平成20年1月22日開設
 金子霊峰の部屋 
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プログラム

近況
仙台

雲峰師匠ご無沙汰しております
祝賀会
第3回戸田・彩湖フルマラソン感想記
新聞の反響
踏ん張らない人生


平成27年10月19日

近況

雲峰師匠大変ご無沙汰しています。
その後の体調は、いかがですか。

この7月で後期高齢者になりました。
マラソンは休会状態で今後も走ることは無いと思います。

またまたて病気の件ですが、8月より東京渋谷区の
甲状腺疾患専門・伊藤病院に転院しています。

昨日、名古屋で障がい者オープンバドミントン大会に
参加しましたが、相方の腰痛で準決勝で棄権し
プレゼント無しで、今日は完全休養日です。

先月 仙台に行ってきた時を含め取材を受け新聞掲載
してくれたので添付ファイルします。
時間がございましたら覗いてください。

いつも明るい情報が遅れなく申し訳ありませんが
師匠も御身第一でお過ごしください。





(^o^) 金@富士=*=*=*=*=*=*=*
  〒 417-0001            
 静岡県富士市今泉9ー4ー31   
  金 子 俊 一 〔霊峰〕           
 TEL・FAX 0545-53-5471     
 e-mail : ran-bad-ostomy@thn.ne.jp         

・(社)日本オストミー協会・静岡県支部
              副支部長
・フル百回楽走会幹事  会員 246      
・UMML(ウルトラマラソンメイラー)
・オストミーランナー〔人工肛門造設者〕
・テプコバドミントン同好会
・TSAバドミントンクラブ
=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*


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平成22年7月20日

仙台

 投稿者:霊峰  投稿日:2010年 7月19日(月)16時00分9秒
  師匠 ご無沙汰しています。
先日、直腸進行がん転移での術後4年目検診が終わりました「明らかな再発所見なし」
の診断、ほっとしています。
5月末から左膝靭帯を痛めジョギングは中断、歯科口腔外科(8/12手術)、
左目眼底出血、骨盤液化膿と病院通いのオンパレードです。
16日〜18日 宮城県障害者総合体育センター会場の第17回 東北障害者
バドミントン選手権IN仙台に参加で仙台に行ってきました。
結果は17日 ニューミックスダブルスブロック制(私と健常者<68歳女性>)の
ペアでIブロック4チームリーグ戦で全て2-0 3勝0敗の1位。
18日ダブルス(私と障害者<中三の知的障害を持つ少年>ペアでBクラス4チーム
リーグ戦で2-0、1-2、2-0 2勝1敗で2位。
ペアは本部お任せなので当日初顔合わせ、どちらも仙台の方で、びっくりは
中三の孫は今年の中学県優勝者。1-2で負けたが相手の一人は下肢日本代表選手。
まだまだ老け込む年ではない、もうひと踏ん張りします。
後は11月 日本選手権シニアダブルス(65歳以上)の二連覇。昨年の(70歳・74歳)
ペアで頑張ります。まずその前に故障個所しっかり治します。


(^o^) 金@富士=*=*=*=*=*=*=*
  〒 417-0001            
 静岡県富士市今泉9ー4ー31   
  金 子 俊 一 〔霊峰〕           
 TEL・FAX 0545-53-5471     
 e-mail : ran-bad-ostomy@thn.ne.jp         

・(社)日本オストミー協会・静岡県支部
              副支部長
・フル百回楽走会幹事  会員 246      
・UMML(ウルトラマラソンメイラー)
・オストミーランナー〔人工肛門造設者〕
・テプコバドミントン同好会
・TSAバドミントンクラブ
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平成21年6月11日

雲峰師匠ご無沙汰しております

体調の方は、その後お変わりありませんか。

こちらでも外来検診で昔の会社の者と3人病院で会い、
云われている男性2人に一人は何かしかの病気に掛かっている
といわれ、其の中でも大腸がん、前立腺がん、前立肥大が多いと
の厚生省の発表のようです。

