平成14年11月18日開設
  
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プログラム

12年ぶりのモンゴルサンライズサンセットウルトラ
浜名湖100キロウルトラマラニック
私のさくら道
2004年モンゴルサンライズサンセットウルトラマラソン
第12回東海道ジャーニーラン大会
ご無沙汰してます
蘆峰の独り言




平成28年9月3日

12年ぶりのモンゴルサンライズサンセットウルトラ
開催2016年8月

 
人生で2度行けたのは望外の喜びでした。

首都も変貌しつつあり個性的ではなくなってます。車も激増し高層ビルまで出来てます。あんなにだだっ広い国土にあのビル売りつける連中は日本人なのか中国人なのか韓国人なのか?

ウランバートル1泊後ムロンへ飛行機で移動します。空港も大変貌してます。国内使用飛行機もロシア製の軍用改造機から最新のボーイングに変わってます。

ここからフスブルグ湖のトロイログキャンプに車で移動するのですが、昔は大草原を勝手に走った道が舗装されワイルド感はなくなりました。キャンプ近くの悪路も今も未舗装の悪路とはいえ昔の超々悪路とは雲泥の差です。大会初期は軍用ヘリコプターで行ったと聞きます。船で行った時代もあります。12年前は無骨なジープでしか行けませんでしたし、岩だらけの干上がった川床を道代わりに遡って延々と走行したりしたのですが今や橋までできてます。川の道以外は大森林で走行できなかったのです。フスブルグ湖はバイカル湖に水源として流れるほど北部でタイガの樹林なのです。2メートル掘ると氷だそうです。従って温帯や熱帯ほどのメチャ高い太い巨木にはならないそうです。それでも十分大きな木なんですけどね。

横転する車やスタックするのも普通でした。今は乗用車で行けますが、昔は車がバウンドし天井に思いっきり頭ぶつける状態でした。しかし今や観光バスがキャンプまで来るじゃないですか。途中にゲルのキャンプが激増しトロイログしかキャンプないに等しいということは今はありません。

湖は全く手付かずの大自然でしたが、なんと湖水浴してる人が結構いるじゃないですか。

モーターボートが湖面を航行してるってのも驚きです。車も1日数台しか来なかったのに今やかなりの数が来ます。10数台が編隊みたいに来るのもよく見受けられます。昔はここもランコースで最も走り易い部分でしたがランの最中に車に出くわすということはありませんでした。道幅も倍以上に拡張されてます。今はランナーは遠慮気味に走る必要すらあります。

発展することが現地の人にはいいのでしょうが、自分で自分の首絞めてると感じるのは私だけではないでしょう。江戸時代の芦ノ湖はさぞ素晴らしかったことでしょう。芦ノ湖はジャーニーランで何度も走りましたが今や魅力ある所はほんの一部です。東海道の難所を登り切った後の芦ノ湖に昔の人は感嘆の声あげたことでしょう。同じことがフスブルグ湖で起きています。

最高の観光資源をスポイルしつつあります。ため息ですね。

今回16日間の旅程の人は9人中日本人3名でした。濃密な時間を共有できて一生の思い出になりました。さすがに各国の人とも仲良くなります。事情が許せば毎年避暑に行きたいぐらいです。オーガナイザー数人は毎年16日の旅程で来ています。外人組は夏休み余るので更に他国への滞在型の旅続ける人もいます。日本の現役世代は彼らと比べると休みがほとんどないレベルです。聞けば給与もあちらさんが圧倒的にいいのです。戦後またどこかで何か間違ったのでしょうかね。

8日の短旅程組が来るまで楽しい日々を過ごしました。キャンプの人数も少なくスタッフとも仲良しになりますから。大森林やお花畑を馬で一日中乗る非日常の世界は今振り返っても異次元の世界のようです。ロングホースライディングはいつも北に向かいます。キャンプより南部は上述のように少々面白くないことになってきています。トロイログキャンプは半島の先ですので別世界でここより北部は昔の湖の良さが色濃く残っています。だからホーストレッキングは北部に向かいます。乗馬は丸1日でも一人13ドルという破格のプライスです。


毎日のようにこれだけ乗れば初心というより、勝手に初級にはなれます。馬は実にかしこいですが、大量に草食います。その量はあきれ返るほどで普通の都会人には想像を絶する量ですね。放置すればなめられて1分毎にむしり食いしてます。

湿地が減ってると感じました。昔のランコースの一部はえげつない湿地でした。靴脱げるほどです。キャンプの中そのものが原生花園だったのですが、今は設備も増強されただの芝のような状態です。

キャンプの半島も湿地の中を走って靴が脱げかかるゴールでしたが今は未舗装道路まであります。明らかにランの難易度は易化してます。マークも毎年増えてるので見落とすというリスクも激減してます。このマーキングは今回先発の我々も一役買ってますが大変な作業です。今はコンパス無しで走れますね。それでもコンパスは必携とされてますし、途中で遭難信号のホイッスルを3度聞きました。応答には答えず間違いか笛の練習かと思いましたが、道に迷った人が吹いたのが事実でした。これ聞いて自分はしばらく大声あげて探しただけで応答なく、間違いと即断したのですがイギリス紳士は探し回りダントツのビリでお子さんと2人でゴールされました。少なくとも1時間以上探されたはずです。子供には素晴らしい体験になったことと思います。ゴールまでお待ちしておりましたがゴール待つ人も前回はすごく多かったのに今回は極めて少なかったです。今井さんずっと待たれさすがに立派です。

英国人パパは更なる救援笛吹けないほど危険な状況と思われたようです。自分は家内を完踏させたい思いが強すぎてそういう精神に欠けてたのだと反省しましたが、道に迷って笛吹くことはどうなんよとの疑問はあります。怪我した訳でないし、動けるのですから。間違ったと気づけば戻ればマークはあります。笛は日本人によるのもでしたので中国人によるものだろうと邪推した私はそれも恥ずかしいです。パーティでその英国人に日本人としてのお詫びをしました。ご本人はそういう事実は知らぬままのはずです。

昔のレースはアドベンチャーレースに分類でき、今はトレイルレースです。それでも日本にはまずない素晴らしいコースなのです。特に最初の42キロがいい。。まあタフなコースです。普通は42キロに8時間程度かかるでしょう。日本のロードマラソンからは想像できない難コースです。

スタート前日は白人医師によるメディカルチェック。もちろん英語ですが幾つかと聞かれ28だと言うと腹抱えて大笑いされました。体力年齢28と言いたかったのですが笑われる歳になったんだ。歳には勝てません。おまけに心臓やや問題あり、スタートさせるが帰国後診察せよという。

100キロにエントリーしてましたが家内の完走お手伝いのため42キロにチェンジしました。家内相当頑張りましたが11時間59分もかかりました。これでも女子5位、女子は後ろにあと2人。重い腰あげて帰国後大きな病院行くとなんとやっぱりやや問題がありました。最新機器で検査の結果僧房弁と大動脈弁の閉鎖不全の初期症状だというのです。白人医師よく聴診器だけで当てたものだ

と感心します。我が走友には心臓悪い人数人いますが、ちゃんと走ってるので無理さえしなければ問題ないでしょう。それでも気のせいか今日も心臓に痛み感じるのは気が弱いなあ。実は妄想幻想で痛くないのかもしれません。

湖でもカヌーも素晴らしいですし、終日のマウンテンバイクも素晴らしいです。ぜひ体験されればと思います。終日のホースライディング以外は無料です。

大会前夜祭の後の表彰式パーティは昔よりレベルアップし心に残る素晴らしいものでした。

エンタテインメントが進化して自然は退化です。これは反比例する法則かもしれませんね。

レース前に多くの人が多分溶連菌に冒され下痢や発熱で苦しみました。16日間に渡り同行した岩田さんが当日朝スタート諦めました。食事見ただけで吐くんです。残念だったことと心中察するに余りあります。自分も当日朝下痢でしたが家内完走させようと出走しました。コースで野糞中、北部キャンプ従業員の早朝ジョギングの若い現地女性数人にモロ至近で目撃されちまいました。自分がビリ走ってあの場所あの時間に来るかよとあきれました。菊池さんも14キロポイントぐらいですぐにギブアップ。

しんどくても伴走したので家内はとても感謝してくれました。一人ではゴールできんかったと言ってます。家内は帰国途上成田あたりで不調訴え東京もう1泊も考えましたが強行帰宅。結果それがよかったか悪かったかはわかりませんが、帰宅後48時間高熱で飯もほとんど食べずにコンコンと眠り、医者行くと扁桃腺か甲状腺が異常に腫れてるとのことで大病院診察必要とされました。近日中行く予定です。偶然ガンの疑いもありとのことですのでもし発見できれば不幸中の幸いといえるでしょう。他の方も帰国後高熱出したとの報告あります。家内同ゲルの人2名も滞在中相当な不調だったと聞きます。寝ゲロしてたそうです。

恐るべし溶連菌ですね。水はろ過されてますが、用心のため紫外線殺菌ハンディセットを山用品店で買って行くといいでしょう。とにかく今、行っておかないともっと観光地化するのでここ数年の内に参加がベストでしょう。

今回18回大会自分には12年ぶり。次の12年後は大会は30回を数えます。自分も80歳になります。12年後の参加をオーガナイザー数人に約束してきました。それまで心臓もってくれることを願うのみです。自分はこれに出ようとあれに出ようというので退屈せず生きてきました。大きな目標できたのでそれまで走れる体で生き延びたいものです。

前回参加時の様子はこの蘆峰の部屋遡っていただければ長文ですが感動の様が伝わることと思います。めちゃ面白かったのです。前回のあれを超える刺激は数少ないです。

前回参加の際同室だったパクさん今回の参加で彼の連絡先を偶然知ることができました。最近トレイルモンブランに韓国国旗掲げゴールしてました。彼は韓国で結構なランの人物になってました。やっぱりね。韓国縦断レースにかかわってる様子なので絶対それに参加したいと思います。彼のユニークさも前回記録文に書いてあります。ジャーニーランは自分の得意分野です。かの地で日本国旗掲げゴールするほどのバカではありませんがやりたい衝動にかられます。逆に彼がゴール前で用意するかもしれません。平和はいいですね。

対立は両国政府が意図的に作り出してるような気がしてなりません。我が家の父母も純日本人でですが親父の代から韓国には深い関わりがあり今、長男の連れ合いは韓国人です。

パクさんは我が家に招待しようと思います。ちょっとでも友好の懸け橋になればいいです。

家内はホースライディングに完全にはまり帰国後乗馬習いたいそうです。高そうな趣味ですが自分も好きなことしてるので仕方ありません。出来る内にしとかないと出来なくなるというのが自分の得た人生訓ですから。自分も人生のカウントダウン始まってます。出来る範囲で好きなこと遠慮なくやろうと改めて思ってます。家内に遠慮してきましたが遠慮もほどほどにします。今年は沖縄ジャニーラン韓国旅行、モンゴルに続きスパルタ応援と東欧とブカレストマラソン、来年は台湾ジャーニーランに始まり平和ランとエべレストとインド、シンガポールは少なくとも実施したいです。

今後の走り旅は報告文も時には出します。なおビールは首都では冷えるようになりましたが、キャンプでは冷蔵庫設置されるようになっても通電時間限られてるので冷えは全然足りません。うまいビールは数年先でしょう。通信環境は以前はほとんどダメでしたが今はキャンプでもOKです。ただしSIMは買わないといけないようです。今回長男連れ合いは某S社携帯電話150万円請求事件勃発し私は警戒し使用しませんでした。この事件は幸いにも保険加入してたので自己負担約1万円で事なきを得ました。携帯も慣れてなめた頃が怖いようですね。支離滅裂思いつくまま入力しましたのでなんか変な箇所あるやもしれません。最後までお読みいただきありがとうございました。

 
 
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平成24年10月10日

浜名湖100キロウルトラマラニック
開催2012年10月7日


萩田さんが静岡で初めて呼びかけた100キロ大会。参加者は各地より110人強。
萩田さんとはトランスエゾ以来の結構長いお付き合い。
手造り大会をいくつも手がけられ、その幾つかに参加してきた。
いの一番に申し込んだのでゼッケンNOも1番。

大井川マラニック、天竜川マラニック、富士山海抜0メートルからの往復登山マラニック、この大会の前身の浜名湖マラニックなどどれも特徴のあるいい大会。前身の浜名湖マラニックはわけてもゴール後の懇親会、海浜別荘での豪華バーベキューが素晴らしくてこれを上回ることは至難の業。
後に説明するが今回の前夜祭は種類が違うが優るとも劣らないものを用意していて驚嘆した。
自分は関西から全部JR在来線で往復したので交通費も新幹線と比べると40%はお得。
往復で小説1冊が読めて最高。次回はDVDプレーヤーで映画2本見ることにしよう。
ホテルは素泊まり斡旋してくれ1泊3000円はとてもリーズナブル。全泊、後泊2日連泊で6000円。

さて問題の前夜祭。
3000円の別会計で連泊含めて9000円。朝食と後泊はむしろコンビニが嬉しいもの。
3000円でどうやったらあんなに出せるのだろう?
ビールもスパードライを中心とする構成。ワインも相当美味い。焼酎、日本酒は有名ブランド。
いくらでも飲める量があった。バイキングは相当な種類にて質も高い。全部を思い出せないがバイキングで食いたいものは抜けてなかったと思う。バイキングは仕事柄相当な数を経験したが今回のを上回るのはなかなか無い。しかもそれらは会社によるお得意先接待にて金に糸目つけないもの。運動系ではブルガリア女子ナショナルチームご一行をもてなしたバイキングよりはるかに良かった。大きな札1枚はどう見ても必要と思える。それが小3枚!!

