平成17年12月28日開設
岩元 健
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プログラム 第8回チャレンジマラニックin遠山郷レポート ハワイタイムシェアの楽しみかたレポート 第1回ブカレスト国際ハーフマラソンレポート 第14回鯖街道マウンテンマラソン(Bコース:42km) 東京がひとつになる日(東京マラソン2009) 第15回鬼たいじマラニックレポート |
2014年12月7日 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第8回チャレンジマラニックin遠山郷レポート |
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〇 この大会の何が凄いか ・この大会は、神奈川県下のランニングクラブのトドさん達が渓流釣りでこの地を訪れた際、何か村興しにとの発案から発足した大会だそうです。 ・参加費が安い。1万円(後夜祭\3,000円位込)前夜祭は\1,500円 参加賞(トートバッグ、栗の木札御守り「安全楽走歩祈願」) ・遠山郷マラニック心得 @ ランナー同士、地元民との交流を楽しむべし。 A 遠山郷の自然を満喫すべし。 B 出されたものは残さず食べるべし。 そのため、何キロも肥えて帰るランナーが多いとのこと ・参加者は、6割〜7割がリピーターで占めている。 (今回151名中100余名がリピーター) ・エイドの「おもてなし」がとにかく豪華で凄い。特にジビエ料理(狩猟で捕獲した野生の鳥獣の山鹿・猪・アマゴ塩焼き・蝮酒・スズメバチ酒等) ・飯田市は、全国の市町村でジンギスカン消費量が日本一だそうです。その理由の一つは、満蒙開拓団の人達が持ち帰り広まった説が有力。近年オープンした、阿智村の「満蒙開拓平和記念館」は一見の価値がある施設です。 ・前夜祭と後夜祭の盛り上がりが半端じゃなくエキサイトして楽しい。参加しなと後で後悔すること間違いなし。 〇 ユニークなゼッケン等 参加ゼッケンには、各チェックポイントが表示されており、そこに着くとゼッ ケンにスタッフが到着時間を記入するステムが実にユニークです。 このゼッケンにもう一工夫し、参加者の「出身県・氏名」が印刷してあれば、エ イドの地元民との触れ合いやランナー同士の親密度が一層増すと思いますが、この アイデアは如何でしょうか。(同室の遠山さんの手作りゼッケンです。) 〇 レジェンド「治郎エイド」 中根地区の熊谷治郎さんが、第2回大会から自宅の庭で開催する私設エイドです。それは、日除け屋根付き長机を並べたスケールの大きな宴会場で、日本中探して も右に出る豪華な私設エイドは無いそうです。 ここで提供されるのは、地元産の手作り遠山郷料理、地酒やビールが沢山振舞われます。このエイドの噂が広がり、これが一番楽しみというリピーターが大半です。 一旦腰を落ち着けたら動くのが嫌になるくらい、食べて飲んでよく喋り、肥えて行くランナーが多いレジェンドエイドです。 今回は、このエイドを支える20人のスタッフに不幸や病気で入院した方がおられたことでお休みになったそうです。次回以降この治郎エイドが復活することを期待しましょう。(過去の写真を掲載しました。) 〇遠山郷は何処にある 現在は、長野県飯田市と合併しているが、長野県の最南端で静岡県との県境に位置し、遠州浜松秋葉神社の巡礼の道(秋葉街道)和田宿として栄えたところです。 秋葉街道は、その昔「遠信古道」と呼ばれ、遠州(相良港)から諏訪地方に塩を運ぶ重要な街道でした。この遠山郷から飯田に抜ける別ルートとして、小川路峠という峻険な街道がありました。飯田から遠山郷に赴任する教師等が、あまりの遠隔地で恐れをなして引き返したところから「辞職峠」と呼ばれたそうです。 本年6月11日、南アルプスがユネスコエコパークに登録になりました。下栗地区から正面に聳え立つ南アルプスの聖岳や光岳(テカリダケ)は、深田久弥の日本百名山になっています。この深田久弥が昭和43年に訪れた際、ある著書に 「下栗ほど美しく平和な山村はほかには知らない。」 と書いたそうです。蔵書の山の文学全集(昭和49年発行、日本百名山)に載っているかなと思い読み返しましたが、その記述はありませんでした。光岳(テカリダケ)のハイマツと雷鳥が日本最南限(世界最南限)と改めて知りました。 〇 日本のチロル・日本のマチュピチュ 東京芸術大学名誉教授の市川健夫が命名者です。平成21年「にほんの里100選」に選ばれ、同年10月に下栗地区の有志が、杉林の中に全長800の遊歩道と「天空の里ビュースポット」が一望できる展望台を建設しました。私は、前日コース下見をした際、この展望台から下栗の里の絶景を堪能しました。 遠山郷が全国に知れ渡ったのは、テレビCM2011年(H23年)サカイ引越しセンターの「いいな・CM感動がエンジン」に登場する、木造の旧木沢小学校と天空の里(下栗地区)が放映されことで一躍有名になりました。 〇 旧木沢小学校 ここは、第1回から前夜祭やスタート・ゴール地点に使用された地元の歴史的建造物で、国道に「見学は自由・猫校長がお迎え」の立て看板が目印になっています。 昭和7年建造で、平成12年に廃校になった木造校舎です。地元の卒業生が保存に尽力しており、名物猫校長「高峰(たかね)ちゃん」が歓迎してくれます。 このエイドは「木沢小学校卒業生」の法被を着た地元民がおもてなしをしてくれ、その後、この卒業生達は、梨元停車場エイドに移動してサポートしてくれます。 先日アカデミー名誉賞受賞した宮崎駿は、重要無形文化財登録の「霜月祭(湯立まつり)」がヒントになり「千と千尋の神隠し」を制作したそうです。 その弟子で、山下明彦監督は、民話「ねずみのすもう」を題材に、下栗地区をモデルにした「ちゅうずもう」という短編映画を制作しました。この映画に出てくる「さんまのそば団子」はどんな味でしょうか。 〇 アクセスが不便 日本の秘境中の秘境と言われる遠隔地で、アクセスは非常に悪いです。裏を返せば、その分自然が沢山残されているということです。東京都心からだと半日以上かかり、静岡方面からもJRと乗合バス乗り継ぎのみです。自家用車に相乗り参加組がベストです。この不便さで、参加者の大半は東海・長野地区で占められ、遠来組は宮城、福島、新潟、近畿以西の参加者はゼロでした。 〇 前夜祭の出来事 前夜祭は、前回大会からかぐらの湯から5キロ離れた「天仁の杜」キヤンプ場で開催されました。かぐらの湯から用意されたシャトルバスで行きます。 到着した時、二つのテーブルを独占して気勢を上げていたのは「東海マラニッククラブ」の総勢19名の面々でした。 私のテーブルは、なにわ駆女トリオ(つきちゃん・うずらさん・かんのさん)と遠山郷出身の遠山親子鷹さん達でした。 自己紹介で、私の所属クラブをいうと、なんと「ヒロコさん」と親密な間柄だそうです。このヒロコさんはルーマニアに嫁ぎ、欧州のマラソン賞金女王として活躍中です。ヒロコさんの案内で、私達夫婦は3年連続このルーマニアを訪れ、マラソンと観光でお世話になり楽しんで来ました。 さて、前夜祭の主役は、実行委員長「湊猛」氏の「お帰りなさい。」の挨拶か ら始まり、委員長の熱烈トークは参加者の興奮度を加速させるほど過激でした。 食材は、地元産の「遠山ジンギスカン」やジビエ料理が沢山用意され、ビールや飯田の銘酒「喜久水」が飲み放題の歓迎ぶりでした。催しは、じゃんけん大会や言い放題コーナーで最高に盛り上がりました。飯田市座光寺出身で大会の顔役「雲峰さん」と「つじポンさん」と再会の挨拶と盃を交わしました。 座光寺出身で、2003年に急逝した孤高のウルトラランナー故佐々木康人氏を思い出しました。故人は、飯田のセレブ「シズコさん」の弟子で「さくら道」や「萩往還」などの長距離走を完走後、日本縦断一人旅を完走し、更に、北緯35度(飯田市)本州横断中(出雲大社〜九十九里浜)昼神温泉で倒れ亡くなられた方です。 前夜祭の最後は万歳三唱で締め括り、楽しいいと時でした。これで参加費が、 1500円は安いと思いませんか。 案内状に「各地の地酒、名産の持参大歓迎」に書いてありました。私は、昔から愛飲している大阪羽曳野の昔「金徳屋」という店の「河内ワイン」を持参しました。 好評の味であちこちからコップが伸びて来てあっという間に売り切れました。 〇 スタートから龍淵寺 スタートは、午前6時30分、その前に神主さんのお祓いと安全楽走歩祈願のお守りを貰いました。前列でお祓いを受けたのは、飯田市座光寺出身の雲峰さん、遠山親子、鈴木精肉店の娘さんでした。集合写真を写した後、飯田市長の号砲を合図に朝靄煙るかぐらの湯をゆるりと出発しました。 バイパス工事のトンネル手前から急坂の林道を上ります。4km先の合戸峠エイドで一息つき、一気に急坂を下れば旧木沢小学校エイドに到着です。 ここは、過去の大会で前夜祭やスタート・ゴール地点として利用された記念すべき施設です。お迎えは、「木沢小学校卒業生」法被姿のスタッフと猫校長の「高峰ちゃん」です。美味しい手打蕎麦や地元産食材を沢山頂き先へと進みます。 梨元停車場から、遠山川沿いの林道を遡上します。その間の林道は、ブルで土砂や雑草を取り除いてあり気持ち良く走れました。(前回大会は不通箇所) 約5kmで三軒屋エイドに到着します。早速鹿の肝煮や鹿肉煮が出てきました。ここは、以前の大会で渓流釣倶楽部が前日から泊まり込み、目の前の川で天然のアマゴや岩魚を釣り上げランナー全員に塩焼きを振舞った記録がありました。