先般の北海道旅走破、室蘭懐かしくスナップ見ました。
実母92歳(虻田療養所)、姉、妹が居ますので親不孝してます。

今日、東海地方は梅雨入りが宣言されました。

7日、何年振りかで東京喜多(北)マラソンに参加してきました。
参加者が増えたのか対応に、てんてこ舞いのようでした。
暑かった事もあり給水所での水が不足と食べ物が無いので、
リタイヤした人が多かったとゴール後、聞いています。
小生も暑さで水を飲むよりも頭、腰にかける回数が多く
パウチの保護剤が溶け固定ベルトで押さえ何とか家まで
持たせ事なきを得ました。
タイムの方は無理せず6時間制限時間一杯使い完走でした。
これからの気候を考えると夏場のマラソンは難儀しそうです。
参加費4,800円は高いように感じました。

先月末、県支部総会で正式に副支部長を仰せ使い所要が多くなり
急に忙しくなりました。
県東部担当で80名近い会員さんがいるので、これからの
コミュニケーション作りの場を充実させたく尽力します。

また日本障害者バドミントン協会の方と縁あり神奈川県厚木市を
拠点の健常者と障害者のバドミントンクラブに入会しました。
練習会場は伊勢原駅から5k程の神奈川リハビリテーションセンターで
4月から土曜日13時〜17時、月一度位しか参加していませんが、
片足、両足義足、知的障害者がメンバーで内臓障害は自分だけですが
快く仲間に向かい入れてくれ戦力と、おだてられ、年甲斐も無く
夢よもう一度と、続ける事が出来ています。

今月末から7月10日に掛け術後3年目の定期検査が4回ほど入り
気持ちは重いですが再発は無いと信じています。

師匠も無理は、されませんようにマイペースでお過ごしください。


(^o^) 金@富士=*=*=*=*=*=*=*
  〒 417-0001            
 静岡県富士市今泉9ー4ー31   
  金 子 俊 一 〔霊峰〕           
 TEL・FAX 0545-53-5471     
 e-mail : ran-bad-ostomy@thn.ne.jp         

・(社)日本オストミー協会・静岡県支部
              副支部長
・フル百回楽走会幹事  会員 246      
・UMML(ウルトラマラソンメイラー)
・オストミーランナー〔人工肛門造設者〕
・テプコバドミントン同好会
・TSAバドミントンクラブ
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平成21年1月23日

師匠 ご無沙汰しています

1月11日、フル百回楽走会主催の祝賀会でメガマラソン完走
400回達成のお祝いをしていただきました。



21日、鈴木尚冨士市長への報告表敬訪問が実現しました。
市長とは2003年8月、フル200回達成で、お会いしており
16時半〜17時と30分も時間を取っていただき、昔話も出て
ゆっくりお話しすることが出来ました。



昨日、今日と新聞掲載して貰いましたので添付ファイルで
送信させて貰います。

まだ万全な体調での走りは出来ませんが、これからも
マイペースで走りを楽しみます。

いつも一方的なメールで失礼します。


(^o^) 金@富士=*=*=*=*=*=*=
  〒 417-0001            
 静岡県富士市今泉9ー4ー31  
  金 子 俊 一 〔霊峰〕           
 TEL・FAX 0545-53-5471     
 e-mail : ran-bad-ostomy@thn.ne.jp         

・(社)日本オストミー協会静岡県支部
              常任理事・監事 
・フル百回楽走会幹事  会員 246
・RFL静岡2009with富士山 実行委員       
・UMML(ウルトラマラソンメイラー)
・オストミー〔人工肛門保有者〕ランナー
・テプコバドミントン同好会所属
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平成20年4月14日