生しらす
うなぎおにぎり まったけごはん

鰯?のシラスの生も大量に。和洋中華にご当地ものと何もかも一応食べたらもうお腹パンパン。
出し物のダンスもサプライズ。14歳の乙女を含む若い美女軍団のダンス披露。しかも彼女等がお酌に回るのも驚き。なんと警察署長も歓迎挨拶に来てた。早朝、警官の誘導も一部ありました。

ホスピタリティ最高。
食い物に皆さん一様に驚いてましたが、締めくくりは花火。参加者に満足して帰っていただこうという意図が誰にもわかる。素晴らしい!!
自分が呼びかけても絶対あそこまでは出来ない。
これだけでも皆さんにお薦めしたい大会だけど、レンガマラニックみたいに部外者には知られたくない思いも。底辺は拡げたいが変な輩があれをもってスタンダードと誤解されてはとんでもないことになる。知り合いにコソッとお教えするに留めよう。これを読んだ人はラッキー。
ただしご紹介を必要とする大会らしい。紹介はさせていただきますよ。

参加費は12000円。エイドの充実ぶりと参加賞考えるとこれも超お買い得。
参加賞は釜揚げシラスかなりの量と三ケ日ミカン6個ほど、うなぎ白焼き1匹別途タレつき、おまけはポカリ。自分の場合Tシャツよりご当地食い物がいい。お土産不要になるしね。
なんといってもご当地うなぎは最高。さきほど食べたが最近は高くて中国ものしか食わない。
やっぱりまったく違う品質と加工技術。ダントツ1位にて比する大会なし。

エイドも充実。欲しいものはおおむねあった。
パンとバナナしか出ない大会もあるがここのエイドレベルは5つ星差し上げよう。エイド5つ星は自分の体験ででは5大会ぐらいしかない。ソーメン、メロン、トマト、キュウリ、梅干、アンパン、バナナ、チョコ、クラッカー、ゼリー、コーラ、ポカリ、などは当然のごとくあり、袋井名物串団子、酒のつまみ、豚汁、塩分補給の味噌汁、うなぎのおにぎり、等々以外思い出しきれない。当然のごとく泡のスペシャルサービスも数箇所であり自分は4箇所で泡いただいた。氷で冷やしたオシボリも最高。フラットコースなんで自己最高狙いタイム稼ぎで頑張るのもいいが、ここは一つマラニックに徹するのがいいと個人的には思う。途中浜名湖遊覧船30分というのもあって思わず吸い込まれそうになった。これに乗ってどこかでワープするのもいいだろう。ワープ可能部分がたくさんある。頑張り過ぎてこれらのサービスを堪能しない手は無い。

当日の差し入れも多数あり文句なし。
すべて萩田さんの人徳によるもの。ボランティアに走友のウルトラランナーも。
うっちゃん、菊池さんありがとう。
頑張り過ぎるとあの素晴らしい景色もゆっくり鑑賞できない。
浜名湖ゆっくりと、ぐるり自分の足で一周は最高の贅沢です。

車では味わい得ない良さ。
エイドは10キロ毎の予定が私設エイド多数にて5キロ毎ぐらいあった。ありがたい限りで今回コンビニや自販機で買ったのは1回だけガリガリ君1本のみ。
コースは浜名湖を弁天島発着でグルット見事に複雑な入り江もすべて一筆書き。
景色はおおむね良好。最高レベルの景色も多数。
特筆すべきは台風被害で迂回も可となってた本来のコースのやや危険な部分。
ここが今回のハイライトといえる場所だった。ワイルドそのもの。流木、貝殻、砂利などドサッと歩きしかできないが海岸トレイルといえるもの。
林間、山間トレイルはよくあるが海岸トレイルはとっても珍しい。

ゼッケン1番海賊姿の蘆峰さん

恐るべき台風の猛威爪あとだった。
車が邪魔で危ない部分がないことはないがごく1部。湖畔コースとしては申し分ない。
見事にマラニックコースに編集されていて、うっかりするとコースミスもする。
自分も2人でミスし後戻り中に後続が5人ほどバラバラとやってきた。
ちゃんと矢印あったのにみんな見逃してたのだ。腹立てる人はいない。
落とし穴に感心し喜んでる人も。暗くなると皆さんで助け合い間違えないようにする。
かなりの誘導員を用意してくれてるが、全部を網羅するのは不可能。

ボランティアの皆さんありがとうございました。
元々腰椎ヘルニア悪化で無理できないので、途中ゆっくり遊んで、お店で夕食も食べたらふくビール飲んでからゴールしたんで100キロのワースト大幅更新。途中歩きまくりもありで、それでも制限を42分残すことができた。お蔭でダメージはほとんど残らないというおまけまでついた。
腰もなんとか耐えてくれたし、今日もまっすぐ立てるというのは嬉しい限り。まじめにやれば13時間以内のメドは立ったかなあ。我流のリハビリ成果実感。

制限はなんと嬉しい16時間。
ここ数年10月ですら日中は夏の気温。
自分は大の暑さ苦手の上に軽い仮装もしたんで人間塩吹き昆布と化しました。今後は浜名湖終われば夏の終焉という位置づけにしよう。
大成功の大会に当然来年も参加します。


呼びかけ人萩田博さんのレポート
http://unpoh.web.fc2.com/syukis/hagita/p5/hagita-p5.html#m



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平成22年9月29日

私のさくら道


2010年春大会復活の一報は自分の夢も復活させてくれました。
7年前の大会は骨折から間もない日で足首にボルト入れたままの参加でした。

その状態では民宿さとう116キロまで行くのがやっと。ビリ付近をビッコ引きつつ杖をついての到着で、もうこれ以上やったら一生走れなくなるかもという不安との闘いでした。

止めてて正解ですね。1晩目と2晩目では異次元の世界というのを分かってるはずだけど、今回改めて感じました。2晩目に足をかばうことに思いが及んだかも自信が持てないです。2晩目は頭もイカレますからねえ。お医者さんは無理したら偽関節というものが折れたところに出来て再起不能の恐れありとされていました。

骨折したのは東海道ジャーニーランでの箱根越えでした。くしくもこの正月にそのリベンジのチャンスがやっと巡ってきたのです。この3年は半分休眠状態、100キロの大会にも対応できない引退状態の錆びた体を2ヶ月でごまかして磨き上げました。

練習はたった15キロのスロージョグで尻の筋肉が痛くてダルくなるのです。15キロでも足はまるで30キロ以上走った感覚で42キロをとても5時間以内で走れないな〜という状態にて、東海道もさくら道もとてつもないチャレンジに思えたのでした。諦めず希望を持てば経験が生きてくると信じることにしたのです。

東海道はなんとかこれをリベンジしましたが、気持ちだけでどうなるのもでもないことを痛感しました。

ここではアキレス腱に我慢しずらい痛みを7日目の最終日に体験するハメになってしまいました。アキレス腱がイカレたのは初めてのことでした。帰宅後はついに象足現象も発症しました。

普通のウルトラでは自分は3日もすれば回復しますが、今回は回復に2週間以上かかったのです。

東海道で腰と背中にもそこそこのダメージを食らったのでした。

結果はヨレヨレの完踏だったんですね。

さくら道もまた違った種類の大きな壁です。

更に4ヶ月のヤッツケ鍛錬でさくら道を迎えることとなりました。

この2つを同時に迎えるのは偶然とはいえ、何か因縁を感じざるを得ません。

思い立ってからの練習量はおおむね1ヶ月200〜250キロでしかないのです。おまけにほんの直前に前立腺にトラブルをかかえて不安を抱えたままスタートラインに立つ事となりました。これを完踏すれば念願のダブルリベンジを同一年に達成です。何が私をこんな事に駆り立てるのか。それは自分でもうまく説明できないのです。そこに山があるから登るという名言が残ってますが、そのような感じかな。自分にとって走る歩くというのは本能が喜ぶ行為なんだと思います。走る以外にも趣味はもちろん多くあるのですが、何かを犠牲しなければならない時、走るという行為ははずしにくいです。しかしそれも無条件に永遠にはずせないものでなく家庭事情などで、このランすらが冷え切った期間がこの3年でした。

走るのは当然単なる趣味、遊びであり家庭も家族ももっと大切なものなのでした。

家内の体調も悪く、自分だけが趣味の世界にこもる事には問題がありました。

今から書くようなスタートからゴールまでの事情や想いが走らない家族には到底理解できないのでしょうね。自分が走る世界には世間の雑念は一切排除されてて、それが好きでのめり込むのです。一緒に入門の走りを何度か体験したのですが、それぐらいでは到底分かりえない世界なのでしょうね。

気持ちが後退するとウルトラなんて簡単に休眠状態になります。普段のジョグすらほとんど休眠になります。それでも東海道リベンジと、さくら道に想いを残してそのままというのは自分の夢を達成しないままで終わることで、どうしてもやるという決意を持ったのでした。東海道そのものも久し振りの復活で今年と来年2つを往復としてセットし最終回とするというのでした。もう2度とチャンスはありません。往復完踏は長年の夢でした。片道だけでは未完成交響曲です。さくら道ももう永遠にないと思い始めた矢先の7年ぶりの復活ですからね。

やりたい事を自制しつづけるというのはストレスを生みイライラがつのります。座して朽ちるのを待つのみという焦燥感も出てきます。相当な迷いを持ちつつエイヤーとエントリーしたのでした。

こういう大会はそういった思い切りがないと出れないものとつくづく思います。

これは自分の生きがいの中でも大きいものなんだなと思ってます。

人間の可能性はほんとに大きいです。人間はちっぽけで弱いけど、とてつもない能力を秘めていると思います。参加する事でそう感じることができる数少ない大会の1つです。さくら道は限りなく自分というものに向かい合うことができる40数時間を体験できます。

さくら道には喜怒哀楽が凝縮されています。自分から逃げるのも自由、やめるのも自由、致し方ない故障でストップせざるを得ないのも人生に似ていると思います。どういう走り方をするかは、おおげさに言うとその人の人生観も出てきます。私の場合は速く走る能力が無いのでどう転んでもでたいしたタイムは出ないし苦しみたくないから、このレースをエンジョイしようと心掛けますがが、中々そうは上手く行かないものです。

余裕がある内は走れることへの感謝など有難い有難いと思って走るのですが、最後はそれどころでなく体の悲鳴と同時に、逃げたい自分の心との全人格を賭けた闘いに変化してしまうのです。要するに人間というのは何かと理由や理屈つけたがるのですが、極限近くになると自分勝手になる生き物なのかな。その弱い自分を乗り越えてゆく瞬間は後からしかわからんのだけど、振り返るとそこに強烈な充実感があります。心の中は楽しみたい自分、やり遂げたい自分、苦しくなったら逃げ出したい自分が葛藤しています。周りのランナーも死力を尽くしてるのが見て取れる時間帯があります。彼等がいるから自分も粘れるといえます。これを1人でやってたらとうに止めてるでしょうね。ゴールがそこにあるから粘れるのです。ゴールが更に先であってもそこまで行こうともがくのが、ここに来てるランナーの性です。

さくら道にはロマンがあります。志半ばで倒れた国鉄バス車掌の佐藤良二さんを感じることができます。普通は出来ないことをやり続けた人ですね。この時代にあって私利私欲がないのがいい。

道中それを嫌というほど感じることができます。

この大会は企画し呼びかける人、ボランティアスタッフ、地元などのご協力、ランナーが揃って初めて輝きます。気が遠くなるほどの距離を単に走るのでなく、気が遠くなるほどの時間をエイドの人や相前後するランナーと強烈に濃密な時間と空間を共有できるのです。そうして結びついた仲は一生の友、一生の財産となります。だからボランティアの人も旧知の走友が多いのです。

利害関係のない人とのこういう結びつきは会社での人間関係よりいいものと思ってます。

またお出会いしたくなってどこかの大会に行くというのもよくあります。

呼びかけ人には大変なご苦労があります。甲州街道でお手伝いをした時、海宝さんが風呂の中でコンコンと話して下さって、その一端をうかがい知ることができたのです。

大会中ドライバーや住民、警察の苦情電話は絶えず、事前のトンネル内見廻りや、事後もトイレ掃除まで行かれる。何か事故でもあれば大事です。しまなみウルトラ遠足では私も走路の草刈もやったのでした。しまなみではホテル関係など手配の同室の津○さんは前日一睡もされず、何のためにホテル泊まってるのかという感じでした。甲州街道もスタッフとしての自分はランナー同様一睡もしなかったのです。何年もやり続けるのには決心覚悟が要ります。そら〜一旦おしまいにしたくもなるだろうとつくづく思います。事前事後の挨拶廻りや事務処理も長期にわたり強烈な負担であるのは間違いないのです。気楽なランナーとしてはまたやって下さいよなどとその風呂の中で言ってしまうのでした。

今更ながら、ちょっと自責の念にかれれます。かくして多くの名物大会が数年を経て消えてゆくのは仕方のないことなんですけど、ランナーにとっては残念です。

スタートに話を戻します。7年ずっと交流がなかった訳ではないのですが、懐かしいメンバーが揃いました。悲しいかな、確実に年を重ねているのが判ります。ウルトラは元々年配の人が多かったのに、この7年は大きいです。60超えた人も多く、70代の人もおられます。かくいう自分も知らぬ内に61才となってしまいました。夢のごとく早い7年でありました。

スタート前の海宝さんの挨拶が強烈でした。

「この大会に勘違いしてスタート点におられる人が何人もいます。7年前の自分と今の自分は違うのです。」これは三浦さん、海宝さんお二人の呼びかけ人にも言える事だと私も事情を知ってるので笑いつつも心に響きました。

それでもなおかつ呼びかけられたお二人に感謝感激です。

ランナーの多くはガン手術後だったり、膝を痛めてたり、きつい不整脈だったり、何らかのトラブルを抱えてのスタートでした。トラブル抱えた人の多さに驚きました。

金○さんの手術は知ってましたが、HA○○の手術は驚きでした。2年後はクタバッてるかもと冗談とも本気ともわからん話を笑顔でされまそた。この2人も長いお付き合いです。この1〜2年で天国へ旅立った、○マちゃん、○兄のことも頭から離れません。このまだまだ若かった2人の想いを自分がゴールに届けてあげたいと思ったのでした。お2人は私の自宅の直近にお住まいでした。

長いお付き合いでした。歳はそこそこだったけど、宮野さんもガンで逝った。この人も長い付き合いで遠くは南アのコムラッズウルトラに一緒に行った仲。スタート直後に、そういったみんなの事や自分や家族の事などいろんな想いが走馬灯が廻るように押し寄せ感動が渦巻き胸が熱くなりました。