私も昔流釣師でしたので、参加人数分の渓流魚を釣るのが如何に困難なのかが良く分かります。天然の渓流魚が味合あえた奇跡のエイドだったそうです。 この先に、最大の難所が待ち受けています。約5km先の「はんば亭」までは、「下栗の里」を経由して急坂の標高差500メートルを一気に登ります。私は最初からこの上りはウォークで通過です。各地から馳せ参じたウルトラランナーは軽々と追い越して行きました。つづら折りの蕎麦畑お宅で、奥さんに給水を頼むと「山水で天然100パーセントやで」と激励され飲んだ水は喉越し最高。 やっとのことで、標高1076mの「はんば亭」エイドに到着です。ここの名産は「下栗芋(二度芋)」という小ぶりのジャガイモでとても美味しかったです。ぶどう等の果物も用意されており沢山頂きました。 南アルプスが望める「サンセットポイント」があり、天空の里ビューポイントを10分で往復したと豪語したランナーが駆け抜けて行きました。 これから2,5kmは、新コースの下栗遊歩道という落ち葉が積もった林道です。ふかふかの絨毯の上を走る感じで気持ち良いコースでした。舗装林道に出てひたすら坂を下る途中、後方から「タッタッタ」と軽い足音と共に猛スピードで追い越したランナーがいました。予想通り「ヤッチャンことA井さん」下りのスペシャリストでした。トランスアメリカやトランスヨーロッパ等の長距離走、日本縦断ランなどの超ウルトラランナーです。話を聞くと、これまで故障知らずの強靭な足腰の持ち主と聞いてとても羨ましい限りでした。 やっと国道に出ると其処には、ルーマニアに同行した飯田のセレブ「シズコさん」が応援に駆けつけてくれました。この大会の推薦者の一人で、赤いパンダで伴走し「ワープしろ。車に乗せてあげる。」と誘惑してきました。それを必死に断り「八日市場エイド」から「梨元停車場エイド」までなんとか走りました。 このエイドは、以前の森林鉄道の起点駅跡で、名物は「アマゴ塩焼き」で一人一匹ずつ美味しく頂きました。私が到着した時は、後続ランナーが20人でその分アマゴを残すと言っていました。銘酒「喜久水」が売り切れ、焼酎の水割りが出て来たので思わず二杯お代わりしてしまいました。 先着して休憩中の数名は「次の関門まで時間が余るので、ここでもう少し休憩しよう。」と言って時間調整中のランナーがいました。これって絶対ピクニックですよね。 私は、この連中よりスピードが遅いので先行しました。これから先は道幅が急に狭くなり、和田宿の旧市街地に入っていきます。途中の民家の施設エイドには、毎年顔を揃える90歳トリオの美女が応援してくれました。 そして、難関の龍淵寺の築600年の急階段が待ち構えています。上の境内からスタッフが「何処から来ました。正面でお参りして下さい。」と声をかけてきました。本堂にお参りを済ませた後、次のエイドへと急ぎ過ぎ、児童文学作家「椋鳩十(むく はとじゅう)の歌碑」を見落としました。この椋鳩十は下伊那郡喬木(たかぎ)村出身で、この遠山郷を訪れた際 「星の美しい里・河の美しい里・人の心の美しい里」 と絶賛したことで、このお寺に歌碑が建立されたそうです。 お寺の境内を出た所に、お寺の施設と勘違いする喫茶店「和田城」がありました。私設エイドで本物コーヒーと烏骨鶏のゆで卵が出てきました。それに、初物の林檎を頂きました。名水100選の観音霊水の横を通過すると、駐車場がありそこが龍淵寺エイドでした。到着時刻は関門制限1時間前でしたが、最初から予定していた通り、川向こうにゴールのかぐらの湯が見えたので、10kmを残し余裕をもってワープ(棄権)宣言をしました。 このエイド名物は「ふじ姫饅頭」でしたが、うっかりして食べそびれしました。 街道筋に下り、鈴木精肉店から対岸に渡ろうとしたら、少し向こうにカキ氷エイドがあったので、カキ氷を頂いてゴールに向かいました。 次の島畑エイドは、珍しい珍酒など5種類(蝮酒、熊の胆酒、スズメバチ酒、きんかん酒、しそジュース)が出ましたが、次回以降の楽しみに残して置きます ゴール地点では、リタイヤしたと申し出ましたが、完走者と同じ扱いで月桂樹王冠を被り写真撮影をして頂きました。 早速かぐらの湯で一汗を流し、缶ビールを飲んで仮眠して後夜祭に備えました。15時30分ごろ、最終ランナーがゴールした花火の号砲が轟きました。後で、 最終ランナーが「つじポンさん」と分かりました。後夜祭でつじポンさんから、私 の姿が途中で消えたとおしかりを受けました。 〇 盛り上がった後夜祭 後夜祭は、かぐらの湯の宴会場で模様されました。前夜祭の何倍もの盛り上がりでした。食材も豊富でお酒もたらふく出ました。私は、A井夫妻のテーブルにお邪魔しました。東海マラニッククラブ会長がA井さんの奥さんの実兄とお聞きして二度びっくりでした。このクラブの方々は迫力満点で、特に「翔峰さん」の「来年は、早く走りアマゴを食べる。来年はクラブから30名を動員する。」と豪語したのには脱帽しました。持参の河内ワインが好評で、あちこちのテーブルから手が延びて来て直ぐに売り切れました。 主役は、やはり湊猛実行委員長のトークでした。くじ引き抽選会も盛り上がり、個人トークも段々エキサイトして来ました。 奈良王寺ランナーズ「SL・T中さん」の遊歩道を転げ落ちた自虐トークは、蒸気機関車のような迫力で爆笑ものでした。この女性群もなぜかトリオでした。 グループ行動が苦手な女性達が多い中、マラソンはなぜかトリオで行動する人が多いのですかね? 女性問題評論家の落語家に尋ねてみたいものです。 〇 エピローグ この大会は、地元民の熱烈歓迎と愛情たっぷりのおもてなしで盛り上がる、まれに見る貴重な大会といえます。 大会事務局は、マンネリ化を防ぐために毎回コースや距離を少しずつ変更するそうですが、参加定員を増やす予定はないそうなので、当分狭き門が続きそうです。 私自信、この大会に一度でも参加すれば、病みつきになりリピーターになる理由が良く分かりました。この楽しみ味合う為には来年も参加するしかないでしょうね。 東海マラニッククラブの皆様、来年も私達の出場枠を残しておいてくださいね。 (文中の写真の一部に、主催者、参加者の写真を了承得ないまま流用しましたので、この紙面でお詫び申し上げます。) |
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2013年2月11日 | ||
ハワイタイムシェアの楽しみかたレポート |
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以下PDFにてご覧ください。 2013-hawaii.pdf へのリンク 〒633-0206 奈良県宇陀市榛原天満台西4丁目15−8 ガンチャンこと 岩 元 健(淀川ランナーズ) ・自宅電話 (FAX) 0745-82-4763 ・携帯電話 090-8936-1572 ・携帯メール iron.runner31505@docomo.ne.jp ・自宅 Eメール t-iwamoto@kcn.jp |
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2012年6月20日 | ||
第1回ブカレスト国際ハーフマラソンレポート |
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以下PDFにてご覧ください。 bucharest.pdf へのリンク 〒633-0206 奈良県宇陀市榛原天満台西4丁目15−8 ガンチャンこと 岩 元 健(淀川ランナーズ) ・自宅電話 (FAX) 0745-82-4763 ・携帯電話 090-8936-1572 ・携帯メール iron.runner31505@docomo.ne.jp ・自宅 Eメール t-iwamoto@kcn.jp |
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2009年6月10日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第14回鯖街道マウンテンマラソン(Bコース:42km) |