第3回戸田・彩湖フルマラソン感想記



4月12日(土)JR吉原駅6時07分発に乗車、JR三島駅より新幹線に乗換え東京駅、JR京浜東北線、JR埼京線を乗り継ぎ8時28分着JR武蔵浦和駅、駅前でバス案内役の木下さんにお会いしシャトルバスで道満グリーンパーク入口下車、会場まで徒歩約10分。途中会場手前の障害者トイレで排便排泄処理を終わらせて9時05分会場到着。第1回以来2年振り、術後19ヶ月での参加、受付で久し振りに藤原定子ちゃんの出迎えを受ける、屈託の無い明るい笑顔は変わっていない。

 代表の舘山さんに招待のお礼を述べ着替え、フル百の佐藤潤さん、迫田さんに会う、今回フル百仲間からは小島さん、迫田さん、自分の3人が招待を受けました。

 小島さん、迫田さんは当然だが自分は病み上がり9時30分開会式、舘山代表より大会主旨とコース説明後、招待選手紹介、名前と理由を舘山さんからコメント、自分は最後に呼ばれ選手を代表して一言と声が掛かる。

 まだまだ浅はかな自分は選手代表を忘れ己の話しをしてしまいました。

おはようございます、静岡県富士市の金子です。朝から爽やかでないお話しでご免なさい、私は、がん患者でオストメイトです。会場が一瞬静まり返ったようだった、術後の経緯を簡単に話し今回、元気に成ったのを報告したく舘山さんからの招待を受けました今日一日宜しくお願いします、と申し上げました。

 70qの猛者は既に8時スタート済み、スタート地点はゴール地点より460m手前、東京の大森さん、福満さんと世間話し、10時定刻スタート一周約4.2qの人造の彩湖湖畔を9周するフルマラソン、土手2ヶ所、橋に多少の昇りがあるが、フラットな走りやすい環境抜群の風光明媚なコース。確か2年前は4時間22分で完走した記録がある。最初の半周は東京の大森さんと同走、一周は`/6分ペース位だったと思うが、ずるずるとペースダウン、土手2ヶ所、橋の昇りはウォークになる。走り始めて体調の変化に気付いた@5時起床、寝不足での体のだるさ(今朝方2時頃まで眠れなかった)A気持ちの高ぶりBNBサポーター付靴下が土踏まずを圧迫して足が付けない位痛みが出た(靴紐を緩め対処)C5周位から胸がちくちくと痛み歩きになるDお昼ころから暑さで水分補給が増える(2度ほど水道で頭から水を被る)E集中力が薄れていたF朝食抜きの体力不足。レース途中は最悪のパターンと思ったが制限時間7時間の余裕とスタート地点通過でのスタッフやギャラリーの励ましで不思議と気持ちに焦りは無く、跡4周となった辺りから追い抜けるランナーにも出会い、根性の悪さが出でペースUPができ16時前にゴールできました。昨年10月よりフル走り始めてワースト記録の5時間53分37秒。

ゴールでは舘山代表、藤原さん初めスタッフの方々に暖かく迎えて貰い大満足の戸田・彩湖フルマラソン完走になりました。着替えを済ませてゴール地点で舘山さん、藤原定子ちゃん、木下さん、浅香さん、福満さん、大森さんらと談笑、藤原くんに嫁に行かないと、おじいちゃん死ぬに死ねないと早く嫁に行くよう促す。

 17時近く、皆さんにお礼を言って会場を後にする。美女木よりバスで武蔵浦和駅へ折角来たので武蔵野線に乗車、東京駅まで1.5時間のんびり居眠り。そういえば今朝から口にした物は新幹線内で大福(小)2個、ソーセージ1本、小ドーナツ3個、コーラ1本。会場でトン汁1杯、給水補給。妻が作ってくれた、お握り2個はそのままだった(レース中の排便が気になり食べなかった)。19時頃、東京駅新幹線構内で夕食に焼き豚ラーメン(800円)食う。東京駅19時26分発新大阪行こだまに乗車、三島駅までの間、今日の事を思い出し涙が出てきてセンチメンタルになる。三島駅で普通静岡行きに乗換え21時過ぎJR吉原駅着、駅より自転車で約20分で帰宅、パウチの安全を確めて風呂に入り、そのまま寝てしまった。