自分に正直でありたい、感情を殺さないでおこうと思ったらもう涙をこらえられなかったのです。

それだけ7年という年月は重かったのでした。

昔の自分は何キロを走ったとか、どこを何回走ったとか書き留めてましたが、何も気にしない世界に入り込みました。もうそんなのどうでもいい。楽しければいい、あるいは事後の充実感があればいい。フルマラソンもウルトラもミニジャーニーランもマラニックも最早何回走ったかわからなくなりました。しかしながら萩やエゾ、東海道、さくら道はさすがに普通の大会とは全然別勘定です。まだこだわりがあります。最後はキツクなるのがわかってても出るのは自分の可能性を試したいという部分もあるのかな。とにかくキツクても後になれば何故か楽しかったと思えるのです。

さくら道で名古屋市内を走るのは楽しいです。街角毎に旧知の走友がコッソリ応援してくれてます。

何で出ないのと聞くと、故障の人が多いのです。人間離れしてると思ってた人も故障してました。

病名を聞くとご当人の心情はいかばかりかと心が痛みました。走りたくてもとても走れんのです。

やっぱり人間の体は機械とは違うと痛感しました。かくして話す内に最後尾グループになります。

最後尾を恐れることはありません。それが自分のペースです。

初日の昼は牛丼を食べました。エイドの食べ物で十分なんだけど、こういう時、牛丼やウドンを座って食べるのが自分の習性となってしまってるのです。十分に食べることが粘りにつながります。

自分の自慢は足より胃腸かなあ。タフな胃のお陰でランそのものがもっと強い人の近くにおれるんです。今回食えなくなっても走り続けてる人おられたのですが、到底マネできないですね。

7年も経つと記憶が曖昧になるのですが、あったらいいなあ〜と思うポイントにちゃんと私設エイドがありました。

250人にも何かを出すとなるとそら〜大変なんです。コーラでも2リッターボトル25本ぐらい要るし。

飴やチョコやパン、バナナまで置くと恐ろしい事になります。いろんなのが置かれてて善意の玉手箱みたいなものです。ありがとう。

牛丼食べても、ちゃんとエイドのものは人様同様の量をいただきました。

今回エイドで食べまくりましたが、ゴールまで1回も便が出なかったので、走る糞袋と化してしまいました。恐ろしい量が体内にあったと思いますが、走る為のそう大きな障害とはなりませんでした。

初日の昼間はあんまり強烈な印象となる記憶がありません。それもそのはず、マラソンで言えば10キロポイントみたいなもの。苦しくなってこないと記憶に残りにくいようです。

涼風に助けられ絶好の気温状態でしたので楽だったんだと思います。

浅井さんともしばらく同走、谷さんとも同走。谷さんは萩で何度も長時間同走しています。

粘りとモロさをあわせ持った人です。今日はなんとか行けそうな気がすると言ってました。

ダメなときは意外にポキッと折れるようです。浅井さんはいつものようにマイペース。

50キロぐらいのエイドでやっと50キロ、それでも残り200キロ以上あると思うと正直ゾッとするのでした。自分はこういう距離の大会では夜まで頑張ろうとか、朝まで頑張ろうと目盛りをグーンと大きくします。10キロ毎ぐらいで一喜一憂してたら気持ちが続きません。無理をせずマイペースでタラタラ粘り、初日の深夜に佐藤さん顕彰碑にたどり着きました。

こんなに登るんだったかな〜。間違え易い分岐点にスパルタスロンランナーのは〜さんが真っ暗の中、誘導員されてました。北欧ラップランドウルトラ等ご一緒した仲です。

雨も降り始め気温もドンドン下がる中、震えながら誘導されてて感謝感激。本人も走りたかったろうにありがとう。真っ暗の中、ヌーッと私が現れた時は〜さんも感動したと述懐されてます。

自分の勝手な想定よりはるかにに寒いのです。

雨の予報はなかったのでロクなコートを持ってないのです。もとより山の天気なんかあてにならんのに天気予報を信じ過ぎた自分がバカでした。

とても冷たい雨です。民宿さとうの公式エイドで食事頂いてると本降りとなってきました。

萩往還で真夜中の超ド級土砂降りの中走りましたが、あの時は冷雨ではありませんでした。

豪雨ではないですがこの雨も甲乙付け難いほどツライのでした。

ほぼ同時期開催とはいえ、萩の夜と違ってここは雪国の夜であることを痛感しました。

少なくとも我が町の真冬の一番寒い夜よりゴールデンウイークの今日の夜の方が寒いのです。

民宿さとうは本格的眠り、つまりリタイアしての宿泊も出来ます。しかし無尽にスペースある訳でなくリタイアも早いもの勝ちの感もあります。満員ならトボトボ朝まで動き続けるしかないのでは?

少しの仮眠も場所さえあればできるのでした。リタイアしても自分でなんとか金沢まで行くのがルールですから止める場所はとても大切です。ここで沢山リタイアされるのは当然の帰結ですね。

もちろんビールも飲めます。すでに先着のランナーがビールで酒盛りし、くつろいでました。

明らかにリタイアの様子。雨はひどくなり,猛烈な誘惑です。ビールと暖かい布団が待ってます。

軽くビール飲み仮眠しようと目論んだのですが、体が冷え切っててとても仮眠できません。

越田さんがここのエイドでも何時に出ればいいとか的確なアドバイスをくれます。

大会の地図も越田さんの力作でした。さすがとうレベルのいたれりつくせりのいい地図でした。

自分は1時間程度しか休憩できない計算。それでもスタートして初めての長い休憩なんで少しは充電できたかな。ここは道中いっぱいエイドがあった中で唯一の公式エイド。シシ鍋など振舞ってくれます。深夜の冷雨の中にイヤイヤ一歩を踏み出したのでした。コンビニでカッパ求めましたが特需で売り切れ。仕方なく傘を買って凌ぎます。雨には白いものが混じってます。ずっと粘ってると雨は途切れましたが、分水嶺に向けて標高が上がり気温は下がります。

夜明け前後が一番寒いのにエライ事です。道路の気温表示は2度から1度に下がり、ついに0度そしてなんとマイナス1度!!ここまで寒いとは想像できませんでした。自分は寒さには相当強いタイプのランナーなのに今回はこたえました。

リュックからわずかなウエアーを取り出し重ね着します。

自分の場合足を寒く感じることはまずないのに、タイツだけでは寒いのです。防寒対策をもっとしておかなければいけないのでした。

分水嶺エイドは食べ物豊富で助かります。ここを越えると標高も下がり気温も上がります。

なんせここの途中、高鷲のスキー場がすぐ横に見えて雪もちゃんとあるのです。なんとランナーの走る道路脇にも残雪があるんです。これを薄着のランウエアーではキツイ。

下りきるとのどかな景色になりますが途中の酒屋の中にトグロ巻いてるリタイア組みがいました。

サ○ーさんなんか体に悪いアホな事止めてここで飲んで行けと冷やかします。バス運行ほとんどないのでもう出来上がってます。私なんか及びもつかない強いランナーだけど坐骨神経痛が耐えられんかったようです。バス停にも何人もリタイア組みがいて、ここで止めんとバスないぞとか脅します。おまけにリタイアが多くて予約せんと乗れんぞといいます。この悪魔の誘いに気の毒なことに1人乗ってしまいました。

早々に逃げましたが小便をしたら最後の数滴以降にドロドロと膿が出てショック!!

汚い話で申し訳ないですが匂いでみるとやはり腐敗臭がします。

決して淋病とかではないのです。数日前に前立腺炎の診断をもらってました。前立腺結石もあり、他の膀胱の病気も併発してます。走ると石が動き炎症が悪化するのでした。痛みを我慢して走ったせいです。ここで痛み止め兼炎症止めを飲みました。

ひどくなれば高熱を発し入院必要と聞いてましたので自分でドクターストップしなければなりません。

薬を飲んで痛みを緩和すれば高熱が出かねないのでここまで控えてきたのです。

薬を飲んだ以上発熱するしないは運次第だな。医学に無知な自分が自分のことを判断しなければならない羽目に。お医者さんはこんな距離を走るとは夢にも思ってないのです。5キロも走れば痛みが出るわな〜という話でした。もちろん内緒で出てます。相談すれば止められるに決まってます。結果には自分で責任を持たねばなりません。

痛みより視覚的ショックの方が大きかったかな。

260キロ近く行くなら、どこか痛くなるのは当たり前と大陸的に考えてるので、血尿程度なら、あー来ましたか、こんにちはとお迎えするのですがさすがに困惑しました。招かざるお客さんとどう付き合うかこれは経験が物を言うと思ってます。経験がないと大抵は不安に負けます。

耐え難い激痛によるリタイアも経験してますが今回の痛みは我慢できる範囲でした。

その日に足骨折したのに諦めず走った時はまさに我慢の限界を越えました。

コンパートメント症候群になった時も耐えられませんでした。その時ほど凄い心構えで出たことなかったのに耐えられない痛みに心は脆かったですね。どこが限界かは人それぞれですが止めてからまだ行けたのにという後悔だけは御免こうむりたいものです。自分にはそういういい加減なリタイアも過去に当然ありました。後悔先立たずで今でも腹立ちますね。

リタイアした事ないという人いるらしいですが自分には到底考えられないです。

膿を見れば体の内部で何が進行しつつあるのかとビビリます。

今回は自分もビール飲んで慰めたのでした。ビールは炎症に悪いと言われてたけど我慢できませんでした。もう、なるようになれというヤケクソの感じでしたかね。

ここで踏みとどまれたのは、なんとかゴールしたいという想いが優ったからかな。

亡くなった2人の想いも背負ってたからかな。普通なら続行は精神的にキツかったでしょうね。

ここから少し走ると御母衣湖。コバルトブルーのきれいな湖で景色も雄大になってきました。湖と雪山のバランスがいい。ところどころに佐藤さんが植えたと思われる桜が咲いています。ここだけで白山観光のバス旅行に来るようなところです。

自分の足で走破してこそ、その良さがより輝いて見えます。

荘川桜はまだ蕾でした。

ここでやっとこさで追いついた弟の兄さんによると、大会設定の最低ペースに約1時間の貯金とか。

マイペースを貫いてるけど情報は有難い。自分も彼も時間ギリギリは得意分野です。

いつも似たような時間に似たような場所を走ってます。

この辺をあい前後するランナーは個性的な走りをされてます。

しぶといし景色も楽しんでるし、たまにはビールも飲んでます。

ガンちゃんはアルコール飲まないし走りが変則。ばーっとかなりのスピードで走るかと思えば歩いてます。

当方は足が極限にまだなってないので、ずっーとタラタラ走るが登りは少し歩く。しかし走りも歩きより少し早いだけ。

結果は意図せずとも抜きつ抜かれつの状態です。

ガンちゃんはゴール後また金沢まで走って戻る等という余人が思いつきもしないことをすると話してくれました。

さすがに驚きました。マラソン会場まで走って行ったとか、走って帰ったというのは自分もやりましたがレベルが違います。これ往路は当然たいしたダメージ無く着く計算になってます。ダブルさんはスーパーレアレベルなんでスタート後は姿を見たこと無いのですがネーチャーを先週走って、今回またサラッと走って確か3着。サラの体ならどんな時間で来るのかなあ。さすが全日本代表です。

ネーチャー、さくら道、萩と3連荘する人が今年もいるかも。過去に数人知ってるし今年もひょっとしてダブルさんやったのかな。人間離れした韋駄天の化身かもしれんと思う人には事欠かない大会です。

私はごく普通の人間が諦めない心だけを武器にやってるという感じです。こういう人達を近くで見て感じれるのもこの大会の良さです。

大陸横断4000数百キロをされた旅○○○さんはどちらかというと私と似た試合運び。

この辺の人につかず離れずしてればなんとかゴールできるかなと思えるのでした。そういう顔ぶれでした。

北海道のSさんは強いが抑えてる様子です。喉付近を大手術されたHさんはよくぞここまで来られたと勇気をいただきました。もともと強い速いの揃った人。この辺からずっと速歩で全行程を通し制限ギリギリでゴールされました。

世界遺産の白川郷も通過。観光客に混じりリタイア組みも観光しながら声援してくれます。

ここはほんとはゆっくり観光したいのですがせいぜいお茶のむぐらいの余裕しかありません。

五箇山の前のエイドはとても充実してました。どれもこれも美味しいのです。ここから登りなんで長いレストを取ります。

約4キロの登りはもちろん全部歩きです。歩きなんでかえって息抜きできます。

トップレベルの人は別としてここはほとんどの人が歩きます。

自分はこういうのは得意分野です。登りあれば下りはあるもの。登りで抜かされることはないが下りでは抜きますよという計算です。

下りに対する膝が強いんだと思ってます。それが今回は裏目に出たかな?