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○ プロローグ 只今、人気沸騰中のトレイルランの愛好家、これからチャレンジしようとしているランナーのみなさま「鯖街道」と聞けば、郷愁にかられ故郷の情景が瞼の奥に蘇るような響きがありませんか。その古人を偲び歴史街道をたどる大会が京都にあります。 主催者と参加者が熱く燃え、元気と感動をたくさん貰えるのは、京都トライアスロンクラブの主催する「鯖街道マウンテンマラソン」という大会です。私が、この大会を絶賛する理由は、一度参加すれば他の大会とは比べようもない運営の素晴らしさに感動し、日本一のエイドの美味しさに酔いしれることでしょう。 この大会を紹介するため、4年前から実行委員長に就任し奮闘中の綱村氏の協力を得ました。そこで、この大会の歴史と経緯、日本一のエイドの話、裏方の苦労話などの真髄をお聞きしました。この大会の内容は、綱村氏の話を織り交ぜてお話して行きたいと思います。このレポートを読まれたランナーは、この大会のリピターとなること請け合いです。 ○ 鯖街道マラニックの歴史と経緯 鯖街道は、若狭から京まで新鮮な魚介類を運んだ街道を、いつしか「鯖街道」と呼ぶようになったそうですが、ルートはいく通りもあったそうです。 マニア間で密かに楽しんでいた長距離走は、昭和61年のサロマ100kmマラソンが第一期ブームになり、平成6年の四万十川100kmマラソンが第二期ブームとなって、全国各地にウルトラマラソン大会が沢山創設されました。 丁度そのころ、このクラブでも山岳マラソンの先駆けとして「京都東山36峰マウンテンマラソン(30km)」の開催を期に、更に、過酷な山岳マラニックを創設する計画が持ち上がったそうです。 橋詰会長ら精鋭部隊は、残雪の残る早春小浜から京都北山に分け入り、山師しか通らない踏み分け道を探し、実地踏査を何度も繰り返し苦労を重ねた結果、小浜から京都を最短距離で結ぶ「根来(ねごり)坂〜針畑ルート」を開拓するに至り「京は遠ても十八里〜鯖街道マラニック(80km)」の開催に漕ぎ着けたとのことです。 この大会は、平成9年に第1回がプレ大会として、全国で活躍中のウルトラランナーに呼びかけ開催したところ、盛況のうちに無事成功を納めたそうです。 そして、翌、平成10年に第2回大会が一般公募して開催の運びになり、私もこの大会の参加者に勧められ初参加しました。しかし、このコースの過酷さは想像を絶し、走力不足からやっと完踏はしたものの、暫くこの大会から遠ざかり、その後、第7回、第8回に参加しましたが、やはり力不足で関門ギリギリに完踏するのが精一杯の状態でした。今回は、故障中の膝も小康状態であり、数年前から新設されたショートコース(Bコース:42km)なら完踏出来る可能性を感じ、久し振りにこの大会にチャレンジすることにしました。今回この大会に参加して、良き伝統が継承して良かった点、改善されていた点、今後改善を要望したい点などについて思いつくままに書いてみたいと思います。 ※ 受付からスタートまで まず、最初に気になった点は、距離が80kmから76kmに縮小になっていた点です。正解は、参加者から距離が短いとの要望で、コース全体について距離測定器を用いて測定を何度もやり直し、9回大会以降に距離が正式に訂正されたそうです。ゴール地点の変更は、買い物客の苦情で出町柳桝形商店街から、出町公園に変更になりましたが距離は100メートルと誤差がないそうです。 次に、大会名が「鯖街道マラニック」→「鯖街道ウルトラマラソン」→「鯖街道マウンテンマラソン」に変遷していた点は、Bコース(42km)を新設した際、Bコースはウルトラと違うとの意見から変更されたそうです。来年から「鯖街道ウルトラマラソン」に戻すそうです。Bコースは、私が住む奈良からでも、スタート時間に十分間に合い、手軽に日帰りでエントリー出来ることが嬉しいです。受付とゴール地点が出町柳駅徒歩5分というのも大変気に入りました。 次は、ゼッケンに名前が入ったことが大変良かったと思います。年齢を重ねる度に人の顔と名前を思い出せず難儀しております。今回は、これが大変役立ち美人ランナーの「黒岩女史」の名前が直ぐに思い出せて助かりました。Bコースゼッケンは黄色で目立ちましたが、メインのAコースゼッケンは白色で地味でしたね。山岳でも映える派手な色がAコースにはお似合いと思いますが如何でしょうか。 スタート地点は、梅の木で出町柳駅から5台のバスで約1時間の移動でしたが、午前8時30分ギリギリに受付した人も十分間に合っていました。 今回は、職場の同僚でトライアスリートの俊足「仲」君と偶然に遇い、スタート地点までバスで移動しましたが、スタートするとあっという間に消えてしまいました。 私は、天候がメーイストームで大荒れの予報であったので、雨衣に手製スパッツ、軍手、ボトル、リタイヤした時にワープする小銭を携行して万全を期しました。 このスパッツは、以前の大会で小石や泥が靴の中に侵入して困ったので、シューズに合わせて自作した物で、今回は最後の杉峠の水溜りに水没するまで、靴の中は濡れず実力を発揮し快適でした。
○ 注文その1 ある大会では、必ずスタート前に実践していることですが、この大会は山岳マラソンであるので、特にコース上のアクシデントや関門時間、迷い易いポイントなどをスタート直前にハンドマイク等でランナー全員に呼びかけて欲しいと思います。 その際、今年ゴミ拾いをしたスイパーからの強い要望である、食べ物を散らかした不謹慎なランナーがいることを注意喚起し、コース上にゴミを捨てず環境保護を念頭に走るように指導することが大切ではないでしょか。 ※ スタートから大見エイド(18km)まで スタートは、午前10時ジャスト霧雨が降りしきる中、梅の木大橋上でスタッフ2名が時計を見ながら静かにスタート合図をしました。人里離れた場所なので、大声でカウントダウンするか、「行くぞ。ファイト。」など気勢で盛り上げたスタートを期待していただけに少し寂しかったです。 コースは、奥山川沿いに上り坂をゆっくり走り、やがて4km先でAコースと合流する針畑川の川合に出て、そこから、左の久多川沿いに更に上って3kmで、第1エイドの久多自然環境活動センター、Aコースの中間点に到着しました。 このエイドは、Aコース(41km)Bコース(7km)地点です。 丁度、ほど良い汗をかき、午前11時前に到着し余裕をもって着いたので、早速おにぎり(一人2個限定)や塩昆布まぶしキュウリなどを堪能しました。このエイドはその他に沢山の栄養補給があり、十分過ぎるサービスが待っているので、つい長居をしてしまします。Aコースであれば、ここに辿り着いた時は、いつも疲労困ぱいで関門ギリギリであるのでリタイヤで悩むエイドです。今回は、余りに早く着いたことから身体も気持ちも余裕たっぷりで、時間内の完踏を目指してビールは我慢して出発しました。 先行した黒岩女史を追って、オグロ谷のゴロゴロ石の林道を突き上げて行きました。坂も段々ときつくなり、走れなくなったころでやっと黒岩女史に追いつき、世間話をしながら距離を稼ぎました。そして、コースは白木に「鯖街道」と書いた道標の所から九十九九折れの登山道へと登ることになります。この道は急峻でウォークで乗り切りましたが、話し相手がいたことで余り苦にならず乗り切ることが出来ました。 やっと、オグロ坂峠(860m)を越え、自然水の飲み場に到着です。黒岩女史に「ここの水は、このコースで一番美味しい水です。」と宣伝して、私もしっかり喉を潤しました。ここから先は、八丁平の高湿原とブナ林がとても気持ち良く、私が最も絶賛したいトレイルランポイントです。私は、いつもゆったりその感触を確かめ、ふかふかした絨毯のような腐葉土の上を、後から来るランナーに道を譲り、天空を駆ける気分を満喫しながらランニングを楽しみました。 この八丁平は、迷い易いポイントにボランテア誘導員が立っていましたが、今回もコースを間違えた人がいたそうです。マラニックやトレイルランは、コースを間違うことは数多くあります。「ウルトラ遠足」主催者の海宝氏いわく「同じ参加費で、余分に走れたことに感謝しよう」と言いました。私もこの話に大いに賛成です。コースを間違えたことを悔やむよりも、他のランナーとは一味違うランを楽しんだことを喜びましょう。 ○ 注文その2 コースの表示板は、白木の「鯖街道」の道標が一番信頼出来ました。地面に置き石して置いてあったラミネート表示板は、ランナーからは全く見えない状態でした。 せめて、ランナーの目の高さの位置に、表示板を杭打ちして見易くするか、又は、蛍光テープを立木に巻いて方向を指示する方法がベストと感じました。 八丁平の高湿原を抜けて林道に出ると、そこには毎年常連のボランテァがコース誘導をしています。今回も「岡野さんいますか?」と尋ねると、二人の女性が一斉に振り向き、やがて「やあー、久し振り。元気にしていたの?」とウルトラランナーの岡野女史が挨拶してくれました。彼女は、全国の数々のロングマラニックを制覇している手強いランナーです。その彼女は「この先に黄門さんが居るよ」と言いました。 そこから直ぐ先のフジ谷峠入口の誘導路で、小雨降りしきる中その「黄門さま」は黄色の雨衣姿でじっと我慢の誘導をしていました。 私は、この黄門さまに向かって「お久しぶりです」と声をかけて、ボランテァの苦労を労いしました。なぜ黄門さまと呼ぶのかというと、以前参加した「奈良かぎろひ132km」で完走を諦め歩いている時、この松倉氏に引っ張って貰い完走させて貰ってから「完走請負人の黄門さま」と呼んでいるのです。この松倉氏は「さくら道」などの多くの大会で完走請負人をしている、偉大なウルトラランナーなのです。 フジ谷峠は、いつ走っても赤土で滑りやすく、転びそうになりながら、何とかこの難所を通過し、小川を渡り林道に出た所に新しいエンドがありました。 このエイドは「尾越エイド」で、名物はスペシャルドリンク「ひやしあめ」でとっても喉越しが良く、つい何杯もお代わりをしてしまいました。 このエイドは、Aコース(47,1km)地点です。 そして、小さな尾越集落に入り、以前から気になっていた「石の家」を探しました。(北の国からの、石の家とそっくりで、何年も未完成でした) ところが其処には、のログハウスが数多く新築されており、どの家が元の石の家だったか判別できませんでした。この先には、いつも杉峠と勘違いするもう一つの急な峠が待ち構えています。その峠は杉小立中にある「前坂峠」で舗装道路ですが、上りが急で歩いて上り、一気に下ると「大見エイド」に到着します。 この「大見エンド」の名物は、この大会で定番メニューになった「炭酸抜きコーラ」です。この旨味を一度堪能すると忘れられない味になること請け合いです。 このエイドで、一番感心したのは、大きなエイド表示板で 「大見 Aコース 52 Bコース(18)次のエイド(杉峠)まで 48km ゴールまでわずか24km もう少しガンバレ!」 