 術後初めて日帰り15時間の遠出、長かったようだが有意義な一日を過せ、また想い出のファイルが出来ました。

 今日、舘山さんへ、お礼のメールを入れました。返信で来年も招待選手なので、しっかり耐えるようにと有り難い激励をいただきました。

 また来年に向け、生きる励みが一つ増えました。

平成20年4月13日 霊峰記

 私には詩というか風流の才能はありませんが帰りの電車で一苦詠んでみました

★ 春風に 送られ行きし彩湖フル笑顔の迎え感謝の涙


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平成20年2月29日

新聞の反響
昨日から掛川の萩田さん、他の方も含め10件ほど電話いただいています。
その中で日本オストミー協会・静岡県支部、事務局長、東部ブロック長から
本部会報に載せたい旨のお話しがあり了承しました。
また、平成20年度、役員改選での常任理事推薦のお話しがありました。
まだ決定ではありませんが正式に要請があれば協力したく考えています。
今回、反響の大きさに、びっくりしています悪いことは出来ませんね。







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平成20年1月22日

踏ん張らない人生


50番目の押しかけ弟子 金子霊峰

この記を書くにあたり前段として病後の不安と、心のより所を見つけたく雲峰師匠に弟子入りを切望して峰倶楽部入会の承認をいただきました大変感謝しております。

格言は「歩けないのに走るな 走れるのに歩くな」北海道増毛第二中学校時代の恩師の教えで現在も年賀だけですが文通をしています。また我が家のお墓の墓標に刻んでもらい教えとして心しています。

2006年7月、66歳の誕生日を間じかに予期しなかった直腸癌での永久人工肛門になった経緯を日記から振り返り、お話しさせてください。

◆ 2005年6月頃より血便があり身体がだるい感じが出始めましたが、若い時から切れ痔の兆候があったので痔だろう位に軽く思っていました。2006年に入り、おしっこの時でも血便での下痢が多くなり大便のトイレを使う状態で下着を汚すこともあり家族からも病院に行くよう云われていたが、バドミントン、マラソンに没頭して横着していました。

 今思うに虫の知らせか、身辺整理だったのか21年間、富士市バドミントン協会副理事長として協会での、お仕事をさせて貰ってきましたが3月で辞任させてもらう旨を伝えていました。バドミントン暦は50年余になり高校での国体出場、富士市の某製紙会社入社後、直ぐにバドミントンクラブを設立、同時に社会人富士リーグバドミントン大会を立ち上げる。会社のバドミントンクラブでは監督兼プレーヤーとして1975年・1976年、全日本実業団バドミントン選手権大会に女子チーム監督で出場、50歳の時の1990年、第3回全国スポーツレクリェーション祭in和歌山に静岡県代表として参加する。素人には引退はないので定年退職時に後輩にクラブを引き継ぎ、現在は東京電力バドミントン同好会チームで遊びのバドミントンで楽しんいでます。

◆2006年3月末で、東京電力富士支社でのビル管理の仕事が委託契約満了で退職後、4月より建築会社で家庭用エレベーター新設計でパート勤務になり病院に行きそびれていた。この間にもマラソン漬けでレース中のトイレ回数が増え3月、4月のレースでは食欲の低下からスタミナも落ち、きつい状態が続いた。

◆2006年5月2日〜13日:救急入院検査:仕事先で午前11時頃より2度、多量の下血で貧血状態になり倒れ、救急車で芦川病院(自宅から徒歩10分位)に搬送される。2005年1月、義母が水痘部癌で入院していた開業医の胃腸科専門病院、たびたび行っているので無意識の中でしたが、そこを指定したとの事でした。くしくも5月3日、兵庫ユリカモメ70km参加で夕方出掛ける準備をしていました。検査結果は直腸癌の疑いと胃に腫れが有るとの診断、直腸癌は肛門に非常に近く肛門を残すのは難しいと。運動をしているので何とか残してやりたいので、もっと大きい病院で再検査をしてはとの芦川先生からの助言で静岡県立がんセンターを紹介されて直ぐ予約を取ってくれました。入院中は退屈で身体を持て余し、早朝ロビーでストレッチングをして看護師に何を考えているのと怒られたことも。