五箇山トンネルは長い。約3キロ。トンネル連続で喉がおかしくなりました。あそこはマスクしたほうがいいかもしれません。トンネル内通路は漏水でドロドロベタベタ。スリップして転んだら車にハネられかねません。嫌なんで車来ない時は車道を走ります。接近すれば細い歩道に飛んで上がります。確か堀池さんはトンネル内ど真ん中を走るとか。聞いたときはビックリしましたが、今冷静に振り返ると注意深いランナーならそれがベストかもしれません。車の来る方向によりどちら側にも逃げられるし。まあおよそ人間が通ると考えて作ったものではないですね。狭い狭い歩道の真ん中に道路標識が立ってて工夫しないと通れません。まだ歩道があるところはマシで無い所もありまして危険を感じます。しかしこの五箇山トンネル内ゴミは一切なく明らかに今日の為、どなたかが掃除してます。

行政がなさったのかもしれません。ひょっとすると呼び掛け人がやったのかな。

早く抜け出したいのでスピードは相当上がってしまいます。

ここ抜けるとまたエイド。ついに暗くなりました。

ここへ7時までにくれば楽勝という計算を持ってましたがいい時間に着きました。

ここからの下りの長いこと。得意の下りなんでウルトラとは思えないスピードで下ります。

しかしあの時間あの場所ではやり過ぎだったと今になって反省してます。

暗い内にゴールするかもという甘い考えがまだここではあったのです。

県境への道は厳しい時間でした。真っ暗な中ダラダラと登りが続きます。

走ろうと思え走れますが精神的にへこたれる時間帯なのです。

自分も不注意でこのページの地図を無くしてました。注意力が落ちてくるんです。

だから道を間違う訳ないと思われる所で罠に落ちるのも度々です。

こうなれば前後のランナ−と運命を共にする覚悟。全く目印になるものがなく暗い山。

みんなが迷ってるとか、先ほどと同じところを通過してるとかいい出す始末です。

誰もみんなより先行しようとはしないので一番遅い人のペースになる。たいして差はないのだけど時速4キロ弱程度はさすがに遅いです。5〜6キロは出したいものです。ここで早いゴールは夢と消えました。

軽い幻覚も出始めました。照らした先にワン公のスピッツが見えるのですが、いる訳がないのです。

横に見えるかすかな明かりが同走してきますがそんな訳ない。鬼火のようにも見えるのでした。

上○さんに火が追いかけてくると言うと、ホントだ〜と応えてましたんで恐らくみんな同じような頭と体だったのだろうなあ。上○さん明らかに苦しい展開で、この後ほんとによく耐えられたと思います。

幻覚以外にも体に変調が襲ってきました。今度は腰です。まっすぐ立つのがキツイ。

この辺では横に傾いてる人も見かけますが、自分は横でなく前に折れる感じ。

こうなると腰のかがんだヨボヨボ老人みたいなもので、ゆっくりでも走るのは困難で歩行がやっとになりました。

つい先ほどまで時速4キロ弱は遅いな〜、明るくなれば先行しようかなと思ってたのが、もう無理。

時速3キロ強まで落ちたのでは。

皆さん私よりチョッピリ早くどこか壊れかかってたのでしょう。スタート前から腰の違和感あったのでウエストベルトをリュックに忍ばせてました。これをきつく巻くと幾分マシ。

それでもかなり前カガミになります。スタートからここまで無駄かもしれない物を延々と背負ってきた褒美をもらえる瞬間でした。

非常用の靴紐2本を更に上から思いっきり結んで両手を後ろに入れ込むと体が起きますが、長く持続する事は困難でした。要するに紐で上半身を無理やりひっぱり上げるのですね。胃が痛いとか言ってられません。前立腺も厳しさを増してたが腰の方が走るには大きな障害物でした。杖があればマシなのにね。この靴紐持ってる人は見かけませんがいい小道具です。ウエアーをくくりつけたり怪我の出血を止めたりできます。今回も腰痛に使えるとは望外の大活躍でした。これなければ腰痛はもっと苦しみました。

あの下りを飛ばし過ぎたツケなのかも。

眠さもあるしもう踏んだり蹴ったり。ここまできたらまさに自分自身との闘いになりましたがもうダメとは思わなかったのが取り柄かな。しかしこれが荘川桜のあたりで発症してたら諦めたかなと思います。ヨッピーさんは随分前に横に大きく傾いてたんでやはりゴールできなかったのかな。今まで横や前に傾いてる人の身体的つらさを全く理解してませんでした。

今後はもう少し思いやれるかもしれません。

超強力ジャーニーランナーの菅○さんも横に傾いて顔を何かにぶつけたので、車に頭当たる危険を感じてリタイアしたと言ってました。大陸を横断する力のある人なのに安全を優先され立派と思いました。

そういう意味では前のめりのほうがマシなんかいな?四つ足で歩けるものならそうしたいほどだったのです。頭もイカレテきて何も考える訳でもないのですがゴールへの執念の塊と化してしまってました。もうこれがむき出しの自分なんでしょうね。

人を思いやるとかの余裕は消え去ってました。ゴミを落としてしまっても、もう拾おうともしない自分に落ち込んでました。前立腺結石と炎症以外に膀胱にも切迫性なんとかいう病名を併発してたのでトイレ我慢できず漏らしてしまいました。これ病気だから仕方ないとはいえ惨めです。50CCでも我慢できない時があるのです。満タンは私の場合500CCなのに。臭いから水カブルとまた猛烈に寒いのです。体が震えます。こういう局面は大会でそう何度もありません。非日常の世界で、こういう体験も得がたくて好きです。こういうむき出しの自分に向き合うとその後の自分は意外にも人に優しくなるんです。反面教師みたいなものでしょうかね。これが私のいう遠足の最終局面は全人格的闘いになるという事なんです。これ以上野良犬のように落ち込む寸前でなんとか踏みとどまれてよかったと振り返れます。

時間はまだ十分にあるがもう抜かれてばかり。抜く側の人ももうどうしましたとも言葉が掛けられない様子。まあ傾いてる人はたくさんいたしねえ。この辺の時間に入る人は一部を除いてギリギリの闘いをされてるのだろう。弟の兄さんも終盤横に傾き時間切迫でパニックに陥ったそうです。

私も貯金なければパニックになっただろうなあ。彼も私も傾いたというのはやはり7年のギャップが大きいような気がします。超強力ジャーニーランナーの旅○○○さんですら横に傾いてましたからね。

兼六園へも頭に蛆がわくような時間を過ごしましたが、そこからゴールへがまた遠く感じました。

両脇から支えられないと歩けないランナー発見。傾いても自力走行してるだけマシかなと慰めます。

時間順位にはこだわらないとはいえゴールにはこだわった自分でした。

ここで後続にドンドン抜かれましたが着いてゆくことは無理でした。

苦し過ぎると感動は薄くなる事もあるのかな。ゴールの感動はスタートの感動より薄かったのです。

全日本級ランナーのタラさんが、よう戻ったねと涙ぐんで出迎えてくれました。ボランティアに徹されありがとうございました。苦戦の情報も入ってたのかな。タラさんランナーとしてエントリーされてたのに故障かなあ。ようやく、やった〜という感情が湧いてきたのでした。一人後ろが油○さんのご主人だったのいうのも奇遇です。奥さんとはいっしょに、しまなみ遠足でお手伝いした思い出があります。今回もボランティアされてたみたい。

半分ぐらいのベテランランナーがゴール出来ませんでした。

喉の大手術後のHさん、歩き通す姿に感動しました。鬼のように強い時代の彼を知ってます。

何故彼がここまでたどり着いたか少しだけわかるような気がします。病んだ体の可能性に賭けたかったのでしょうか。体は病んでも自分の心の強さを確認し生きる力を得たかったのでしょうか。

じっとしてたら好きなランが出来なくなるあせりはなかったのでしょうか。

単に走るのが好きというだけではあそこまで頑張れないように思います。

病気に立ち向かう姿には心を強く打たれました。

72歳の髭カクさんのゴールも素晴らしかったです。私も果たして72歳で同じことできるかというととても自信ないです。ジョグ中に後ろから車にはねられ腰や足に重大なダメージを負った○保さんは灼熱のエゾになった年に魂の完走をされた女性。ゴールはできなかったが、この方は7年前の私と同じことを言われた。これ以上やると壊れるのが怖いと。よく立ち直られたと思う大怪我だ。

参加者それぞれのさくら道ストーリーがあったように、参加できなかった人にもそれぞれのストーリーがあった事と思いを馳せます。250以上のストーリーがあるのですね。

一つの後悔はゴール後すぐに風呂に入りたい思いと、懇親会まで仮眠したい思いに負けて,後続のランナーのゴールを祝福できなかった事です。疲れ過ぎてほとんど寝られませんでしたし、どうせ帰りの列車で終点まで寝れたのに。

萩往還ではやってたのに何故ここで出来なかったのかなあ。

我慢の限界になってた腰と前立腺炎のせいにしときます。

まだまだ人間性も肉体も未熟ですね。宿題がまた残りました。

もし来年も呼び掛けて下さるならこの宿題をクリアーさせないとね。

ゴールタイムは46時間36分49秒とのことでした。肉体的トラブルの中、上出来です。

後日戴いたゴール写真はそれでも笑顔を造りまっすぐに立ってました。やはり写真を意識したんですね。この写真は私の宝物の1つになりました。

もし養老院でも入ったらこれベッドに飾るでしょう。看護師がこの人にもこんな元気な時代があったんだと感心することでしょう。宝物をいただきほんとにありがとう。

後日談; 前立腺からの発熱は発症しませんでしたが10日後ぐらいに強烈な腰痛を発症しそこから全治4ヶ月以上を要しました。お医者さんによると悪性の腰痛ではないとのこと。単に年寄りの冷や水からくる疲労性の腰痛のようでした。

小便後の膿についてはそういう事も稀にありうるとの事でした。

炎症で腐った体液が排出されたそうです。体重は約3キロ減少し計算すると総て脂肪の減少でした。ゴールまでよく体が耐えてくれたと改めて感謝しています。

走友2人に捧げるゴール、そして頑丈な体を与えてくれた今は亡き両親に捧げるゴールでもありました。自分は親父の亡くなった年齢を3つも越えました。どこまで出来るかチャレンジを続けようと思います。

鬼が2度笑いますが、トランスヨーロッパ2012にエントリーし大会本部に正式に認可されました。

私はこれ、この腰では難しいけどもし完踏できたら生涯最高の幸福感に満たされると思ってます。

参加する旨家内に伝えましたがそら〜機嫌悪いですね。

家族も健康でなければスタートラインに立てません。自分も健康がどうなってるやら。

経済的に変なことが起きてないとも限りません。

ヨーロツパはスタートラインに立てたらまたそれだけでウルウルすると思います。

スタ−トラインに立てることがしあわせなんですね。

体のことでもう1つありました。交通事故で麻痺した左肩から手の指先にいたるまで4〜5年前はウルトラで足よりどこよりキツクなる部分でしたが、今回違和感はもちろんあるものの、走る上でのブレーキには一切なりませんでした。この部分は完全麻痺で1年は動きませんでした。これはランによるリハビリのおかげで回復したと思ってます。平常時たとえば今タイプしてる時のほうが肩はダルクて痛みもありますがそういうものに脳が慣れたようです。ありがたいことです。

来年もさくら道あったらいいな〜。


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平成16年8月13日

2004年モンゴルサンライズサンセットウルトラマラソン



 6月19日
 関空午前10時発成田発ウランバートル行きは午後便(直行便)
 インチョン空港にガス不足で予定外に降りる。これは九州の新興宗教団体がO田さんと私以外の人間の貸し切り状態であり、満員だとUBに飛ぶことができないらしい。そんなおかしな話は始めて聞いた。飛行機に関するトラブルはこれが単なる前兆であるとは知る由もなかった。復路では悲惨な目に遭ってしまった。(大災難という昔見た笑わせる映画そのものの主人公になっちまった。)
成田でホスピタリティの津川さんがこの飛行機はチャーターになったので2人は乗れないてな通告をモンゴリアンエアーから受け、すったもんだがあったというのを軽く聞き流していた。だいたい2人のツアーに津川さんがわざわざ成田まで見送りにくるのが変だったのだ。これも前兆だったのだ。予定外のダダ遅れでUBに着くと荷物が1時間ぐらい出てこない。こんなに多くの人間が乗ってたのが例外なのだろう。荷物運搬車も1台でやってては時間もかかる。

やっとこさでロビーに出ても出迎えの人間が見当たらない。なんとか見つけるとosakaoku  tokyo てな訳のわからん紙を持ってるだけで相手がそれらしき人を捜してる風には見えない。細かい英語がビシッと詰まった旅程表を貰うとホテルが日本で聞いてたのと違う。ウランバートルホテルでなくコンチネンタルホテルに勝手に変更になっていた。ホテルそのものは新しくかえって良かったのでこれはかえってラッキー。ここのシングル79ドルはべらぼうに高いので外人専用に違いない。

 O田さん同室はベルギー人の若いメチャかわいい人。BELLKE DE VOS(ベルカ デフォス)という人。新婚で旦那を国に残してきたらしい。お腹痛いので出発見合すとの事。弱気になりきりダーリンにメソメソと電話してたらしい。ここまで来てかわいそう。自分の薬でなんとかなるならと私のお医者さんからもらった特別な腹薬をあげる。この薬は事前にお医者さんにここがどんな所か説明してもらったもの。この飲み方の説明は私のプアーイングリッシュでは伝わったのかどうか不安。ブラとショーツ1枚で立ってるのにもど肝を抜かれた。彼女はdistractingly glamorous businesswomanとキャンプで評された人。単語がわからずdis......の意味を尋ねたのだ。私の場合は心を取り乱すという彼等の表現より度肝を抜かれたというのが正しい。

 シュリーがホテルへかけてきた電話でベルギー人の事や、私の同室の韓国人が深夜にやってくるや、今夜の夕食はツアー料金に含まれてないなどはなんとか判ったがすごい早口だ。つまり聞き取りはなんとかなっても自分からややこしい説明したりするのは大変という事。夕食はホテルで10時のオーダーストップ直前に食べる。ビールは全く冷えてない。調べるとガラスケース冷蔵庫のコンセントが抜かれていた。ビールは偽バドワイザーのように感じる。食事後ホテルのミニバーで冷えたビンビール(ハイネッケン)と生ビール(UB産)を飲む。幸せ!ハイネッケンは2USドル。生は約2.5USドル

ラン強そうな外人が多数。ファンランらしき人も多数。但し人は見かけによらない。こんなとこまでやってくるのはランに狂った人に違いない。夜中に朴さんがやってきた。1時30分頃だったか?それまで私もケーブルテレビ見てたので眠い。テレビのチャンネルは凄くて50ぐらいが映り、NHK衛星放送も見ることができた。一番よいのはアドベンチャーチャネルで私の興味のある山岳耐久ランなどを流していた。なんとソフトアダルトも流しており(もちろん無料)従って退屈はしない。

朴さんは私がしゃべる英語程度の日本語をしゃべり、英語も少ししゃべり、中国語はかなりしゃべるという便利な存在でコミケーションに事欠くことは無かったが多少の文化の差は感じた。彼は凄いといえるレベルの最新の電子機器で固めていた。あれだけ最新のを持ってる日本人もほとんどいないだろう。衛星電話もパソコンもデジタルカメラもムービーも携帯型ランナー用GPSもなんでもドラエモンのようにカバンから出してくる。ホテルのすぐ隣の遊園地は日本の遊園地と較べるのが気の毒なレベル。神戸の王子動物園に付録でついてる遊園地ぐらいのものだが、ここしかないと見えて子供達が深夜0時を廻ってもギャーギャー騒いでいた。