と書いてあり、この表示板を見て自分の位置と時間が直ぐに判断でき、ホット安心させられ助かりました。 このエイドの横には、女子トイレがあり黒岩女史が順番待ちをしている間に凄いスコールが襲って来ました。慌てて雨衣を着込んでいると、私達の前をランニング雑誌から抜け出たトレイルランスタイルでバシッと決め、リックを背負ったヤングギャルカルテットが、颯爽と駆け抜けて行きました。(ウルトラやマラニックに、このような若者が大勢参加してくれることは大変喜ばしいことです) ※ 杉峠から鞍馬関門へ いよいよ、最後の難所である杉峠に向い、二ノ谷を突き上げていきますが、分かれ道の地面に置かれてあったラミネート表示板は殆ど確認できませんでした。 私は、毎回この坂道を通過する際、どのピークが「杉峠」なのか判断つきません。 今回も、上り詰めてピークに達すると、その先に、更に、次のピークが待ち構えており、上れども上れれども峠はなかなか現れず、なかなか越えられない苦しみを味わうことになります。地図で確認すると、最初に滝谷山(876,2m)の稜線を通過し、次に和佐谷峠を通過して、杉峠(820m)を越えると、最後が花背峠になっています。 この林道は、この大会で一番の悪路が始まり、沢山の水溜りが連続して現れます。 水溜まりは、縁が良く滑る赤土で、足を取られ靴が水没し泥まみれになりながら走らなければならない苦痛を感じます。私が、最も嫌な区間で悪戦苦闘を強いられるところです。今回は、水はけ工事が思いの外進んでおり、この水溜りは何カ所も無くなっていて、少し快適に走れて良かったです。残念だったのは、林道奥深くに心ない人が放置した車両が以前よりも増加していました。特に、大型キャンピングカーまでが捨ててあり、自然破壊が加速度的に進んでいることに失望させられました。 杉林を抜け、空が開けて来ると直ぐ先に「杉峠エイド」が待っています。 この大会では、二番目にグレードの高いエイドで、栄養補給もたっぷり堪能できます。 激しい雨が降りしきる中、タープが飛んで悪戦苦闘しながら、サポートするスタッフの苦労に頭が下がりました。ここの名物「豆腐ソーメン」は、早いランナーしか恩恵を受けることが出来ないそうですが、普通のソーメンでも十分満足で、何杯もお代わりしました。その他に「ところ天」も人気があり、ポン酢の味付けが絶品で大変美味しかったです。このエイドは、Aコース(56,8km)Bコース(22,8km)地点です。 私達は、このエイドは余裕を持って通過し、鞍馬までの国道を一気に下りましたが、今回は、立木に「マラソン大会を実施しています」と看板が掲げてありました。 前回大会で、ランナーと車が接触したことから、ドライバーに注意を喚起するために設置したそうで、私達も無理をせず左側走行を順守して、急な「いろは坂」を安全にクリアし、長く感じる5キロの道のりを走り切り、鞍馬温泉に到着しました。 下りに強いカルテットは、私達を一気に抜き去り、この鞍馬温泉駐車場に飛び込んだので、私達もてっきり「鞍馬エイド」と確信して入って行くと、何とエイドが消えていました。私は、慌てて入口の看板を見ると「あと1km先にエイドあり」と書いてありました。エイドは、以前と同じであると勘違いしており、おまけに、事前にコース概略を熟読していなかったことで、大きなミスを犯していたのです。 「鞍馬駅前エイド」は、鞍馬寺山門を正面に見る民家のガレージに移動していました。関門閉鎖時間は「午後4時10分」になっていました。ここの名物は「みそ汁」で、冷え切った身体にとても美味しく温まり助かりました。このみそ汁は、悪天候の関係で注文が集中して品切れになり、民家に分けて貰いに走ったハプニングがあったようです。私達は、午後3時前に到着したので、黒岩女史が「前回は、関門ギリギリで着いたので心配でした。こんなに早く着けば、次の市原の関門も余裕で通過できます」と満面の笑みを浮かべました。スタッフも、「あと残り12キロで、歩いても十分ゴールできますよ」と激励してくれたので、後方から通過する車に注意を払いながらスピードを落とし、ゆっくり走って行きました。 ここのエイドは、Aコース(63km)Bコース(29km)地点です。 ※ 市原エンドからゴールへ 信号がある交差点に出て、誘導ボランテァの指示で右折すると、直ぐに「市原エイド」に到着しました。黒岩女史いわく「以前の説明書では、確か5キロと書いてあったが、4キロしかないよね。鞍馬関門からここの関門まで僅か20分しかないので、これを通過するのは不可能ですよね」と言いました。確かに、鞍馬関門を午後4時10分に通過しても、市原関門までの4kmをキロ5分で走らないと午後4時30分に通過出来ないことになる。ウルトラでは、ここまでの疲労を考慮すると、関門通過は不可能な時間となる。このエイドは、民家のガレージの大屋根の下に設置され、雨から守られており、名物はアップルパンで美味しかったです。 このエイドは、Aコース(67km)Bコース(33km)地点で、関門閉鎖は16:30です。 そして、コースで最後の上り坂が待っており、歩道を走り右手のグリーンセンター施設を通過する。その先で、雲が畑川と合流する山幸橋を渡り、賀茂川右岸の歩道を南下して、しばらく走って賀茂川の高橋を左岸へ渡り、左の京産大グランドと右手の鴨川公園グランドの間を通過する。そして、誘導ボランテァの指示で柊野ダム信号を直進し競馬厩舎横を通過すると、賀茂川の川原に下りる「上加茂MKボール」地点に到着する。以前は、ここからゴールまで残り10キロと勘違いしていたが、正しい距離は残り5キロしかないことが分かり気持ちが楽になりました。 ここは、Aコース(71km)Bコース(37km)で残りは5km地点です。 毎回気になったのは、目印の「上加茂MKボール」です。建物の屋上にボーリングピンでも立っていれば目立つはずだが、それがないので不思議であり、今回はカーピカランドの表示が目印になって気付き、気になっていた目印の件は解消されました。 誘導ボランテァの指示で、賀茂川の河川敷の遊歩道に入って行くと、水溜りが多く赤土を固めた遊歩道は凹凸の高低差が多く、走り難いので芝生を選んで走って行くことにしました。すると、いきなり早い地点にエイドの出現したことで驚きました。そのエイドは「西加茂橋エイド」で、以前あった最後のエイド「出雲橋エイド」は、ボランテァの負担が多く、数年前に廃止されここに移動したそうです。 そのエイドで、懐かしい走友の小園氏から激励を受け、足取りも軽く残り4つの橋(御薗橋、上賀茂橋、北山大橋、北大路橋)をクリアして、最後の出雲路橋を上がり、この橋を西へ渡って公衆トイレ横から、再び川原に降りました。 そして、ラスト1キロのフィニッシャーロードを、今日の健闘と感激の余韻に浸りながら気持ち良くゴールを目指しました。すると、背後から例のカルテットの追撃を受け「お疲れさま。お先に行きます」と黄色い声をかけられました。この女性4人組は、にっこりと微笑みながら軽快なピッチでゴールを駆け抜けました。 ゴール手前には、ゼッケンを読み上げるボランテァが立っており、私はゼッケンの上に雨衣を着込んでいたので読み取れず、残念ながらゴールの瞬間のアナウンスを聞くことが出来ませんでした。しかし、黒岩女史と手をつなぎ「6時間11分38秒」でゴールできました。ゴール後、綱村実行委員長の出迎えを受け、久し振りに完踏した喜びに感無量でした。今回、時間内に完踏で出来た最大の理由は、最後まで励ましあった走友と並走できたことが一番です。気持ちが切れることなく楽しく走れたことで、黒岩女史に感謝を申し上げたいと思います。 ゴールアナウンスは、毎年黒田悦子女史が担当し、絶妙なランナーの紹介が評判ですが、今年は娘さんも応援に駆けつけてアナウンスし、その初々しいアナウンスが好評でしたので、来年以降のアナウンスが楽しみです。 ゴールした時、丁度小雨模様でしたが、ゴールしたランナーに対するスタッフやウルトラ走友の中平女史らボランテァの誘導と参加賞の手渡しは的確、且つスピーディーで大変好感が持てました。久しぶりに逢ったウルトラ走友の今村氏から労いの言葉と参加賞の「焼き鯖」と鯖ロゴ入り「オフホワイトラガーシャツ」頂き、普段着として重宝させて頂いています。ゴール後には、完走証の交付(希望者のみ)豚汁、銭湯入浴券のサービスや缶ビールの販売もあり、早速、黒岩女史から缶ビールの差し入れがあり、完踏を祝って感激のビールを一気飲みさせて頂きました。 着替えをしていると、名古屋の金澤氏がAコースを完踏しました。この金澤氏は、前回大会は不調で最後尾を走り、スイパー(林田女史)が最後までサポートして完踏した際、この林田スイパーと抱き合い号泣した逸話が残っているそうです。この金澤氏は、私より年配ですが、今回の走りをみる限り今だに健脚は衰えておらず、凄いランナーであることを証明していました。 ※ エピローグ ○ 今回は、Bコースに参加させて頂きましたが、良い大会が消えて行く中で、こんなに主催者やボランテァが頑張って盛り上げ、参加者も喜んでいる大会は、関西では他に見当たらないと思います。 綱村実行委員長が力説したのは ・各エイドは、エイド長を指名して全責任を持たしている。基本的な栄養補給は大会本部から支給するが、それ以外の名物はエイド長に任せている。 これが功を奏し、毎回ランナーを喜ばす名物が誕生する秘訣になっている。 ・既に、来年の名物作りに意欲を燃やしているエイド長が活動を始めている。 ・エイド担当者は、ウルトラランナーなので、参加者が今何を求めているのか熟知しており、その要望に副った栄養補給を用意している。