◆2006年5月15日〜6月20日:芦川病院からのフイルム、カルテを持参して静岡県立がんセンター大腸外科・齊藤副医長の検診を受ける。検診台で肛門から指を入れられ、即、直腸癌(県立がんセンターは本人告知をする)を宣告される。ショックで返す言葉なし。この1ヶ月余、週2回程の通院検査、CT、MRI、PETCT、心電図、下部内視鏡、上部内視鏡、採血等の検査診断は肛門から1cm位の位置に5cm程の大きさの癌細胞があり肛門を残すのは無理で人工肛門になる。リンパ節が横に飛んでいて病期ステージT〜WのV期bで、再発率65%〜70%、術後30日以内から6ヶ月間、抗がん剤治療が必要と告げられ。胃腺種は悪性ではなく転移癌ではないとの最終診断。通院間も気持ちの整理が付かず、このまま手術を待つのでは何か悔しく五体満足でのバドミントンが最後になるので先生に無理をお願いして6月18日、第128回社会人富士リーグバドミントン大会を開催、自分もテプコ(東京電力)チームでダブルス4試合に出場、4勝1敗。チーム3位、まだまだ戦力になるかな?

◆2006年6月22日〜26日:入院手術、直腸がん手術前、体力があるから先に胃腺腫を取ってしまおうと静岡県立がんセンター内視鏡科の名医、小野部長医師(日本の名医100人の中に入る人でテレビで紹介されている)の手で内視鏡放射線切除する。

◆ 2006年7月3日〜23日、入院:66歳になるまで、これといった病気もせず元気印の五体満足で過してきた身体にメスが入る日になった

5日、9:00より静岡県立がんセンター大腸外科・手術医師、斉藤副医長。診断書より手術は臍上から下腹部まで約20cm開腹して直腸癌切断術(約40cm)。リンパ節転移切除(リンパが横に飛んでいた)。括約筋切除(骨盤内2ヶ所)。S状結腸永久人工肛門造設術。リンパが飛んでいるのに手間取り7時間30分かかる。手術中は全身麻酔で記憶はなかった。

一晩集中治療室、麻酔から覚めたが、まだ頭がぼうっとしていて、ベッド横に女房、長女、内孫2人おり女房から手術は無事終わったよと云われたがこれといった会話は無かったようだ。孫が手を握ってくれたのは覚えている

  

手術後、先生から家族に切除した直腸、リンパ節転移の説明があり退院してからビデオを見せられる。今日から、へその横腹に切断した大腸の赤い異常な物が出ていて自分ながら気持ちが悪くなった。これから一生付き合わなければと思うと何とも言いようのない悲しさだ。2日目、個室に入る、ストーマは神経が無いとの事で特に痛みとかは無いが、腰からお尻に激痛があり自分の身体で無かったように思う。3日目、2人部屋に移される、まだ鼻からの管、点滴、小便袋、骨盤液袋をつけているが医師から歩いてみようかと云われ左手はスタンドを握り右手は孫の肩を借りて病院の廊下を5分ほど歩く。真っ直ぐ歩けないので蟹歩きになるも、お尻が痛くベッドへ戻る。4日目、5日目、腸閉塞を起こし、目がまわり苦しくてよく覚えていない。骨盤の中に腸の納まりが悪くなるので、この症状は多いとの事。6日目より自力で廊下を15分ほど、ソロソロ歩きをする。病室にバドミントンラケットを持ち込み、サロンの椅子に横座りになってラケットで手首のトレーニング、食事はなく点滴だけだ。3日置き位に看護師がパウチを交換してくれた。術後10日目(15日)点滴が終わり初めて糊のような重湯が出る塩気が無く美味くない。ストーマからの排便は、おしっこのようなものしか出ていない。