6月20日
 黄金の菩薩、冬と夏の寺院、5階建てモンゴルで一番というデパートなど訪問(他にデパートあるようには思えないが)お寺の宗教画は地獄の閻魔が骸骨を集めてて天上は天国らしい絵がかなり多い。

黄金菩薩はソ連に地金をもって行かれたらしくそれらしい説明をしていた。今のは再建された菩薩らしい。中で写真撮るのは金がいるので撮らない。広場にはクルクル回す金属のミニドラム缶みたいなのがたくさんあり、みんな願をかけて回している。これ以上汚くなりようがない若い野良犬がとても印象的。思わず写真とるほどかわいい。UBには過去世界を制覇し栄光を感じさせるものは1つもない。お寺も日本や中国のものが素晴らしい。遊牧民なので固定的なものは残さなかったのか?あの世界制覇は現実だったが我々がここで感じるのは草原の幻と消えた軍勢でしかない。

ピンクのフェルト帽子一個17ドル、O田さんのトレイルシューズ外国製約7000円ショッピングはヘンテコなのがいろいろあって飽きることがない。商品のプライス書いた紙をもらい、各フロアの階段横にある集中レジとはいいがたいそのような所で支払いを済ませ、再度売り場へ商品を取りに行くというシステム。カードも使える。各フロアにエクスチェンジコーナーがありこれも不思議。

午後8時30分またしても目的地と違う空港に降りる。滑走路濡れてて降りられないとのこと。熊みたいなスッチーが早口の英語で何やらアナウンスしていた。アンフォテュネットリーの下りは聞きとつたので何やら滑走路のトラブルらしき事は理解していた。到着予定時刻よりかなり早い。おかげで凄い悪路を延々3時間30分も走るはめになった。結果的にとても想い出に残ることになる。

ウランバートルより気温がダウンしてるのはピリッとした空気ですぐにわかる。

草原のオフロードをサハラのラリーのように猛スピードで走りしかも7〜8台の車がめいめい好きなコースを疾走する。もうもうたる土煙を巻き上げ、悪路になると岩石をかわしまくって走る。ドライバーのテクは相当なもので私ならスタックしそうな所を経験でうまくかわしている。なんと、先行する車が2台も途中立ち往生。車のリタイアだ。助ける素振りすら見せない。手を振って先に行くだけだ。よくこんな何もない石ころと草原の大地からポーランドまで攻め込んだものだ。軍勢を集めメシを食わすだけでも気が遠くなるほど大変だ。あの中を侵攻して中央アジアの大山脈や砂漠を越えてるのだから、狭い海渡って日本に侵攻するぐらいかえって簡単だったであろう。

草原のオフロードはまだよかった。湖に近づいた森からは日本ではお目にかかったことのないレベルの凄い悪路で4WD以外は難しいだろう。乾いた石ころ岩石だらけの間違い無く川底である部分を延々と走行する。伯耆大山の大山寺付近の沢崩れを走るといえば感覚のわかる人もいるだろう。廻りは森と山なのでここが一番道に適してるのだろう。我が家の乗用車では底をこするのみでなく空転するだろう。以前に所有したMPV3000でもかなりの技術がないと無理だろう。ソ連のエクスプローラーだから行けたと思う。体験しないとわからない素晴らしさ。この体験だけでこの旅行の価値はある。素晴らしいの一語。しかし車酔いしやすい人は苦しいかも。舗装路なんて全くない。あれを橋かけたり(橋も無い)舗装したりしたら景色は台無しになる。キャンプには夜中の12時頃たどりつく。

午後9時でもお日様は高く午後11時でもかなり明るい。午後11時30分ごろほぼ暗くなった。これはもう白夜である。スエーデン北部で体験したのと同じレベル。深夜の夕食はマトンハンバーガー、コールスロー、ビールはホルスタインとハイトだが冷えは全然足りない。昼はタコス、ヤキメシ、クレープ風の皮、サラダであった。

6月21日
 20日の夜中は雨だった。朴さん寒がりの上に間違って布団の一枚を敷布団にしたとの事で夜中に2回も起きてオー寒いヨーと日本語で言って薪をくべる。1回目はオー火がないヨーと言って私を起こした。確かに寒いが我慢の範囲。彼は相当な寒がりだ。オンドルで暮らしてる民族と畳で暮らしてる民族の差らしいというのが後で判った。本来韓国の方が寒いはずなのだが。ここは昼と夜の温度差が激しい。

8時30分起床。O田さんや他の外人も寒いという。私はやはり寒さに強いと改めて実感する。今まの体験で一番寒いと思ったのは東海道ジャーニーラン雪のステージランだ。夜の猛吹雪の中、大きな橋を越える時の鼻と口からのツララは限界に近かった。もっともあれは裸に近い姿でのランで今回はゲルの中だ。

朝食もまずまず。パンが固い意外は総て合格。あのパンはロシアの酸っぱくて堅いパンの影響を受け、わざと堅くしてるのだろう。しかも少し酸っぱい。景色が良いので普通の朝食も随分美味く感じる。みんなめいめいに好きなアクティビティをする事になってるので今日乗馬する人や釣りをする人もいる。私と朴さんとO田さんの3人はコース下見を兼ねてトレッキングに行くこととした。ゆっくりしたものでランチボックス持って11時にスタート。歩き始めてわずか2分で3人共驚嘆の叫びをあげる。凄い景色。道なき道。ほとんど人の通らない道だ。1歩横に行けば史上初めて人間が足を入れたと思えるような所だ。賽の河原もあり途中カリブーに出会う。カリブーを家畜にしている。キャンプ場は我々の所以外にもその道中で2箇所あったが我がトロイログが1番よい。原住民のインディアン風テントはシャーマンの女性の一家らしい。シャーマニズムという点では卑弥呼だってシャーマンのはず。近くのゲルではおじいさんのブルーアイ、澄んだ目、悪意の全くない目、あんなにいい顔のじいさんは生まれて初めて見た。O田さんもそう感じたらしく写真をいっしょに撮ってはしゃいでいる。O田さんは何かにつけメチャおもろい人だ。いっしょにおれば退屈する事がない。

湖は極めて美しく透明である。息を呑むほどの美しさ。透明度30メートルを超すらしい。もうすぐ近くがロシア国境でバイカル湖もすぐ横だ。バイカル湖は世界一の透明度と教科書で習ったのを記憶している。今でもそうなのか?足を伸ばし行ってみたい気もする。モンゴル北部は実はシベリアなのだ。森も素晴らしくカナディアンロッキーより良いかもしれない。山のスケールの大きさではカナダだろうが、全く手付かずのままという点でここの方がはるかに素晴らしい。本当に全く手がついてなく、どれぐらい凄いかは行った人にしか判らない。(北朝鮮金剛山も手付かずの魅力を感じたがその比ではない)私の一生の想い出の宝物がまた1つ増えた。湖に映る雲はこの世のものと思えない幻想の世界だ。琵琶湖程度や観光地化したレイクルイーズしか知らずにいるのはあまりにももったいない。途中道なき道に早くもコースアウトしマークもほとんど無い。下見でこれじゃー本番では大変てこずると思い知らされる。

湖から山に入ると眼下の湖の景色がまた一段ときれい。600メートル程度の登りだが2000メートルを超しているので息づかいは荒い。朴さんはさっさと先に走り消えた。見晴らしのよい所でランチボックスを食べてたら、レースディレクターを含む6〜7人がトレッキングに現れた。例のベルギー人もおりその回復に驚くが彼女はチーズを少ししか食べない。まだ治りきってないのだろう。薬が役に立ったと喜ぶ。彼等はコースに印をつけつつトレックしている。

以前ここで日本人が真っ直ぐ行ったんだよナーてな事を言っていた。そこを真っ直ぐ行くとはかなり変な人だなあーと感心。その時は多分濃霧だったのだろう。雪がうっすら積もった大会もあったと聞く。狼と熊も出るがレースで事故は無いとの事で安心。1つ目のピークからの下りはまさにトレイル。かなりの急斜面。ここも道なき道であるが日本での藪こぎよりはまし。はるか下に白い岩のようなのが見えなにかと近づけばミニ氷河であった。

ここの川の水は飲めそうだが大事をとる。500ミリのボトルのみの水では不足であった。

後で聞くとやはり飲まないのが正解らしいが朴さんは飲んだと云ってた。美味しかったヨー。ノープロブレム。とは大物だ。川沿いは湿地が多くとんでもないコースと実感。靴はもうぐちゃぐちゃ。本番ではここは走れない。湿地を気にすると下を見過ぎて、木につけたグリーンマークを見落とすことになりやっかいだ。雨がたくさん降れば湿地とういより浅い沼と化すだろう。ただここは年間降水量は少ない。O田さんは脳手術の後遺症で片目がほとんど見えないとの事。いろんなレースで鍛えられ、目に問題ない私でも苦戦するのだから長田さんはさぞ大変だろう。O田さんはその際の後遺傷害でほとんどの易しい漢字も忘れてしまい、1から覚え直したとの事。素晴らしいファイターだ。そんな目に遭ってなおかつこういうレースに来るのは並みの根性じゃーない。ひどいと思っていた私の肩の後遺傷害なんかかわいいものだ。(バイク事故による神経麻痺と運動障害)O田さんと始めて会ったのは今年の済州島レースだ。彼女が島1周200キロに出、私はハラ山146キロトレイルに出、途中で交差したのだ。強烈な個性なので覚えていたがこんなにも一生忘れ得ない人になるとは夢にも思わなかった。

ミニ草原からコースをそれて普通のオフロードに戻る。草原は日本の高山植物のはえるてる所よりきれい。規模も北海道の原生花園なんかの比でない。欧米人がpristine!stunning!と叫んでたが日本語でここの景色にピッタリの言葉がない。この2つの単語を理解するのには生の英英辞典を聞いているようなもので疲れる。原生花園は1個所でなく延々と続くのだからすごい。とにかくこの湿地は普段、人は通ってないだろう。よくこんなコースを見つけたものだ。熊や狼とバッタリ遭遇しないのが不思議だ。蛇が苦手なのでこいつがうじゃじゃいそうな湿地でびびりまくるが普段が寒過ぎていないようだ。ここからあと5キロでキャンプ。ここまで25キロぐらいか。本来は42キロのコースチェックてないいかげんな事考えてたが11時出発ではとうていたどり着くようなヤワなコースではなかった。残り3〜4キロポイントで迎えの車2台にコースディレクターも含めて全員回収されてしまった。

車というとまともな道があるかに思えるだろうがもちろん未舗装の相当な悪路だ。明日のレースのレギュレーションの説明があるとの事。キャンプに着くとメインゲルの木製階段にみんな腰掛けて待っていた。早口の英語での説明。それでも肝心な部分はなんとか理解。支給されたチョコバーは緊急用なので食べるな。チョコはエイドでチェックするぞ。無ければリタイアとみなす。遭難信号の笛は短く3度吹け。聞いたランナーはロングホイッスルを3度吹け。トレイルからはずれるな。紙に必要な援助やいると思われるポイント状況を書きトレイル上の目立つ所に置け。ゴミを必ず拾ってこい。人のゴミでも拾ってこい。エイドでドクターが状態をチェックするがレスペクトフルに意見に従い異義をはさむな。危険なクリフがある。ケガしたランナーを次ぎのランナーが肩を貸してでもエイドまでたどり着け。グリーンマークを100メートル見つけなかったら最後に見たマークまで戻れ。

緊急用に錠剤2錠を支給している。川の水を飲まざるを得ない状況でボトルに1錠入れる事。コンパスを支給するので絶えず見よ。ヘリコプターからレーダーに反応するブランケットを支給する。(毛布というよりただのアルミコーティングのペラペラの防風防水グッズだったが山岳用だろう)シャーマンの置いた道祖神みたいな置物やポールを触るな。壊したら1000年の苦しみを背負うといわれてるぞ。原住民にレスペクトフレルであれ。ゴールして湯がでなかったり快適でなくてもBepatientであれ。石鹸は支給されたbiodegradable soap以外は使うな。(トイレで紙流すなは初日から言ってた。管が詰まるからだ。)オーガナイザー達への免責にサインしなければスタートささない。

ゴールしたい人は最初の42キロをゆっくり入れ。決して現地参加の3名ほどのモンゴル人に競って着いて行くな。彼らは高地順応している。などなどこと細かにしゃべる。しかし何を言ってるのか判らん部分も多々あり、英語わからんと不安である

私が305キロや555キロ完走のシャツ着てたのでさすがに一目おかれ、言葉が総ては通じなくともレースの常識には精通してるだろうということでほとんどフォローもしてくれないし、ゆっくりしゃべってくれることも無い。逆にそれはどんなレースかといろんなランナーが聞きとても興味を持つ。56時間ほとんど寝ないとかひどいのではエイドもなく、リュックに水、食料まで背負い過去10年で70人ぐらいしか完走してないと云うとクレージー、アンビリーバブルとか感心してた。苦しいとかきついというのに類する英単語を山ほど教えてもらった。日本は雨や雪、風(風だけで400もあるらしい)の表現たくさんあるのを先日知ったが、きついというのがこんなにも多彩に表現できるとは余程拷問でもやりまくった民族なのだろう。私が出たのでもないのに驚かしてやろうとRAAジャーニーランやトランスヨーロッパの説明すると呆れてた。

香港の中国人は英語がめちゃ達者で楽勝だがこちらは四苦八苦している。滅茶苦茶なブロークンイングリッシユでこちらが話してもなんとか理解してくれてる様子である。文法がどうのなんて考えてる暇がない。とにかく意志を理解させないと何事もとてもやっかいな事になるし楽しさも減る。もともと遠慮のない私がますます遠慮なく振舞った。今日の下見で足を使わないようにしたので問題ないが足を使い過ぎの人もいる模様。楽しいし、すごい刺激が満ち満ちていて幸せこの上ない。心配なのは目がねのレンズが片方割れ、キネシオテープでなんとかくっけている事だ。とても見にくい。もしレンズが落ちてしまえばあの判り辛いコースがもっと大変になる。