(だから、フルでは見かけない梅干し、あら塩、塩こぶなどが平然と並んでいる) ・スイパーなしに、この大会は成り立たない。このスイパーの苦労を褒めてやる機会がないので、この紙上で取り上げて欲しい。 という話でした。 確かにトレイルランは、遭難、転落死などの危険性と背中合わせで、昨年のハセツネや関西のロングマラニックでの転落死などが増加している。そんな状況の下で、主催者としては、一応参加者の自己責任にはなっているが万全を期して、無事故で大会を終了するための方策に全知全能を費やすそうである。 その方策の一環が、若手のエースをスイパーに投入したことだそうです。しかし、最後尾を受け持つ、このスイパーの働きは、参加者が会場を去った後しかゴールに到着出来ないので、その苦労を労ってやる人が居ないそうです。(正に縁の下の力持ちのお陰です)今回大会も、負傷者、リタイヤ者、コースを間違えた者など、コース上に残っているランナーゼロを確認しつつゴールに戻って来たことで、やっと大会実行委員長が終了宣言したそうです。 このスイパーのリーダーは、責任感の強い「森 拓也」君で、事前打ち合わせの段階から真剣に取り組み、他のメンバーの取り纏めも上手で、与えられて役目を完璧に遂行して、大会関係者から讃辞の拍手があったとお聞きしています。 このスイパーからの苦言は「ゴミをコースに捨てないで下さい。自然環境の保護に協力して下さい。」最後尾を走り、このゴミ収集活動をしたそうです。 私達は、雄大な自然の中を走ることを許して貰っていることに感謝し、自然環境の破壊や地域、沿道の住民に絶対迷惑をかけてはいけないのです。謙虚に反省し、二度とこのような不謹慎なランアナーが出現しないようにお互いに注意しましょう。 スイパーの皆様、大変ご苦労様でした。お陰様で参加者は全員無事に帰宅出来ました。このスイパーの方々に対し、この紙面上で感謝を申し上げます ○ 以前なら、この大会は、主催者が小浜市観光協会に出向いて挨拶していたそうですが、現在はこの大会に市の観光協会から挨拶に訪れ、行事の一環として認知するほど盛り上がっており、町興しに大変貢献しているそうです。 特に、今回は、オバマアメリカ大統領人気で宿泊場所の不足の噂が先行し、Aコースのエントリーは、いち早く締切り期日前に定員に達したそうです。 この大会は、「下根来さみどり会・小浜山の会・小浜走友会」の熱い声援と協力から成りたっていることを忘れてはなりません。この大会は、廃れてしまった「鯖街道根来ルート」を復活させたことで、この会が、巨大な「鯖ロゴマーク」の壁画の作成や登山道の草刈り、整備などの縁の下の力持ちの積極的なバックアップがあるからこそ成功しているのです。この会は、雪が解ける早春からこの大会に向けて山に入り、壊れた登山道の整備や草刈りなどに精を出し、ランナーが気持ち良く走れる環境作りをしており、エイドのサービスも満点です。ランナーは、この陰の協力なしに安全に走れないこと認識して、各人がこの会に感謝しつつ、これからもこの大会に参加した際は、この想いを情熱に変え元気な走りをしたいと思います。 ○ 今回大会も、負傷者やリタイヤ者が数多く出たそうです。この大会は、平地のマラソンとは比べものにならない過酷なコースであることを認識し、トレーニング方法や装備類、テーピン方法、地図の読み方、コースを迷った際の回帰方法などをしっかり勉強してから参加すべきです。 大会要項にある ・Aコース(過去に12時間以内完走者、ウルトラマラソン完走者、フルマソソン4時間以内完走者) ・Bコース(フルマラソン5時間以内完走者) の実力を備え持ったランナーだけが、参加できる資格を有していると思って下さい。 つまり、アップダウンを考慮して、Aコースの場合「距離:100km以上:完走時間:13時間以内」の走力が必要で、Bコースは「距離:50km以上:完走時間:5時間以内」を目安にしてエントリーすることが肝要かと思われます。 この大会は、過酷さばかりを強調すると、参加者の減少を危惧しますが、トレイルランナーを目指しているランナーにとっては、この大会のBコースは日帰り可能で、登竜門として実力を試すのに最適な大会だと思います。 一度参加すれば、その魅力にハマってしまい、記憶に残る楽しい大会となり、翌年貴方は、必ずエントリーして、スタート地点に立っていることでしょう。 ※ 参考資料
※ 大会結果成績 ・ 第10回、第12回優勝者で、今年5時間台を目指していた松原選手は、自己ベスト更新ならず優勝。 ・ KTCのホープ西川選手は、2位でゴール (第10回から第14回まで連続2位)。 ・ 女子トップは、ダントツで寒川選手。 ・ 昨年優勝者で、KTC女子ホープの長谷川選手は、自己記録更新で2位。 ・ Bコース優勝は、今西選手で昨年の自己記録を12分短縮。 ・ Aコースの昨年優勝者、鈴木選手はタイムを落とし7位。 このように、この大会の優勝タイムは年々全国レベルに引き上げられ、優勝争いもし烈を極め、「富士登山競走、ハセツネ」などと肩を並べる、ある意味では関西屈指のトレイルラン大会に発展しつつあります。 しかし、このクラブの趣旨は、今後も底辺を支える市民ランナーを主眼に置いて、ランナーに夢と希望を与える活動を続けて行く大会を主催して行くと聞いています。 今回のレポート作成には、綱村大会実行委員長から貴重な資料の提供や懇切丁寧なアドバイスを受けたことに感謝申しあげます。 来年の「第15回鯖街道ウルトラマラソン」には、大勢のウルトラランナーやトレイルランナーがエントリーし、盛大な大会になることお祈り申しあげます。 |
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2009年4月8日 | ||||||||
東京がひとつになる日(東京マラソン2009) |
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※ プロローグ この大会は、平成21年3月22日に東京都心で開催された第3回東京マラソンです。この大会は、回を重ねるごとに人気が急増しており、今回だけが3月開催になりました。家内は、この大会に出場を熱望したので、余り気乗りしなかった私も仕方なく夫婦で申し込みをしました。ところが、応募者は予想を遥かに超えなんと26万人に達しました。当選倍率は7,5倍で運悪く家内が落選し、期待してなかった私の方が当選してしまったのです。家内は気持を切り替え東京見物と応援に回ることになりました。そこで、早速トーキョー☆ブックマーク「早い者勝ち!一日限定2組、36平方メートルのデラックスツイン」というプランを見つけ、スタート地点前の京王プラザホテルを押さえました。部屋は34Fのゆったりスペースで、1Fにはコンビニもあり家内はこの部屋を大変気に入りました。唯一の不満は、スタート地点の東京都庁ビルが反対側で見えなかったことです。 ※ 3月20日(金) 私達夫婦は、片道千円プラスでひかりグリーン車に初めて乗りました。グリーン車は、幅広シートでオットマン、おしぼり、膝かけのサービスがありとても快適な旅でした。 但し、ラジオ放送はヘッドホーンの貸し出しがなかったので、携帯のipodを代用して聞きました。東京駅に午後到着し、先にビッグサイトにエントリーに行くことにしました。新橋からゆりかもめに乗って、あの「湾岸警察」で有名なレインボーブリッジを渡りました。受付には、既に大勢のランナーと家族などが集まって大変な混雑でした。 エントリーは参加者しか入場できないので、家内を入口で待たせゼッケン等を受け取りに行きました。出口でフジテレビ「浜田大明神」の銅像が展示してあり、完走祈願と「あなたの約束」を宣誓しました。各ブースは黒山の人だかりで、この群衆に酔ってしまい早々に退散しました。 今回の東京見物は、10年前のホノルルマラソンに一緒に参加した東京の走友である柏木女史に案内をお願いしました。待ち合わせ場所の渋谷駅前「モアイ像」も「ハチ公前」もどこもここも人だらけで「なんで東京は、このように 人、ひと、人」と想像を絶する群衆に圧倒されました。又、乗った電車の車内にビックリしました。通路のど真ん中に何本もパイプが立っており、更に、長椅子の途中にも、パイプが何本も設置されて邪魔になり、吊革の数もやたらと多かったです。 (これは、大阪にはない電車で、ラッシュ時この長椅子を折りたたむ方式と判明) ※ 3月21日(土) 家内の希望で、葛飾柴又見物に出かけました。ここは、都心から離れた昔の風情が残るのどかな田舎でした。駅前でボランティア「かつしか語り隊」にお願いして、隠れた名所の寅さん埴輪の出土地、渥美清寄贈の灯篭、山田洋二監督のフイルム記念碑、映画の舞台になった「高木老舗の予約席」柴又帝釈天の欄間、木彫り等、寅さん記念館などきめ細かい案内して貰いとて良かったです。江戸川堤に上がり「矢切りの渡し」を眺め、川向こうに「野菊の墓」の記念碑があると説明を受けました。庭園ランキング雑誌で3位になった「山本亭」に入園して抹茶を飲みましたが、足立美術館の庭園とは比較になりませんでした。 続いて、浅草の浅草寺に向かいました。マラソンの折り返し地点でもある「雷門」から仲見世通りを通り、浅草寺の境内まで歩きました。(大提灯は松下幸之助の寄贈です) ここも身動きが取れないくらいの人混みでうんざりさせられました。一歩、裏通りに回ると、昔の風情が残る町並みが残っていました。しかし、六区ブロードウェイの寂れようと対象的に「ウインズ浅草」に集まるギヤンブラーの群衆が際立っていました。 