術後14日目(19日)初めて自分でパウチ(蓄便袋)の交換をする、几帳面な正確なので?まあまあ上手くいく。22日も自分で交換、風呂に入れないので交換の日だけ立ったままでのシャワーだけ。骨盤液はオシメになりこれが少なくならないと退院できない。交換のときは女房が手伝ってくれる。術後の経過が良いので23日の退院許可が出る。食事もこの数日、8分粥、7分粥になり身体に力も湧いてきているようだ。散歩も病院内の廊下から外の散歩道コースを30分程歩けるようになった。

 23日、午前の回診があり退院、約1ヵ月振り、車で病院から自宅まで1時間位掛かるので長女の車の後部座席で横になっての帰宅。

 これからは10日ごとに外来検診。パウチ(蓄便袋)と骨盤から出る液はオシメをして出具合を見る。トイレの時は大変、また何が辛いって、お尻の痛さと、腰に力が入らないので歩くのに腰に手を当てての散歩。かっこ悪い。

 退院後は毎日15分ほどの散歩を日課にして家の周りをうろうろ。

 食事は8月一杯、病院からの指定メニュー、腸を安定させるための薬漬けと7分粥、実のないスープ系味噌汁、おかずなし、ヨーグルト、これでは力が出ない、今年の暑さはそんなに厳しくないようだ。

◆2006年8月21日〜:気分のいい時だけ散歩からウォーキングにグレードアップ、

心配なので女房が一緒に着いてきてくれる、途中休み休みでの、そろそろ歩きで

10km3時間くらい掛かるも今の体調では精一杯だ。なにせ距離を踏みたかった。

◆2006年8月17日〜2007年2月14日:術後の回復も順調のようだ、

リンパ節再発転移予防での抗がん剤服薬治療が始まる、自分は家での管理が出来るので服薬治療を選択した。副作用等で調子の悪いときは直ぐ中断でき体調の回復が早い。2週間毎に病院で薬を貰い錠剤での服薬、点滴での治療と効果は同じだとのこと。薬は(ユーエフティカプセル100mg+ユーゼル錠)、8時間毎に服薬、1クール28日間服薬7日間休みの6ヶ月間。服薬中での睾丸の袋の爛れで歩けなくなり皮膚科で緊急処置もあり、身体のだるさ、食欲が無くなる、髪の毛が少し抜ける等、副作用での辛さもあったが身体を動かすことでの体力回復を第一に頑張りました。それにしても薬代の高いのには驚かされた(月30万円程)、これで効かなかったらと思うと途中で辞めたくなりました。再発を考えると、やらざるを得ないのが現実かな。毎月、高額医療控除手続きに市役所参上でした。

11月検診時、第1回東京マラソンが当たり走りたいむね報告相談するも斉藤先生から身体とマラソンのどっちが大事かと烈火の如く怒られ、やむなく断念、事務局に参加を棄権する旨連絡する。

◆2007年2月〜:定期健診での所見は抗がん剤での影響で血液が薄く皮膚関係の、肌の被れ、ただれや、痒み。蕁麻疹などが出るが術後の経過は特に異常がなく回復が順調にきているとの診断とウォーキングもk/10分位で歩けるようになったので、2月3日、術後7ヶ月振りに所属チームのバドミントン練習に参加して再開する。自転車に乗れないので徒歩で30分かけ会場へ雨の日はバス(身体障害者4級で半額)を使用する。腰に力が入らないし感が戻っていないので当初はとても満足できるプレーは出来なかったが、仲間は嫌な顔一つ見せず暖かく迎えてくれ5月頃より徐々にだが当るようになったが踏ん張りが効かず坐骨神経痛のような状態になるので恐くてネット前に足を運べなく、ハイクリアーでは背伸びをするのが辛くパートーナーにまかせっきり。練習日の排便処理など大変だった。