6月22日
 起床は遅い。なんせ午後11時過ぎまで明るく景色も満喫したいし、楽しくて早く寝る気がしない。昨夜は朴さんがオー寒いヨーとまたしても薪を大量にくべたので、ゲルの中はサウナ状態。ドアを開けっ放しにしてもサウナのまま。ドア開けなかったら大変なことになったかもしれない。ペットボトルがグニャッと変形し中のミネラルが熱いお湯になっていた。ローソクはグニャリと曲がりベッドのヘリをつかんで起きあがろうとしたらシーツが熱くてヤケドしそう。あまりの熱さでパンツ1枚になっても熱い。ゲルの玄関階段にハダカのまま出て腰掛けて体を冷やす。スエーデンの雪景色でサウナから出て裸で冷やしてるところをテレビで見たことあるが、まさにあれだ。満点の星は普段の空よりはるかに多いが過去最高という訳でもない。one of the best だろう。月が何処を見ても無いのは森に隠れたのだろう。寝る前には三日月の新月が見えていて午前0時頃のぼーっと明るい夜が朝まで続くと誤解してたが、一応真っ暗だ。自家発電も0時頃に切れるので明かりは全くない素晴らしい暗闇だ。静寂も気持ち悪いぐらいだ。このダークネスもサイレンスも日本ではまず無いだろう。

朴さんは今度はオー熱いヨーとはいうものの、ストーブへの距離が私のベッドと彼のでは60センチ対120センチと倍の開きがあり朴さんのベッドは少し熱い程度で触れないほどではない。このように朴さんはとんでもない事をしでかしてくれるが、面白いし善良な人なので腹立てても仕方ないと諦めの境地。こういうルームメートに当たるのも運命、いや試練と諦める。そういえばO田さんと話してる時、なんでこんなにいろいろひどい目にあうのかという話題で彼女はそれは神様がその人の大きな受容力を認めてるから…・・という話をされた。納得である。俺を試してるのだと考えよう……

午前9時から朝食とメディカルチェック。ちゃんとモンゴル人のドクターがきてる。こんな所まで凄い。なんせスローリズムになってしまうので気がつくともう11時30分。馬は第一陣が11時に出たのでつぎは早くても13時との事。それまで湖畔で1人でランチボックスを楽しむ。今日はトウモロコシ、ビンーズ、キュウリ、ニンジンに肉を入れて炒めたものでライスはなし。昨日はフライドライスのできそこないみたいなのと小さなパンにジャム塗ったの1つと小さなビスケット4個。ちょっと少ないがディナーが結構多いので我慢できる。

我慢というよりこれで十分腹は満足するので不思議だ。1人での湖畔は人生とは何かとか人間にとって豊さや幸せとはなにかなどふっと軽く思索するのに最高の時間だった。湖畔に打ち上げられた無数の石を手にとると空気泡のあるのがほとんどで天然の土手を形成している。多分この湖はカルデラなのであろう。キャンプも人間が手を加えるのを最小限にしており、ましてそれ以外の所は全く人間の介在を意識させない。日本でも走り歩きやジャーニーランをするとどんなに素晴らしい所も人間が自然を破壊しているのを感じる。これはもう人間の原罪に近いもので人間がその地に寄生したが最後意識するとしないにかかわらず、ゴミを出し汚水を出し木々を切り倒し自然を破壊している。日本ではどんな田舎の1軒屋でも私はそのように感じていた。この湖では自然との共生を考え始めており最小限の破壊でしかない。もともと遊牧民の暮らしぶりでは家畜の糞までリサイクルを大昔からしており、物も最小限しか保有せず、(出来ずというべきか)もちろんテレビも電気も無い。あくまでも大地にひそっと住ましてもらってるという感覚だ。

 この大会のオーガナイザーはこの湖を汚染や破壊から守りたい一心で毎年物凄いエネルギーを注ぎ込んで開催している。ノープロフィットプロジェクトと云ってるので彼等のここへ来る費用も自腹だろう。

インドに移り住みヨガをやってるアメリカ人とか大学で講師している人とか環境問題選考の人とかが開催している。大柄なアンジーは北京で有名会社のジェネラルマネージャーをしている。どんなに小額でもいいのでドネートして欲しいと食堂に箱を置いている。1ドルでも十分との事。やってくるキャンパーにゴミを持ち帰らす運動を展開しており、その為にゴミ袋を無料配布している。この運動をモンゴル政府も理解しトロイログのみでなくホスグル湖全域に拡大し始めているらしい。モンゴルに金がないのが幸いしここは全く手がついてない。なんせ国防費が2500万円のお国だ。他の国家予算も信じ難い低い金額。従って草の滑走路の空港ハウスがただのバラックなのも当然でありウランバートルから少し離れると全部未舗装で橋もなく、表示物すらないのだ。

 オーガナイザーの顔は輝いている。誇りを持って大会を運営しているのだ。参加者の多くが北京、上海に勤める欧米の大使館スタッフや政府組織メンバー、あるいは民間会社駐在役員クラスであり話すと彼等の知的レベルは高い。他にもアメリカの裁判官(この夫人はフィリピン人にて2人とも気さくで易しい英語を話してくれ辛抱強く話を聞いてくれ私にとっては最高のキャラクターであった。)フランスの医者(この夫婦は映画マトリックスの画面から飛び出してきたほど主演の男女優にそっくりさんでかっこいいことこの上ない。多分本人達も意識している。)朴さんだって韓国の化学会社社長だ。中にはニュージーランドプレイボーイなる職業?の人もいる。(この人は大男でルックスも最高で私が見てもシビレる。)人種が多様でとても刺激的。

日本人が2人しかいないのもとても良い。わずかの期間に自分の日本語が中国人がしゃべるかのような日本語になるのだから環境は恐ろしい。朴さんO田さん達がミセス・ヘナ(アメリカ在住)のヨガ教室を受けている。高山植物の花園の上でやっている。そこは日本でいえば原生花園。花は山ほどあるので日本のように入るなとかは云わない。人工の歩道板を自然の中に平然と造るような変なことはしない。牛や馬ヤクはその花ぐるみ草をムシャムシャ食っている。

日本は琵琶湖の水源の森の山中に遊歩道と称して東海自然歩道の柵や階段のようなものをなんと誰も要請もしないのに3000万円もつぎ込んでいる。諫早の干拓もナンセンスを通り越している。

昼からホースライディング。少し程度の乗馬は何度か経験あるが何時間乗ってもいいぞ、てなのは初めて。馬と意志疎通を欠いていたが20分も経つと意志疎通ができるようになったと思う。馬はとても賢い。少しの意志を手綱で行うだけで思い通りに動き、最後は馬が勝手に乗り手の意志を推測して動いてくれた感じ。しかし最初は人間を試すかのように樹の枝に乗り手を当てに行ったり、隣の馬にわざと当たったりソッポ向く方向に行ったりしてたが最後はとても楽しい走りをしてくれた。湖畔沿いのライディングは最高。

朴さんと私と従者の3人だけだ。たむろしている牛やヤクを避けながら進む。最後の湿地はデコボコでドロもあり馬が考えてくれないと進めない。賢い馬でかなりの速度で行ってくれた。ギャラップになると怖いので少し抑えるが、それでも両足で馬の腹を締めるようにライドしないと乗り慣れない為に振り落とされそうになる。馬は乗り手の技量をちゃんと判っているのだろう。適当に遊んでくれる。朴さんの馬はあんまり出来のよい奴でなく云う事をきかず座り込んだりして困らせる。後日他の馬にもロングライドしたがこいつはもっと賢く、馬に慣れたアメリカ人でもグッドホースと誉めていた。(当然グッドライダーとは云わない。だって下手だもん。)落馬すればケガしそうな所もあるが馬が良いと怖くない。早く走ると鞍からお尻がバンバン飛ぶ。従って足で腹を締めて安定感を出すのはオートバイのガソリンタンクを足で締めるのと同じ。

あらかじめ自転車レース用お尻パッド付きライダータイツで保護してたがバイクと馬では擦れる場所がかなり違い祖先にシッポのはえてた部分あたりの保護ができず股ズレが発生した。ワセリンを塗っておくべきだった。足も普段使わない内股を使う為少しだけ筋肉痛が残る。4時間も6時間も乗ったりしたらダウンするのは間違いない。ロードバイクですら普段の練習がなければ1時間も乗ればヒップは痛くてたまらない。ロードバイクは2時間でも擦れて血豆ができるほどなのだ。馬に慣れた民族は良いがほとんどの日本人は3時間以上のライディングは避けるのが賢明だろう。ロングライドを敢えてやるなら時々馬から下りて一緒に歩くべきと思った。北京大使館のイギリス人はウルトラレース前日のホースライディングは止めてフイッシングにしとけと忠告してくれたし、アメリカ人は飽きれた顔でアホやなーてな感じだった。道理で午前に乗ってたのはディレクターの子供とレース出ないご夫人だけだった。

馬乗りから帰ってから2時間も森の木陰で昼寝をしたが偏頭痛気味で便も3回で調子は良くない。偏頭痛もお腹も薬でコントロールをするが明日が心配。

夕食はフランス人女性とテーブルを囲む。上海のフランス通商部の仕事を旦那がしている。東京3年、ニューヨーク4年、シドニー?年、上海8ヶ月で他の国もたらい廻しされてるみたいが日本の印象は良い。上海はクソミソに云ってた。安心できる相手だから云ったのだろう。空気の悪さ、人の多さと中国人の性格の悪さのせいである。

今日は9時30分に寝る。明日午前3時起きだ。3時30分朝食4時30分スタート。朴さん薪のやけくそ投入は今日は勘弁してくれ。


6月23日
 朴さん、やけくそ投入はしなかったがやっぱり私には少し暑く寝たのは2時間程度か。一晩寝ないで100キロ走るぐらいは何でもないと思ってたが今回は苦戦した。

朝飯はちゃんと用意されており4時30分にはちゃんと全員揃いスタート。まだ真っ暗でライトなしでは無理。今回は新型LEDの凄いのを持参した。こいつはCR123を2個入れてもフルパワーでは6時間しか持たないが、従来品LEDより10倍明るいとのふれ込み。実際の感覚では2〜3倍の光度かと思う。ライトはケービング用も含めて実にいろいろ持っているがランニングコストを考えなければこいつが一番軽くて明るい。しかし夜をフルで2回越すような大会ではCR123を8個必要とし、バッテリーだけで4000円〜5000円もかかるので使い分けなければならない。

スタートして3キロほどは暗いと走れない深い森林だ。最初のエイドで素晴らしい日の出。色んな日の出を今まで見てきたがやはりONE OF THE BESTである。日の出はいずれも素晴らしく、どれが1番とは決めかねる。この時点で自分より後は42キロの部のランナーも含めて推定10〜15人程度。このエイドを左に山中に入る。高地の上に坂とあっては歩くに限る。制限時間の観点からは大いに問題であるが、どこかで帳尻あわせようと思っていた。1つ目のピークにモンゴル人が例のモンゴル衣装で立っていた。一緒に記念撮影。彼は馬でここまで登ってきている。

私は下りが相当得意なのだが急斜面すぎて得意さを発揮できない。走るというより早歩きがやっと。無理すると滑って転ぶに決まっている。それでも下りで2〜3人に追いつく。彼らは早歩きというより滑らずに歩くのがやっとでひどい人は横向きにしか降りれない様子。もう少し飛ばせそうだがジャーニーラン箱根石畳下りでの足首骨折、涙のリタイア事件を思い出し自重する。あの時は骨折しても遠い街まで助けも無くよくも自力で降りたもんだなーと感傷にふけりながら進む。湿地帯では靴がめり込むのを避けつつ進むのでここも歩き以下のスピード。それでも靴はビショビショ、ドロドロ。下手すれば靴が脱げて泥の中に取り残されかねない。川の乾いた氾濫原を横切り原生花園を通り抜け森を通り抜け、マークを見失わない努力を続け、2つ目の山にかかる。

もうすでに下見のトレッキングの部分を越え未知の世界。こんなに厳しい山は初体験だ。もうウルトラレースというよりこれはアドベンチャーレースだ。屋久島の原生林を思わす苔むした山。道らしきものは無い。マークは細心の注意を払わないと見失う。森が深くて次ぎのマークが見つけにくいのだ。グリーンマークは環境への配慮に違いないが廻りも緑で保護色になっている。赤とか黄にするとその森林が壊された感覚となる。仕方あるまい。

かなりの急勾配でここでも2〜3人に追いつくが彼らもあまりの坂に立ち止まり息を整えている。当然私も立ち止まる。一体どこまで行けばまともに走れるのかいな?これは登山か?空気もやや薄い。この山では時速2.5キロは全然無理。無理すれば苦しいだけでなく水が足りなくなる。水の計算も必要だ。もう頂上だろうと何回思ったことか。振りかえると結局1つ目の山の高さになってるじゃーないか!この山は説明ではもっと低いはずだろう!地図の信憑性にも?が出てきた。だいたい支給されてる地図は日本のジャーニーランで使うような精密なのでなくとてもラフな地図だ。ほとんど役に立たない代物。どういうコースなのかのイメージを描けるに過ぎない地図である。100キロのコースがB5の紙に収まっている地図でしかも超アバウト。

2つ目のピークは10時12分着。ここは31キロポイントであり5時間42分を要した。時速5,4キロしか出てない。100キロを18時間制限というのは時速5,55でありこのままでは危ない。ピークからはまた延々と下る。小さな内湖を廻り込んで一旦スタート点兼エイドに戻るのだが表示は見過ごし易い。ここが42,195キロであるが12時03分着にて所要7時間33分やっと時速5,59キロに戻す。ここの制限は8時間なので27分を余すのみ。靴と靴下、シャツも取り替えエネルギー補給、水分補給、休憩更にはドクターのメディカルチェックを受けると制限10分前。チェックでは少し脈が高いとの事。(当たり前だよ。空気が薄い。)過去には逆に脈が低いとしてドクターストップかかった人もいる。時間に追われるは、この難コースで道も迷い易いではピンチと思う一方で、過去のほとんどの大会のピンチはかわしてきたとの思いと、ここまではスローで来いというオーガナイザーの言葉を思い出し慰める。スローで来いといってもこれでは早く来ようがない。こういう局面では100戦練磨の経験がものをいう。

