006年だったので、今年はちょうど10年目になりました。続けて走っていれば、今年は10回目でサロマンブルーに挑戦、ということになっていたかも知れないのですが、もともと、一つの大会を何度も走るということよりも、色々な大会を走ってみたいという考え方だったので、同時期に開催されているあちらこちらの大会に出ていて、サロマはとびとびの参加になっていたのです。

前回(第28回大会)、4回目を走ったとき、もういいかと思っていたのですが、今回また参加を決めたのは、30回の記念大会であることや、サロマは初めてという3人の走友から一緒に行って欲しいと頼まれたからでした。3人のメンバーは、一人は64歳女性のOさん、60歳からランニングを始めてハーフ、フルを経て、あっという間にウルトラの世界に嵌り込んだスーパーウーマン。一人は50歳女性のMさん、ウルトラの経験は2年前に1回だけというウルトラはまだ初心者、長い距離の練習ができていないのが心配です。もう一人は33歳男性のN君、走力はあるものの、3月の横浜マラソンで足を痛めてやや練習不足が不安要素、という3人でした。

私が参加する時は、大阪のランナー仲間が仕立てるプライベートツアーに入れてもらっているので、今回もそのツアーに4人まとめて面倒を見てもらい、北海道に乗り込みました。

この時期、北海道に梅雨はないので雨は比較的少ないのですが、晴れて暑い年や肌寒い年とまちまちです。今年のレース前日と当日のサロマ湖周辺の天気予報は、曇りで最低気温10℃、最高気温16℃とやや寒い感じですが、走るにはちょうど良さそうです。

ところが、当日朝の気温は8℃台で、川崎では3月頃の寒さ。寒いのは苦手なので、服装は急遽冬支度(下はロングタイツに短パン、上はアンダーシャツの上に半袖シャツを重ね着し、アームカバーと手袋着用)とし、さらにその上から薄手のウィンドブレーカーを羽織ってのスタートとなりました。空はどんよりと曇り空気は冷たかったのですが、5キロ位走るとようやく身体も温まり汗ばんできたので、ウィンドブレーカーは腰に巻いて走りました。

日中になると、晴れ間も出てきて明るくなり、サロマンブルーと呼ばれるサロマ湖の青い水の色やハマナスなどの花々を楽しめました。日は射してきても空気が冷たく、暑さはそれほど感じません。このぶんなら、完走率はかなり良くなるのではないかと感じました。私も自己ベスト(11時間12分18秒 2012年)を更新するチャンスかと思いましたが、今回はあくまで、初サロマの3人を完走させることが使命と思い直しました。

今回は涼しくて走り易く、速い人につられてどんどん行ってしまいそうなので、前半は抑えること、できればキロ6分ペース以上速く走らないようにとアドバイスしました。私の経験からも、前半走り過ぎて後半失速することが多々あるので、後半にスタミナを温存するためです。

はじめは4人で一緒に走っていましたが、20キロ過ぎから若いN君が先行し、女性二人と私はほぼ一緒に走りました。途中の目標としては、80キロ地点を10時間以内に通過することでしたが、9時間45分で通過でき、まずは一安心。残り20キロを3時間かけて走れば良いと考えれば気は楽です。

80キロからのワッカ原生花園の中を走る道はサロマの名物コースです。左手にサロマ湖、右手にオホーツク海を眺める細長い半島で、その名の通りハマナスやエゾスカシユリといった花々が一面に咲いている素晴らしいところなのです。そして折り返してくる知り合いのランナーと出会い、エールの交換をすることができるのです。が、反面、ここはランナーを苦しめるところでもあります。

片道10キロを往復するのですが、その道は平坦ではなく微妙にうねっていて、これまで80キロ走って来た脚には相当応えます。おまけに、どんな素晴らしい景色でも10キロも続くといい加減飽きてきてウンザリします。変化がないので1キロ1キロがとても長く感じられて、精神的にも辛いところです。ウルトラの経験豊富なOさんは別にして、もう一人の若い女性のMさんはここにきてさすがに疲れてきたと見えて、走るスピードが落ちてきて辛そうです。

私はカメラを持って、風景や花の写真を撮ったりしながら、少し後から行きました。そして途中でトイレに寄ったりして後から追いかけると、Mさん一人がとぼとぼと走っているのに追いつきました。Oさんは先に行ったとのことです。Mさんはもう疲労困憊で、ただ「何としても完走したい」という気持ちだけが足を動かしている様子でした。顔面も蒼白です。

残りは10キロ足らず。「時間はあるから大丈夫、少し歩こう。」と言って、歩きます。歩くと楽になるのですが、しかし、全部歩いたのでは間に合うか微妙です。「あの坂の下まで頑張って、また歩こう。」と励ましながら、走ったり歩いたりを繰り返して、残り2キロまでたどり着きました。

もう、残り全部歩いても大丈夫ですが、ゆっくり走りました。やっぱり最後は走ってゴールしないと。
ゴールが近付くと、沿道の両側に応援の人並みがいっぱいで、口々に「お帰りなさ〜い!」「おめでとう!」と祝福の言葉を投げかけてくれます。

差し出される手にハイタッチしながら、彼女はもうこらえきれずに泣いています。自分の限界を越えてここまで来れば、誰でも感激せずにいられません。私も彼女の頑張りにじーんときました。
そして、最後のコーナーを曲がると残り50メートルは、ビクトリーロードです。
ゴール写真を撮ってくれるので、「最後は笑顔で!」と声をかけて、先にゴールさせようとしましたが、「一緒にゴールして」と言うので、一緒に手を繋いでゴールしました。

ゴールタイムは、12時間40分50秒でした。制限時間は13時間なので、結果的には多少余裕のあるゴールでしたが、80キロ地点で残した15分の貯金がそのまま残った感じです。Oさんは8分早く、12時間32分42秒、N君は更に7分早く、12時間25分10秒と、我がメンバー全員無事完走できました。ツアー仲間もほとんどが完走できたようです。

サロマ湖ウルトラは、他のウルトラに比べてアップダウンが少なく楽なコースと言われますが、制限時間が13時間と厳しいので侮れません。また天候によっても大きく左右されます。そのため、毎回悲喜こもごものドラマが生まれます。そういったこともこの大会の魅力で、多くのリピーターが訪れるのでしょう。そして、ここに来れば多くのウルトラ仲間に会えるというのが、ウルトラのメッカたる所以なのでしょう。
                                                       以上

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