9月16日、第133回社会人富士リーグバドミントン大会を開催、自分も3試合出場し2勝1敗、チームも2位。家族からの、お父さんここまでやってきたんだからもういいんじゃないという助言と、今後の体調管理を考え、9月の大会を以って36年間続けてきた133回もの社会人富士リーグバドミントン大会を会長としても大会としても終焉とさせて貰った。2月、相前後してジョギングを開始する、恐さで最初の一歩の足が上がらず立ち止まったのは今でも忘れられない瞬間だった。走り始めの頃はパウチ(蓄便袋)が揺れるのでパンティに袋を縫い付け、そこにパウチを入れ、固定ベルトか腹帯で押さえるも気になり自然と左手がパウチを抑えながらの走りで集中できなかったが、徐々に慣れてはきたが途中排便がありコンビニと家具屋のトイレを借りて処理ことなきを得た。走っていても一番気になるのはトイレを借りられる所を見つけておくことかも。

◆2007年7月4日〜12日:術後一年経過の総合検診、明らかな再発所見なし。嬉しいというかほっとした日だった、お腹が空いていたので帰り三島駅ホームでソバを食べる。車の免許を持っていないので通院は自転車でJR吉原駅へ吉原駅から東海道線でJR三島駅、三島駅前からバスで30分の県立静岡がんセンター。これの往復です。

◆2007年9月9日:術後14ヶ月、初めて第4回平塚⇔江ノ島往復フルニック参加する。まだ遠出は出来ないので当分は平塚でのフル百行事に参加することを決めていた。当初8月に予定したが体調を崩し不参加だったので何としても出たかった。数日前より排便の調整を試み当日は排便が無いことを願い、パウチのスペア持参、夏場の服装、これまでに無かった事での準備は大きな負担を感じた。またジョギングも10kmの距離しか踏んでいないので、体力の不安と足へのダメージがどう出るのか皆目検討がつかなかった。 吉原駅発5時43分の電車で沼津乗換え平塚駅7時10分着、バス停で仲間に会い平塚総合公園へ何とも云えない照れくささと、懐かしさ、竹田会長初め吉野事務局長、仲間が快く迎えてくれ感激でした。

8時過ぎスタート、振り返って見ると10k位は走れたが後は江ノ島まで、ほとんど歩いた感じ途中から吉野さんに追いつかれ江ノ島折り返しでは食堂で竹田さん、吉野さん、矢田さんと4人でカレーを少し食べ帰路ではジョギング、歩きの繰り返しでようやく平塚総合公園に戻ることが出来た。7時間32分36秒。すでに仲間はゴールしていた。情けないとは思わなかったが良く帰ってきたと褒めたかった。自分にはフル百回楽走会という帰る場所があり、待っていてくれた仲間が居ることに感謝しており、闘病中も励ましのハガキ、メール、電話等をいただき走りたい一心でやってきたことの結果に満足している。暑さでの水分補給と汗で帰路途中パウチの上部が破れているのに気づく、持っていた防水テープで補強しゴール後、銭湯「湯の蔵」で事情を話して洗い場でパウチを交換する。

術後14ヶ月でのフルマラソン挑戦は早すぎたのか、世の中には大勢おられるのか尺度が無いので解りませんが、自分としては精一杯の精進だったと思っています。その後、10月より2008年1月まで平塚に6回寄せて貰いました。まだスタミナ不足で後半は歩きが入りますが1月6日、4時間56分02秒でゴールできました。

これまでフルマラソン完走238回、ウルトラマラソン完走141回、

メガマラソン完走379回になりましたが、これからはオストミー

ランナーとして、「踏ん張らない人生」をモットーに一つ一つ大事に走りたく考えています。今後とも宜しくお願い致します。
                                       オストミーランナー 霊峰


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