商店街にはすしや通りやそば屋が多く、私達夫婦は、三大藪そばである「並木そば」でざるそばを食べました。しかし、大阪のだしと違ってとても濃く、最後に出るそば湯を全部入れても、なかなか飲める味にならず味の違いに戸惑いを感じさせられました。 この日の最後は、国立競技場で柏木女史と待ち合わせの約束でした。都営大江戸線の国立競技場駅は深いところにあり、B4からやっと地上に出る感じです。柏木女史はこの競技場で活動している「霞ガ丘楽走会」のメンバーです。このクラブの由来はこの競技場が「新宿区霞ガ丘町」であるからそうです。なるほど!(このクラブにはランニング誌に度々登場する100キロマラソン完走を100回達成した有名ウルトラランナーの小嵐Drがおられます。) 私達夫婦は、早めに着いたのでトレーニングすることにしました。私はウェアを準備していましたが、家内はウェアを持っておらずショップで買って競技場内のトラックを30分位ジョギングをしました。家内は「東京オリンピック選手や東京女子マラソン選手と同じ所が走れる」と喜んでいました。東京オリンピック聖火ランナーの坂井さんが駆け登った階段や、聖火台を眺め感激しながら走っていました。その後、柏木女史の案内でこの日開花宣言があった桜の下を、明治神宮外苑から神宮球場を通り、赤坂御用地(東宮御所)一周(約3,5キロ)をランニングして気持ち良い汗をかきました。(東宮御所周遊道路は、お巡りさんが各角で立番しており、東京で夜間一番安全なジョギングコースとのことです)その後、競技場内の立派なサウナ、水風呂付大浴場で汗を流して、行き付けの居酒屋で完走の前祝いをして盛り上がりました。 ※ 3月22日(日) マラソン当日は、午前6時にホテルのレストランで朝食を取りました。土佐礼子が食事をしているのを偶然見つけ、幸先が良いとニヤリと笑って家内から失笑されました。 スタート地点には、ホテルフロント(2F)から1階道路に下って荷物預けに行きました。流石に日本で最大のマラソンで出場者が次々と集結し、道路も公園、空地も人で埋まってしまいました。荷物預けゲートからは応援者は入れず家内と別れ1階道路から迂回させられ2F道路の「Jブロック」に誘導されました。(スタート地点は立体道路2Fになります。) 私のスタート順番は、10ブロックの最後尾の「Jブロック」でスタート地点は遥か前方で全く見えない位置でした。最後の「Kブロック」は列の途中から割り込んで来ました。(自己ベストは3時間23分と記載しましたが最後尾になりました。) すし詰め状態で40分じっと我慢しました。すると、突然マンションの5階べランダから熟女二名が、ランナーに向かって万歳三唱を始めました。その場で苛立っていたランナーから思わず爆笑と拍手喝采のお礼の嵐が起ったのです。 そして、いよいよスタートの9時10分になりました。しかし、合図の花火が打ち上げられましたが、スタートピストルは全く聞こえず行列はビクとも動きませんでした。 やがて、約15分を経過したころ、前の方から序々に人の波が動き出しました。ぞろぞろと歩いて行くとコースは途中で左に曲がり、女性キャスターの姿が現れ都庁前のひな壇が見えました。そして、スタート台で笑顔で拍手している石原都知事の姿が見えたので、思わずカメラで撮影して、やっとスタート地点を通過することができました。 (約20分以上オーバー) そこから、やっと走れるようになりましたが、ランナーは道路一杯に溢れスロースペースでゆっくり靖国通りを下って行きました。この密集状態では、前後左右のランナーと手足が接触し、とても前方に抜け出る態勢が取れませんでした。その流れに身を任せながら皆と同じペースでやむを得ず走りました。コースは道路全体が一方通行なっており、中央分離帯の段差や他のランナーと接触して転倒する者が続出していました。沿道は大勢の応援団は途切れることがなく続き、この応援団の凄さにも圧倒されっぱなしでした。 応援演奏のトップは、いきなり東京大学ブラスバンドが現れ、迫力ある演奏でランナーの気分を高揚させてくれました。続いて、市ヶ谷の防衛省前では制服自衛隊員のブラスバンドが演奏してお祭りモードを更に盛り上げてくれました。 5km手前でトイレを探しましたが、仮設トイレは何処も長蛇の列であきらめて、コンビニを見つけて駆け込みました。しかし、私と同じ考えの先客が6人もおり、ここでも10分ロスしてしまいました。(5km通過52分)飯田橋から皇居前に行くと、今度は皇宮警察ブラスバンドが、金錦の旗を立てて応援演奏をしており身が引き締まりました。 10kmゴール手前の祝田橋では、10kmコースとマラソンコースにレーン分けされていました。ここで、マラソンコースが急に圧縮されたことで、更に、渋滞がひどくなりペースダウンを余儀なくされ、その状態で約2キロの間を団子状態のままノロノロと走らされました。10kmのフィニッシュ地点を過ぎると、やっと集団がばらけ出しペースアップできて、キロ6分で走れるようになりました。 (10km通過1時間24分) ここで、反対側車線には復路の第二集団の俊足ランナーが続々と引き返して来ました。やがて、家内と柏木女史が待っている増上寺の山門が見えて来ました。一番上の石段に二人が立っているのを私が先に見つけ声をかけ、快調なペースで品川折り返し点を目指しました。エイドは2km毎に水と5km毎にスポーツドリンクが置いてありました。私は、意識してスポーツドリンクを選んで飲みましたが、後続のランナーにもこのドリンクは十分ありました。 沿道の応援団は途切れることがなく、覆面集団、和太鼓、よさこい踊り、外人エレキバンド、チァリ−ダーなどが次々と現れ、全国のお祭りが一堂に会した日本祭りの中で走っている錯覚を肌で感じながら、興奮して足取りが軽くなりとても気持ち良く走れました。 中央線沿いを品川に向かって走っている時、往路を走って来た見慣れた黄緑色の「淀川ランナーズ」ウェアを着た男性が、私より先に気づき「淀ラン頑張れ」と声をかけてきました。私は、声を掛けられた瞬間「あの人誰だったか?」と名前を思いだせませんでした。しかし、この男性に向かって咄嗟に手を挙げ「ありがとう」と返事してすれ違いました。この淀川ランナーの男性は、早いペースで快調に走り去って行きました。(後で、岡本氏と判明しました。その時に名前を思い出せず済みませんでした。) そこから、何とかキロ6分半を維持して、15kmを通過し品川の第一折り返し点を通過しました。(15km通過1時間56分) 往路は、日比谷交差点までの直線道路は単調で、気持ちが切れそうになりながら走りました。反対側の往路ランナーは、大半が歩いており撤収作業も早々と開始されて、ボランティアが中央分離帯まで出て来て盛んに激励してくれました。(撤収作業はテキパキとしてお見事でした。)(20km通過2時間28分) コースは、日比谷から東京の都心部である銀座から日本橋に入って行きました。沿道の応援団の人垣も一段と増えてきました。この辺りで、天候は予報通り雨になり、雨衣やビニールを取り出し被って走るランナーが増えました。私は、そのまま濡れたまま走っていると、やがてこの雨は直ぐに上がりました。家内達と次にドッキングする「明治座」が気になり、他のものに注意が及ばす、この付近の様子や記憶は余り残っていませんでした。 20km過ぎのエイドから、6万本の高級バナナ「ラカタンバナナ」やパン、レーズン、チョコ等が出されました。しかし、バナナは皮を剥いてコンテナに入れており、下の方のバナナはグチャグチャに崩れて食欲がなくなりました。パンも1個より食べやすい半分に切って欲しかったです。飴やチョコは、沿道の施設エイドで沢山出してくれるので、エイドでは口にしませんでした。コースは、何度か左折したので、目的の「明治座」は、往路では確かに建物を確認したつもりでした。 (25km通過3時間01分) そこから一路、第二折り返し点の浅草雷門を目指しましたたが、途中でトイレ休憩をとりました。コース沿いには、トイレ表示板が掲げてありましたが、その数は非常に少なかったです。どこの仮設トイレも長蛇の列で、ロスタイムが多くイライラしてストレスが溜まりました。(コース沿いにある、会社やガソリンスタンド、商店、コンビニなどのボランティアトイレを確保して増設出来たら良いのに思います。) いよいよ、最後の折り返し点である「浅草寺雷門」が見えて来ました。ここも応援スポットでは最高ランクのところで、応援団も数も一段と多く賑やかでした。前を走っていた韓国人ランナーは、国旗を広げて興奮して絶叫しながら写真撮影していました。雷門の周遊コースから復路に入り、銀座まで引きき返すことになります。この辺りから、ペースはキロ8分に落ちて行きました。(30km通過3時間41分) 次のトイレ案内板を見つけて誘導されて行くと、そこは何と地下鉄入口でした。東京の地下鉄は大阪と比べてとにかく深い所にあります。このトイレも、およそB2くらいの階段を下った深い所にあり、地上のコースに戻るため階段を上がるのに筋肉痛が辛くてひと苦労しました。途中で人だかりしていたので覗いてみると、私設エイドに暖かい味噌汁とおにぎりのサービスが出ていました。ちょうど身体が冷えており、天の助けとばかり、その暖かい味噌汁を貰って飲むととっても美味しかったです。その他の私設エイドには、梅干しや塩こぶを出している所があり、ちゃんと頂き美味しかったです。 家内達と待ち合わせの約束をした「明治座」を探しているうちに、浴衣姿のかっぽれ踊り応援団に見とれてしまい、いつの間に見過ごして「歌舞伎座」まで来てしまいました。うっかり待ち合わせ場所を見逃したことに気付きましたが後の祭りでした。 