速い人は桁違いの能力だ。スイス人なんかここを6回連続出場でワールドチャンピオンシップシリーズに出てると云ってた。そういえば彼は他所の大会でロシアはどうしてあんなに強いんだ!と嘆きつつ我々はテーブルの上でオリジナルドリンクを作って飲むが奴等はテーブルの下でやるんだ。と本音とも冗談ともわからない事を言ってた。彼は2時間以上前に通過したみたいだ。人間じゃーない、サイボーグだとぼやきつつ出発。

次ぎのチェックポイントまで13キロ。ここで稼ぐしかないコース設計なのに42キロの1つ前のエイドでエネルギーを取り忘れた為、ガス欠なのか全然足が重い。エイドの写真撮るのに夢中になりビスケットを食べ忘れたのだ。この区間は1回パスすると合計30キロエネルギーと水なしとなる。ここは湖畔沿いのオフロード。景色も退屈しない。途中2人がペースの上がらない私に抜かれるほどペースダウン。1人はへばっている。1人は見るからに屈強な大男。どうした?と聞くと膝をいかれたみたいだ。ファイトとはここでは決して云わない。グッドラックとお互いに云う。

納得の言葉でありファイトよりずっといい。私は結構性格が悪いと見えてつぶれかかりの人を抜く度に元気が出る。わしゃーまだまだ行けるとその時思うのだ。この区間は長く感じる。55キロチェックは14時15分所要9時間45分累計時速5.64キロと相変わらず遅い。ここから難所があるのにピンチ。昨日から腹が少し変調だったがエイドの水の味も全部違いどうもミネラルウオーターではないようだ。強力ビオフェルミンでなんとかかわす。本格的に悪くなればお医者さんのくれたオリジナルなのを飲むしかない。

ここからダラダラ登りかなりの峠坂を越す。この3つ目の山も地図の高さより高い!登り切ると高原状態の草原に出るが途中からマークがほとんど無い。コースミスを疑い立ち止まりコンパス等で考えるが進行している方向が正しいという可能性を信じる。正しいことは数分後に確認できたが、この区間で猛烈な睡魔とガス欠だ襲ってきて、マークが目に入らない状態だった。この区間は元々マーク少ないのに何度もマークを見るのを忘れハッと我に返る連続。マークを捜せば低い枯れ木がサルに見えしかも手招きしている。

そんなばかナーと目をこすると幻覚だ。昨日寝てないのが効き、うかつなミスでのガス欠とのシナジーでこんな事になった。そうえいばエイドの食い物が私には合わず普段の大会の3分の1も食べてない。乾燥バナナ、硬い脂っこいドーナッツ、甘過ぎるドーナッツが主力で仕方なく自分のリュックのエネルギーゼリーなどを飲んでいた。しかしここのマークの無さは幻覚でなく本物だったらしい。後で外人ランナーもぼやいてたのだ。2つ目の山よりコースミスし易いのは間違いない。後で1回大会の日本人の記録文読むとかなり多くの日本人がここでコースアウトし1〜2時間ロスしリタイアの危機に見舞われている。チェックポイントに着くまで半信半疑であった。人に聞こうにも人もいない。65キロポイントを16時12分着所要11時間42分累計時速5,55キロにまた落ちる。

この区間の苦しみがこの数字に現れている。休憩後スタートはまたしても制限10分前。多分私より後のみんなは55キロで止めてるだろうと思った。(ところがどっこいしぶとく続けてたらしい。さすがである。)石ころだらけのコースは古傷の左足首骨折部に負担をかけいやな感覚。まだ完治してなかったかーとため息つくも、あの時はボルト入れたままで手術3ヶ月後に117キロ走ったじゃーないかと自分を鼓舞する。またおおきな氾濫原を2度も横切り山に入る。たいした山ではないが道はわかりにくい。遂に湖の上に出た。もう最高の景色。こんなきれいな森、山、湖が他にあるだろうか、息をのんで思わず立ち止まる。ここから6キロで88キロ=(55キロ)エイドである。地図ではほとんど全部下りのはずが小刻みなアップダウンの連続。急な雷雨で道はドロンコ。ところどころ湿地帯と化しスピードは出ない。この区間は所要時間から推定して6キロは嘘である。7,5キロ以上はある。ちょっとした崖沿いの連続でとてもタフな区間。

ここでまた計算が狂う。88からの残り12キロを2時間30分残せる算段が2時間8分残りで到着。時間ないので3〜4分でスタート残り2時間強。ここまでで舗装道路は1回も無かったので100キロ総てがオフロードとトレイルである事が確定した。走れる部分はこの残り12キロだ。このエイドでフランス人のタクシルを抜き30分だけ懸命に走る。しかしデコボコのオフロードでしかもすり足ではつまずきまくり水溜りをかわしかわしでスピードは全然上がらない。アスファルトの有り難さが身に沁みる。少しの貯金を確信しゴールまで流しに入る。ゴール近くでアメリカ人2人を抜く。なんとオーガナイザーも走ってたのだった。私にスプレンディッドとか云ってたように思う。半島に入ってから以外に遠い。最後の湿原で靴はメチャメチャになる。遠くにゴールテープと人が見える。もう時間内ゴールは間違いない。余韻を楽しみながらゆっくりゴール。あまりの感動に少し胸が熱くなったが涙はこらえる。22時19分ゴールまだまだ明るい。先にゴールしていた人やリタイアの人が大歓声で出迎え。所要17時間49分。制限まで11分。平均速度時速5,61キロ。オーガナイザーはさすがだ。1分前に計ったようにゴール。

参考までに普通の100キロ大会の少なくとも14時間程度には相当すると思う。朴さん強い!6位は凄い。私なんか26人中15位のはず。ここは参加者のレベルも高い。それでも大会記録が11時間なのでやっぱりとてもハード。42キロの部でも13時間以上かかった人は沢山いる。13時間の人も普通の平地大会では6時間では十分ゴールするのにと云ってた。O田さん55キロポイントリタイア。何も知らずに参加したがこんな凄いところとは知らなかったと云っていた。それでも来年も来るとの事。夕食とりシャワーしてゲルに戻る。朴さんはスヤスヤ眠ってた。彼は総てにおいてなかなか大物だ。日本にああいうタイプのエネルギッシュな若手が少ないのは残念である。今日はさすがに疲れて夜中に起き上がってまで薪を放り込まないだろう。安心して眠る。

6月24日
 レース終えて爆睡するかと思ったが早朝より目が覚めた。散歩しても足や体へのダメージは全く無い。足首も違和感なし。この大会でも翌日足を引き摺っている人がいるが足にくるほど速く走ってるという事だろう。私なんか元々速く走れないので足にくることは無いのだ。朝食後何もせずブラーとしていた。トロイログはテレビもラジオも無く新聞、雑誌も無く衛星電話も通じず(朴さんのはもとよりキャンプの固定型パラボナアンテナの小型衛星電話も不通。これがあるというのはたまには通じるんだろう。)気楽な時間で、また大自然の中で贅沢な時間の過ごし方だ。白夜風なので起きてる時間も半端じゃーない。ランチボックス持ってO田さんと湖畔に出る。

ここではいかなるアクティビティもフリーチャージである。マウンテンバイキング、トレッキング、フイッシング、ホースライディング、カヌーなど総てだ。キャンプ入り口に元祖露天商だ来ている。なんせ草の上に物を置いてるだけだ。いろんな手作り品を適当な値をつけてる。値札や正価がある訳もなく、ほとんど同じ品も隣の露天商はかなり安い。手作りなので正確にはデザインも手のこみようも少しづつ違う。彼等にとっての1ドルは500円かもっと上に相当するだろう。値切ってるだけでも結構楽しい。欧米人の値切りのシビアさは参考になる。やはり中東や中国の体験あるからだ。自分が決めた値まで延々と値引き交渉している。UBでの乞食同然の物売りや乞食に対する態度も毅然としている。手縫いの手作りフェルトスリッパは7ドル〜10ドル。

5ドルというヤクとキャメルの交編の帽子を3ドルに値切り持ち帰ったが頭にかぶるとチクチクする。帰国後妻に渡すととても臭いといい水に漬けた。するとなんてこった。洗面ダライは漬けただけで真っ黒の水と化し10回洗ってもまだまだ黒汁がでるじゃーないか。これはヤクの糞尿がひっいたものを精製せず、そのまま編んだに違いない。チクチクしたのは虫に刺されたみたいだ。昼から内湖一周ホースライディング。プレイボーイのジョンといっしょ。今日の馬も賢い。馬が湖に入り込みガブガブ水を飲む。草も食べては走る。

いたる所に糞があるが堅い煎餅みたいにカチカチのも多い。糞は気にならないようになってきた。レースのダメージは無いが前のホースライディングの後遺症の方がこたえる。長くは乗ってられない。この後またボーとした時間を過ごす。こうして森林浴しながら物書きするなどで1日が過ぎる。もう日本にいる時のようにバタバタアクセクしない。こちらのリズムに慣れてきた。心のケアにはとても良い。日本での嫌な事をすっかり忘れたが、戻ればすぐにいろいろ襲ってくる。食事は問題なく日本から持参したインスタント等は不要だがビールが冷えてないのが問題だ。1日は長いようですぐに終わってしまう。明日は移動のみなので名残惜しい1日だった。どんな素晴らしい旅にも必ず終わりがやって来る。もう1度ここへ来たいが来れないかもしれないと思うと本当にこのキャンプが好きだった事を強く感じた。なんていい所なんだろう。夜は表彰パーティがあった。心なごむパーティだった。バイキング料理はこのツアーでは最高のものだった。シシカバブも焼いてくれ品数も質も味も良かった。100キロの完走Tシャツを頂く。あまり冷えてないビールを飲み皆と談笑すると夜もふけていった。タクシル(フランス人)が日本のレースを紹介してE−mailして欲しいと云う。一方で世界最高難易度の大会を教えてくれる。

des sables 6日間242キロのsandマラソンにて4日目の80キロは厳しい。しかもno food providedというから信じ難い。reurion island 135キロ標高差16000メートル!!!これはマダガスカル近くのフランス領でやってるクレージーレースだ。(サンライズサンセットの標高差はたったの3365メートル×2なのだ。)これを完走した彼がここを18時間06分かかっている。

また6回連続出場のスイス人Marc Proginによるとステファン シュレットなるドイツのプロ!!のウルトラランナーのここでの記録は13時間45分。1996年オリンピックにマラソンで出たイギリスのダンセンなる女性はここで14時間46分。各地のウルトラでの大会記録保持者にしてウルトラを400回以上完走してるフランス人のアンリはここで17時間8分。なのにモンゴル人大会最高記録は11時間12分と教えてくれた。Marcは今回12時間46分で4位。これらを聞くと高地順応してないと5時間ぐらい余計にかかり更にコースミス等もあると9時間ぐらい余計にかかるのではと推察される。私は今回一切のコースミスなくて一切手を抜かずに17時間49分なのでやはり少なくとも4〜5時間違う感じ。今回の時間外完走は寿司フリークのスチーブの19時間37分。これらを聞いてなんというタフなコースなのかと改めて感心した。しかし参加者の多くが関西周遊山岳320キロには大きな興味を示した。

自分は遅いランナーでどの大会もほとんどビリだが時間内完走はどの大会も可能と信じてネバーサレンダー、ネバーギブアップで取り組んでいると伝えると、同い年のスチーブは我がジェネレーションの誇りだとおおげさに持ち上げてくれた。パーティでは民族音楽も披露され男性の強烈なダミ声には驚いた。食用ガエルが鳴くような地響きのような声だ。公式にパーティが中締めとなってもしばらくは談笑していた。名残惜しくて我々のゲルにアメリカの裁判官とイギリス人の中国大使館コマース担当を招き酒飲んで談笑。コマース担当は相当な人であるらしく、裁判官が彼の英語を評してイギリスに10段階あるイントネーションの1番上位のイントネーションであるという。かろうじて必死に聞いている私にそんなのが判るはずがない。凄いの一語。10もあるとは初耳だし聞き分けも不能だ。きっと貴族なんだろう。夜もとっぷり暮れた頃バイバイして早朝の起床に備え眠る。今日も薪の入れ過ぎが心配。もうトラウマに近い。

6月25日
 朝飯後すぐに出発。キャンプを車のリアーウインドー越しに目に焼き付ける。これだけで少し胸にくるものがあった。本来はここから船で悪路をかわす予定だったが部品が3箇所も壊れてるとの事で車となった。帰路は往路で経験したとはいえ凄い悪路に改めて驚く。成田での津川さんによればここは軍用?ヘリコプターで移動のはず。今回は往路の遠い飛行場でなく滑走路が草と砂利の所で車の時間は半分で済んだ。ここが濡れて降りられないといわれた所だ。飛行機はボロのソ連製軍用双発プロペラの改造機だ。乗るのも後部荷物搬入口だ。

こんな飛行機でもちゃんとランチBOXは出してくれる。UB着後自由行動。昼メシは韓国料理店でとても美味かった。メシの後は例のデパートでショッピングを楽しむ。ホスグル湖(ホプスグルと読むべきかも)の周辺地図4ドルはメチャ高く感じるが記念に買う。

このデパートは完全な正価販売で付値も他の産品に関しては露店並みに安く設定されている。しかし露店の方が完全なハンドメイドであり味はある。デパートのは安心だが規格化が感じられ面白みにチョッピリ欠ける。

ここの交通ルールはメチャメチャで人間は家畜以下の感じ。危なくて歩行者は横断歩道すら渡れない。車を傷つけることのないよう気を付けて渡れという感じ。どの車もスピードは緩めず止まる素振りすら見せない。夜はフェアウエルパーティ。どこの国の料理か判らない。ビールは冷えていて嬉しかった。ミニバイキングでまずまず満足。欧米人ともすっかり仲良しになった。明日は早朝出発の為早めに寝るがそれでも午前0時過ぎ。