今さら引き返すこともできず、このままゴール目指して走ることにしました。(家内達は、最終ランナーまで確認して来ないのであきらめゴールに移動したそうです) (35km通過4時間21分) そのまま走っていると、コースはいきなりバイパス道路(佃大橋)に変わってしまいました。ここから先は、ボランティア以外の応援団は入れず、反対車線では「ロッキーテーマ曲」をラジカセの大音量で流して応援してくれている夫婦がいました。 (前回も応援したそうです) その先には、いよいよ「残り5km」表示板がでており、いよいよカウントダウンが始まりました。ロッキーメロディーに勇気を貰い、バイパスを下って再び次の橋(春海橋)を渡りました。そして、そこから晴海通りに入ると、沿道には応援団増えて来て「大阪、淀川がんばれ」「淀ランがんばれ」の声援に後押ししてもらいました。最後の小さな橋(東雲橋)を越えると、最後のフィニッシュ地点であるお台場に突入して行くと40km表示板が見えました。(40km通過4時間59分) コースは、りんかい線の高架を越え左折すると、チァリーダーから最後エールをもらって右折しました。そこは42km地点で、残り195m先の前方にはフィニッシュアーチが見えて来ました。そこから、猛烈ダッシュして前方のランナーをゴボウ抜きして、二ケ所あるゴールゲートの右端を駆け抜けました。その瞬間「ピ・リー・ピ・リー」とRCチップ計測器の快い響きが脳裏を駆け巡りました。ゴールした達成感に目頭が熱くなり、ゴールに向かって思わず「ありがとう」と一礼しました。 (ゴール5時間15分26秒) ※ エピローグ 今回の東京マラソンは、予想以上にとっても良い楽しい大会でした。来年も是非とも抽選に応募するつもりです。東京都心を6〜7時間封鎖して行われるマラソンで、大会主催者や大会関係者の努力と行動力に感服しました。(石原知事のやることは凄い) これは、ホノルルマラソンを越えた、日本で一番、いや世界に誇れるビッグマラソン&日本祭りの祭典です。参加費(10,500円)は少し高めですが、それでも参加Tシャツ、完走メダル、スポーツタオル等の参加賞が盛りだくさんで満足でした。(完走メダルは他ではウルトラマラソンしかないと思う)スタッフウェア、応援団グッズ等は全てA社が一手に仕切っており、運営には高額予算が投入されている大会でした。この大会は、回を重ねるごとに創意工夫と改善され快適に走れる環境作りに努力しているのが窺われました。 ひとつ、注文をつけるとしたら、完走証をその場で交付して欲しかったです。帰宅後、直ぐにインターネット「ランナーアップデート」で自分のナンバー若しくは、フルネームで検索すればタイムが分かり、更に、自分のゴールシーンが動画で見られるサービスがとても良かったです。 今回は、第1回大会の際、徳島の佐藤隆久Drが監修された「東京市民マラソン・アイコンマップ」を参考にさせていただきました。この本は、ウルトラランナーで走友である佐藤Drから、以前プレゼントされていたものです。マラソンコースの説明がきめ細やかで特に役に立ちました。佐藤Drありがとうございました。 阿波踊りの法被姿の「徳島大学」のグループは、関西では有名ですが、東京でも目立っていましたよ。その他ビキニツインズやかぶり物ランナーも多く走っていました。 今回は、持病の古傷や膝の痛みが全く出ず、一度も歩くことなく走りきれことにで、久し振りのフル完走の余韻に浸っているところです。 ※ 気になった点 ○ 1番目は、やはりトイレの問題でした。今回もかなり増設がありましたが、それでも絶対数が不足していました。早急に沿道の会社などからボランテァトイレの提供してもらいトイレの増設を希望します。 ○ 参加の抽選倍率はしかたないと思いますが、是非とも「セレブ枠」の設置をして、芸能人や有名人はこの枠でエントリーして一般参加者枠を増やして欲しいと思います。 ○ 10kmと同時スタートを変えて欲しいです。あの混雑ではとても走れる状態ではありません。スタートの方法を何カ所に分けて混雑を緩和する方法の検討を願いたい。スタート位置は、自己タイム申告制になっていましたが、何故か自分の記録より後方の最後尾になっていました。(エントリーするなら陸連登録で申し込みしたほうが先頭に位置できて有利だと思います) ○ ゴール後の団子状態を緩和して欲しいです。ゴール後は各レーンで最後の完走グッズを渡すまで同じレ−ンを移動させれば、もっとスムーズに運ぶと思うし、最後にはその場で完走証を渡して欲しかったです。 ○ 制限時間は、7時間になっていましたが、正確には7時間では完走は不可能です。 最後尾スタート組は、最低30分以上ロスするので6時間30分以内で走る走力がないと完走メダルはもらえない状況でした。(グロスタイムでなく、ネットタイムの制限時間に訂正を望もたい.) ・ネットタイム(スタートラインからゴールラインまでの正確タイム) ・グロスタイム(スタートピストルからゴールライン通過までのタイム) 参加者の50パーセントは、初マラソンの参加者で中間点まで走れる走力を持ったランナーが非常に少なかったと思います。ボランテァや大会関係者の苦労を思うと、出場するならせめて練習を積んで、真面目に走ることに専念して欲しいと思ったのは私だけだっただろうか。私が見かけた有名人は、田尾夫妻や荻原兄弟は確認しましたが、倒れた報道があった松村邦洋は見かけませんでした。 ○ ゴールした後の駅の混雑は尋常ではありませんでした。2ケ所の駅は臨時券売所の設置は全くなく乗客が溢れ、券売機の操作も難しくて不満が続出していました。 次回から、この問題を解決するため、最寄りの駅までシャトルバスの追加を出すか、大江戸温泉や他のテーマ館の割引券を配り、ランナーを分散させ混雑の緩和を図って欲しいと痛切に感じました。 ※ 余談(おまけ)の話 帰阪する日、横浜見物を計画しました。スーツケースや大型リュックは駅のコインロッカーに預けてから散策する予定でした。 ところが、JR横浜駅も地下鉄駅も大型コインロッカーは、僅かしかありませんでした。全て使用中で、思い余って新幹線の新横浜駅まで移動しましたが、ここも大型ロカーは僅かしかありませんでした。結局、思いスーツケースを転がし重いリュックは背負い、中華街に出かけることになり、走った疲労よりもこの荷物の重さの方が疲れました。これから、横浜観光を予定されている方は、くれぐれも荷物は宿に置いて身軽な装いで、心おきなく散策や見物を楽しむことをお勧めします。 |
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2005年12月28日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第15回 鬼たいじマラニックレポート(ゼッケン40) |
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◎ プロローグ 私は,生来飽きっぽい性格なのか浮気性なのか,過去に連続出場を5回したマラソンやウルトラの大会は一つもない。 しかし,何故かしらこの大会だけは気に入ってしまい,今年で連続出場が5回を数えることになってしまった。それで主催者から,5回出場の記念表彰を貰った。
○ フルを越える(50km)山岳マラニック大会で,コースがバラエティーに富んで飽が来ない設定で,距離も制限時間(8時間)もちょうど良い。 ○ 京阪神から近く,参加料(6千円)が安く,アットホームな手作り大会で参加者(200人程度)主催者の気配りがとても気持ちが良い。 ○ この時期の花(桜,桃,菜の花,コブシ,水仙,山ツツジ)などが一度に楽しめる。 ○ 何といっても圧巻は,鬼ノ城から眺める備前平野は,何度訪れても息を呑むほど感激する絶景が楽しめる。 ことなどが上げられる。 私が参加した,5回大会を表にしてみると面白い傾向が現れている。 私は,この大会が大変気に入り,最初は第11回大会レポートを書き,主宰者の鬼た いじマラニックホームページに掲載して貰った。すると,その兆候は早速現れ,翌年の第12回大会の初参加者が急増し,91名になったことである。 第12回大会レポートは,お休みしたので初参加者はダウンした。しかし,続いて第13回,第14回大会のレポートを連続して書き,それが鬼たいじマラニックホームページに掲載して頂いた。その結果,初参加者は一気に100名の大台に乗り,この大会の知名度が急激に上がり,人気が沸騰した大会に変身した。 この大会の凄さは,毎回の初参加者が常に30パーセントを越えていることである。 この大会は,月刊誌「ランナーズ」2005年5月号の「マラソン100選」で紹介してある。 その記事を紹介すると ○ 手作り大会で急速に人気が出てきた大会 と褒めているのが印象的である。 かなりのランナーは,マラソンのホームページを検索し,面白い大会やユニークな大会を探し,この大会を良く知っていることを如実に現しているといえる。 ◎ 今回の初参加者(私の知人) ○
ゼッケン19 石井 康訓 (神奈川) ○
ゼッケン25 磯村 和夫 (神奈川) ○
ゼッケン41 植村 昭男 (福 岡) ○
ゼッケン66 金澤 政雄 (愛 知) ○
ゼッケン111 瀬島 美千代 (岡 山) ○ ゼッケン193 前村 やよい (福 岡) ○
ゼッケン202 三浦 正道 (愛 知) ◎ 大会前日の人間模様 今回も,昨年に引き続き相生市のウルトラランナーの石原氏のシティーホテルに投宿した。今回のメンバーは,神奈川の磯村氏,愛知の金澤氏,京都の浅野,栗田氏,神戸の奥氏と私の6名である。私は,早めに相生に到着すると,偶然にも金澤氏と同じ電車になりチェックインを済ませた。早速金澤氏とジョギングスタイルになり,石原氏の車で相生荘の桜を見に行く。今年は桜の開花とピッタリ一致し満開の桜を愛でることができた。次に,赤穂岬に移動するとそこにはかなりの桜並木があり,巨大な大石内蔵助のブロンズ像が待っていてくれた。しかし,何故かここの桜は花がパッとしない貧相な桜に見えた。すると,石原氏は「昨年の台風で,桜の木が塩風にやられてしまい全滅や」とため息をついた。(そう言えば,昨年の台風はこの付近を通過した記憶がある) 相生駅手前の8キロ地点に,海産物販売所がある。そこの湾の水槽にはイルカが泳いでおり,最近子供が生まれてテレビで放映されたそうである。 (しかし,水槽がかなり狭く,イルカが可哀相だった) 金澤氏は,私より年配であるが,全国各地のロング大会を完走している偉大なランナーである。彼のフォームは,両脇を開けた独特の腕振りとストライド走法が目立っており,どの大会で会っても直ぐに見つけることが出来るランナーである。(しかし,ゆっくりのフォームから想像できないが,常にイーブンペースを維持して,後半が特に強く,凄いタイムを叩き出すのには脱帽する) 私は,この金澤氏とホテルまで並走したが,キロ6分を維持するのにゼーゼー言って息を上げ,やっとのことで辿り着いた。私は,今年もペーロン温泉に行くことにしたが,金澤氏は行かないと言うので私一人で,ホテルで買った入浴割引券を持ち,ホテルの貸自転車で温泉に行く。 私が,温泉から帰ってくると,既に宴会は始まっていた。 石原氏は,バンパイヤ(吸血鬼)の異名があり,何故この異名が付いたかご存じですか?。それは,御園生氏が主宰する北海道の襟裳岬から日本最北端の宗谷岬まで7日間で走るトランス・エゾ(555キロ)という大会がある。そのコースを往復する究極レースといえる,14日間のアルメイト・ジャーニー(1,100キロ)大会を完走した時の逸話である。(完走者は,主宰者の御園生氏を含めて数名しかいない) 彼は,前を行くランナーの姿を見つけると,俄然元気が出てきて襲いかかり蹂躙した上,何食わない顔をして平然と走り去る恐るべき走法から付けられた異名だそうである。(東京の福井氏が,この餌食にかかった命名者なのかな?) 彼は,今年チャレンジするのは,シルクロードのゴビ砂漠の7日間かけて走る240km「ゴビ・マーチ」に出場するらしい。 この大会は今回が2回目で,世界20カ国から85名が参加者し,そのうち日本人参加者は4名でコースは当日決定するらしい。行くのも大変な所でマラソンを走るというのだから,常識では考えられないクレイジーレースであることに間違いない。 石原氏は,既にサハラマラソンは何度も完走しており,こんなレースは容易いと豪放磊落に語っており,彼がバンパイヤであることを再認識させられた。 【このレース結果は,ランナーズ9月号「読者手記,我がランニング人生に悔い無し:高橋保江」)の記事に詳細に掲載されています。】 このレースが終わると,来年は南米のパタゴニアの高地を走るレースに出場すると語っており,世界制覇も時間の問題と思われた。 (最近届いたはがきでは,ヒマラヤトレッキングをして,来年はこのヒマラヤマラソンを走るらしい) この相生市には,60歳を越えても,毎日1,000メートルのインターバル10本を3分チョイで走り,その後10〜20キロ走を走る凄いランナーが居るらしい。まだまだ,世の中には偉大なランナーが隠れているらしい。 神戸の奥氏は,昨年モンゴルを走りウルトラマラソンで世界制覇を目論んでおり,石原氏の話を聞いて「俺もパタゴニヤに生きたい」と叫んでいた。 ◎ 大会当日(4月10日) 会場には,昨年同様石原氏と同僚の車に便乗して行く。すると,神奈川から初参加 の石井氏が赤鬼の顔でカンカンに怒っていた。この大会を強力に推薦した圓角女史は,岡山駅構内でこの石井氏とバッタリ出会ったが「あんたそこでなにしてるの」と来らしい。同人は,彼女から参加を勧められ参加したのに彼女はそのことをすっかり忘れていたらしい。(圓角さん,行き先々で誰にでも声を掛けすぎやでー!) スタート前のセレモニーは,恒例のマウンテンバイクの当選発表と15回出場の者1名と5回表彰があった。5回出場表彰は,今年はメダルではなく,Tシャツだったのは少し寂しかった。 スタートは,予定通り午前8時で,天気は快晴無風で気温も程良く気持ち良く走りだす。私は,後半から圓角女史と並走してキロ6分10秒を維持して走る。 コースは,いきなり変更されており自転車遊歩道に入り,モーテルの狭い道路を迂回して2キロ付近で元のコースに戻る。 今年もお寺の桜が満開で,初参加者から感嘆の声が上がる。10キロ地点の備後寺五重塔の桜と桃の花も同時に満開で見応え満点だった。 備前駅前のエイドでコーラを飲んでゲップを連発しながらいよいよ,興福寺から山岳コースへと入って行く。 ここで,主人の自転車の伴走で走る 仁尾女史と並走になり情報収集をする。なんでもこの大会のホームページを見て参加し,あの萩往還などのウルトラに数多く参加しているウルトラランナーとのこと。 ここで,圓角女史のペースについて行けず脱落すると,後方から福岡ウルトラマラソンクラブの前村女史がペースを上げて来た。彼女は「平地は辛い。早く山が来ないかな」と呟く。その言葉通り,無茶苦茶に山に強いアスリートである。彼女は坂道をあっという間に駆け抜けて行った。野池の所が20キロポイントであるが,今年はこの表示板が倒れていて距離が判読できなかった。 一旦下って,ゴルフ練習場の坂で顎が上がり,今年は歩いてしまう。そして,砂川公園に到着したが,食欲がなく名物の焼きそばが喉を通らない。 そして,最初の難関である3キロの急坂は全て歩き通して鬼ノ城の入り口エイドに到着する。今年は,入り口にバカでかいトイレが新設され,山を削り山肌が剥き出しのハイキングコースが新設されており,来る度に自然が破壊されているのを見るのが偲びない。 このコースで一番迷うポイントには,今年も案内表示板がなかった。その先にある記念撮影現場のスタッフが,今年もコース間違いをしたランナーに声を枯らして誘導していた。最高到達地点のうらの碑で,大会委員長の大和氏から「岩元さん。今年も楽しいレポートをお願いしますよ」と先に言われてしまった。その先の険しい登山坂は,台風の影響でV字にえぐり取られて昨年の面影がないくらい荒れている。 出口で石の上に腰掛けていた三浦女史と顔を合わせる。あれ,スタート時は走っていたと思っていたがいつの間にか途中で棄権していた。 私は,そこで走ることを忘れ,彼女と久しぶりに近況を話し合う。彼女曰く「昔は参加者も少なく家族的であったが,最近の大会はその雰囲気が無くなって寂しいね」と呟く。(コース整備が整い立派なトイレが出来たり,参加者増加にレポートを書いて一役買って宣伝した自分に少し反省する) そこから,例年気持ちが切れて歩き出す足守までの約10キロのロードが待っていた。しかし,今年は俄然元気を盛り返し,足取り軽くピッチを上げクリアする。 足守の桜は,今年は満開時期とピッタリ一致し,大勢の花見客で賑わっていた。私は,エイドの休憩はせずコースを外れ,花見客をかき分け堤防の屋台に直行して,缶ビールを買って飲みながらコースに戻る。そして,秋山エイド(私設エイド)まで行ったが,今年も閉鎖されて秋山夫妻に会うことが出来なかった。国道から分かれ,竜泉寺入り口の40キロ地点から奥の院まではずっと歩き通す。そして,奥の院から下る急坂は,今年は台風で通行止めになっていた。 スタッフの指示で,自動車道を迂回させられ約2キロの遠回りになる。その間,広島から参加の女性三人衆と並走し,私は「間もなくビールが飲めるよ」と声をかけると知っているという返事だった。しかし,彼女らはその稚児商店を無視して通過してしまう。私は,後から来た仁尾女史を誘い,店に入っていつもの缶ビールを買って一気飲みする。そして,50メートル先の瀬島エイド(私設エイド)に立ち寄ると,今年は奥さんが走っていると言うのを聞かされ驚いた。最後のエイドでも,缶ビールが出たのでそこでもよばれて元気をつけ,最後の5キロを走りだす。 これから先にある桃の花の見所は最後の楽しみである。 その桃の花は,今年も予想通り満開で満足して先を見ると,なんと横須賀市から参加している石井氏が肩を落とし歩いていた。追いついて「一緒にゴールしよう」と激励し,三人並んで並走しやっとスタート地点の神社が見えて来た。 昨年から,ゴールの進入路が変わって直前道路で記念撮影し,ゴール地点での写真撮影は無くなっている。そこで,ゴール後スタッフにカメラを渡し三人並んでゴール写真を写したが,後で見たら写っていない,残念! しかし,この日も期待通りの楽しいマラニックの一日が終了した。 ◎ エピローグ ゴール後入浴出来る民宿は,付近に銭湯などがないので辛抱するしかないが,今年は洗面器がなく,石けん,シャンプーが置いてなったので,来年参加する人は携行するしかないか。 この大会は,年々参加者を増やして確実に充実した立派な大会に発展して行くのは嬉しい反面,こぢんまりとした家族的な雰囲気が薄れて行くのは一抹の寂しさがあり,複雑な気持ちでこのレポートを書いている。 さて,来年の16回大会は,どんな出会いやハプニングに遭遇できるか,今から楽しみで来年も外せない大会になりそうである。 |
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