6月26日
 早朝なのに同室の朴さんが起きて部屋の外まで見送ってくれる。空港へはシュリーが送ってくれる。お別れ後カウンターに行くと女性係員が困った顔してFULL.FULLとだけ云う。係員の英語はその程度でも意味は通じる。いい加減な国であるのは予測していたがやっぱりという感じ。YOU GO CENTRAL OFFICE とこれまたメチャな英語でふざけた事をいう。(しかも自分の金でタクシーで戻れだと!)荷物は横にどけたまま時間はドンドン経過し例の怪しい団体がドンドン入ってしまう。どうなっとんじゃーと日本語でわめくとFULL.NO NAME LIST.と単語だけの羅列。私の英語の方がよっぽどまし。こうして放っておかれ、もう少し話の通じ常識のありそうなのを目で探すが、他の係員も知らん顔。知らん顔する奴にわめいてもIT NOT MY JOBとこれまた滅茶苦茶な英語で無責任もはなはだしい。他の奴等も係わりたくない態度がありあり。暇にしてる奴等も同じ。許し難い!しかしここは社会主義の国。

過去の経験から切れたら負けと粘り戦術に出る。社会主義は切れたらすぐに警官に引っ張られるというあべこべの事態となるのだ。この空港ではかなりのポジションと推察できる女性が自分の個室にやっと連れてゆく。バルクチケットなんかじゃーなく正規の航空券に総てが印字されたものを持っている。しかもシュリーは昨日リコンファームまでしている。状況がわかったのか仕事の判る人なのかやっと連絡を取り始めたが、相変わらずセントラルオフィスに行けと命令口調である。何で自分が金払って戻るのじゃー!。社会主義はミスしても詫びずに命令するのは元より判ってたがやっぱりムカつく。切れずに粘るとやっと車を手配してくれた。セントラルオフィスにスーパーバイザーが午前10時に来ると云ってたが10時5分に到着。女性だったがこいつはまだ英語もGOODだし自信に満ちた態度だ。専用デスクとパソコン専用電話を備えている。上の奴ほど私が切れるより、温和に哀れな人民としてご配慮をお願いするのがいい事は昔に学習済み。これが日本ならどの係員も問題を解決すべく客を怒らせないよう平身低頭するのだが…・・

こいつは仕事は出来そうな感じだがしかし彼女は月曜の便まで3日待てと言い始めた。私は今日の深夜に韓国行きがあるはずでそれにとにかく乗りたいと伝えた。彼女はマネージャーの許可が要るとも云う。何がマネージャーだと腹を立てつつどうか手配して下さいと哀願調で頼む。彼女は以外な顔しながらチェックを始めたがこれも満杯らしい。

彼女は昼過ぎ出発の北京乗り継ぎ便に望みがあるという。北京から成田はOKだがUBから北京がFULLで交渉中との事。やっとOKが出る。すぐ行け。間に合わない。車は手配不能というので泣く泣く自腹でタクシーに乗る。腹立つが怒ってる時間すらない。タクシーはたったの4ドルで空港に着いた。カウンターに行って今日発行された正式なチャイナエアラインのチケット見せると又FULLの一言。この時はさすがに怒りを通り越して血の気の引く思い。O田さんなんか気絶寸前。またダウンタウンまで自腹で戻れと云うのか?結局マンデー発?

話がついているはずと念の為に取ったスーパーバイザーのサインを示すと明らかに態度が変わり、待てとの事。しかしまたドンドン人が乗って行く。キャンセル待ちなのか?こうなりゃー月曜までの腹くくらないとダメと我慢。しかしOKといい、たった今正規料金のチケットをもらってきたではないか。何を信じればよいのやら。ヤキモキさせた上で出発間際にやっとボーディングパスをくれた。乗ると席はあったがやっぱり満員。この2席はどうやって造ったのか。もうじきオーバーブッキングの乗客がやってきてもめるのでは?来てももう絶対降りないぞーと言い聞かす。なんてたって今年は宮古島、済州島、ヨーロッパそしてこのモンゴルと会社をたて続けに休みこの10日後もプーケット家族旅行が決まっている。これ以上事故でもミスでも休めるかい!!と苦悶してると飛行機が遂に動き始めた。やったー。しかし日本に着くまで安心できるかいと疑い深くなる。

北京に着いてトランジットでまたひと悶着有り。もうウンザリ。あんなことでオリンピック出来るのか?トランジット表示が無くどこをどう行けばよいか判らない。どの係員に聞いてもいい加減か嘘をいう。故意でないなら旅客にサービスしようとか誠実に働こうといいう気持ちが全くないと断じざるを得ない。おまけに公安ポリスがグチャグチャ云って振り出しの場所に戻る。その間空港係員とポリスがもめて時間のみが経過。出発5分前に搭乗ゲートにやっと着く。ボーディングパスを持ち荷物もトランジット扱いになって既に機内のはずなので、客を乗せずに出発することはあるまいとは思うもののこの辺の国では何があってもおかしくない。冷や汗。しかし私も基本的ミスに気が着いてなかった。

時計を時差分1時間戻してなかったのだ。モンゴルはサマータイムが6月には実施されており1時間違ったのだ。本来は北京とUBは時差がない。従って実際は出発の1時間5分前にゲートに着いていたことになる。トランジットにかくも時間がかかり空港内トランジット客のパスポートに入境なんて印を押す国がどこにあるのか?

入国する訳でもないのにイミグレーションカード書かす国がどこにあるのだ。しかもその実務作業が極めて極めてトロイ。実際にはこのスタンプ推す関所以外にもう1箇所航空会社の関所がありここでもカードに記入提出さされている。航空会社の関所では実に40分も待たされる始末。ここも仕事はトロイを通り越している。あれは嫌がらせだ。航空会社の関所は搭乗ゲート前のボーディングパスとパスポートを提示するワークとは全く違い意味のない行為だ。スチュアーデスも笑顔なくサービス業であるとか人の為に働いているという意識は0。してやっているというのがありあり。先年、敦煌、トルファン、ウルムチ等に行った時も同様にひどく、国家公務員が故意に嘘をつき詐欺行為を平然と行った。

こういう事を書いただけでも次ぎはヴィザを出さないといいかねないお国なので部分しか描写していないほどである。15年前の北朝鮮も金日成バッチをプレゼントするといわれても私はいらない。なぜだ?個人崇拝をしない事にしている。のやりとりだけで出国できなくなるところだった。(そういやーあの時の政府役人兼ガイド兼監視役も名前は朴だった。朴は私の天敵か?今度の朴はいい奴だし好きだけど。)

この難関を乗り越え搭乗した時はほんとに嬉しかった。なんとか当初予定より9時間以上遅れて成田に着く。本来は成田から関空へのJALに5時間もの余裕で乗り継ぎ予定だったが、乗れるはずもなく、しかも切符は超割にて当該フライトに乗らなければオープンチケットにもできず払い戻しペナルティが4000円もかかる代物。JALカウンターとANAではそういう事態なら遅延証明を取ればOKとか、いろいろ教えてくれ言葉使いもまさにこれが丁寧で誠実な接客といえるものだった。やはり日本のグランドホステスはレベルが物凄く高い。しかしモンゴルエアーから遅延証明をとるのは至難の技と学習済み。自分が悪るーございますなんて云う政治体制ではない。

10時44分の京成特級が東京へ出る最終手段であることも教えてくれた。時間が無い!これになんとか飛び乗る。成田近辺のホテルは総て満杯との情報も得、この特級を逃すと朝まで空港ベンチでごろ寝は必死だ。1時間半後、上野に着く。夜行列車はもう間に合わない。夜行高速バスももう無い。早朝の1番列車ののぞみに乗るべく東京駅に向う。駅員に聞くとこの時間は東京駅近辺のホテルは泊めてくれないとの事。朝まで開いてる飲み屋かファミレスないかと聞くとこの辺は無いので新宿に行けと云う。もう5分で新宿方面行き最終なので急げとのアドバイス。かろうじてその列車に乗る。

新宿南口屋台でラーメンとビール。2時に今日は閉めるというので居酒屋に入りビール沢山飲む。それでも1人で居酒屋に1時間もおれば嫌になる。マクドに席を変え1時間ほど粘る。ついにどの店に入る気も失せ南口の降りたシャッター前でごろ寝をする。うたた寝だが通行人が完全にプーチャンと思い込んでいるのが話しからわかる。確かにヒゲボウボウで荷物もプーチャンみたいだ。ええい!なんとでも思え!シャッター開くまでの辛抱。新宿はさすがに凄い。徹夜でガンガン工事している。駅のどこかのホームにエスカレーター増設してるらしい。道路の地下も掘りくり廻しており、暴走族をパトカーが追いかけている。夜明け前でも通行人は多い。トロイログとは正反対の世界に舞い戻りがっくり来る。おまけに何もわからん妻が電話で何やら怒っており、それが為にこんなにしてまで午前9時までに帰宅しようとしている。この1日はどうせ日曜なのだ。ゆっくり帰っても本来はいいのだ。4男の日曜参観にどうしても出ろという事だろうがこれは艱難辛苦の1種である。また試されてるのだと耐えよう。モンゴルは夢の夢、日本の現実は厳しい。

なんとか朝6時ののぞみに間に合う。こうしてたどり着いても家では妻は機嫌悪く校長の講和はアホらしいレベルにてバカヤローと怒鳴りたいぐらいであった。(授業参観は普通であり怒りの対象ではない。)くだらん話に何が講和だ。父兄をバカにしている。どんな思いでここに参加してるかチラッとでも考えてみて欲しいものだ。時間の無駄と断定する。あんなのが威張ってるのか?中国的だなー!こうして今回の総てが終わった。

後日談:モンゴル航空は遅延補償を1泊分として8800円支払い、新幹線代と関空への飛行機運賃を補償した。かなりの日数を要したが総てホスピタルツアーの津川さんのご尽力によるものである。O田さんも成田で一晩を過ごしたとの事。またUBからベルリン方面へのロシアのエアロフロートは勝手に便そのものがキャンセルされ代換え機も出ずまる2日遅れの到着であった。欧州本国よりの方はさぞかし大変だったろう。このように社会主義によるサービスは体をなしていないのである。顧客第一主義なんて全然わからんのである。もっとも日本も最近は退化して顧客無視のいろんな事件が起きてるがポーズだけでも頭下げるだけましだろう。モンゴルに関しては人間性が某国よりよほどましであり悪しき点は水に流したい。


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平成15年12月19日

第12回東海道ジャーニーラン大会 2002年末〜2003年始


享保の象の旅を辿る8日間593キロ 呼びかけ人 田中義巳氏
タイトル<夢の象鳴き峠、悪夢の箱根石畳> BY 奥 蘆峰
1:大阪城京橋口〜草津宿本陣79キロ
2:〜大垣宿名古屋口門跡82キロ
3:〜岡崎宿西総門83キロ
4:〜浜松宿連尺町交差点74キロ
5:〜府中宿札の辻82キロ
6:〜三島宿三島大社68キロ
7:〜藤沢宿遊行寺70キロ
8:〜日本橋ゴール55キロ


<12月29日>
朝7時大阪城京橋口スタート。全員顔見知りの人で年一度の同窓会のようである。まだ薄暗い中をスタートするが最初の3キロで早くも坐骨神経痛が出てきて時速7キロの皆のペースについてゆけない。ビリを走り皆はかすんで見えしまいに全く視界から消える。やはりあせりは出るがなるようにしかならない。淀川堤防で立ちションベンすると血尿のお出ましでショックだ。
ケツから太股にかけての痛みと違和感をダマシダマシ走る。左足太股はまるで肉離れの症状にてしょっぱなからこれではエライ事になったとため息。この道は昨年武石さんと併走した思い出の道で、コースは堤防からは総てわかってるつもりだったが、それでも少しは間違える。我慢している内にかばうような変な走りとなり左足親指の爪が浮き上がり、グラグラになる。指へのきついテーピングでも浮いたままでかなり腫れてくる。これをかばったら右足3本の指に大きな豆が発生。(普段はできない所)もう最低状態。10月の関西周遊305キロの完走のダメージがここまで尾を引いたと推定される。経験の浅い時ならリタイアの危機かもしれない。ダマシダマシ、ギリギリの緩いスピードなら絶対になんとかなると信じて前進。毎年参加の長谷川さんが後ろより現れびっくりする。道に迷ったらしい。三条までだけパート参加の人も数人。三条までが遠かった。三条大橋から象さんの泊まったという御所近くのお寺まで往復する。

お寺には象が泊まったという記録が残ってないらしい。田中さんは皆がくるまでそういうデータも聞き込み調査してるのだ。さすがという他ない。

三条から草津はいつもの大会のおなじみの道であり迷うことはないが、初参加なら迷うだろう。安心してぼちぼち走る。皆それぞれ自分のペースを貫いており、絶不調の私と前後するランナーもいる。草津本陣までは79キロであるが不調の為90キロ以上の感覚。豆や血尿はたいした事と思わないほど成長したが肉離れのごとき神経痛は明日以降に大変な不安を残した。今日は昼も夜もコンビニ食。今回はグルメの旅をテーマの1つにしてたのにラーメン屋に入る暇もなく精神的にも少し追い込まれた状態にて、グルメどころでない。なんたる事かいな。それでも突然のトラブルをなんとかかわした充実感で一杯。今日はもう淀川で早くもバッファリンを何錠か飲んだ。初日からこんな事は過去にない。早過ぎるが仕方ない。飲まないと耐えられない痛みだった。ホテルのずいぶん手前でコンビニディナーを仕入れたがなんともっと近くにあるではないか。

これも各人の戦略であり、今日はこれも失敗。ついてない。

ゴールは4人ぐらいあい前後してのゴール。石原さとみさん(石原華峰)岩田さん田村さんによくぞ追いついたものだ。トランズエゾの女王のさとみさんが初日からこの位置というのは誰かにあわせてるか、故障気味なのだろう。心やさしい岩田さんは田村さんにあわせているのであろう。岩田さんは昨年TO大阪城で残り10数キロでリタイアという悔しい思いをしている。田村さんは今度こそとの思いが強く抑えている様子。各人それぞれの事情と作戦があるのだ。きっと明日以降もこの4人があい前後するだろう。アーバンホテル草津泊。

<12月30日>
保存か取り壊しかで揺れに揺れる小学校通過。残したほうがよいに決まってる。

利権がらみの泥合戦だ。この辺は近江商人発祥の地に近い。イトーチューの創業者の家も素晴らしい。

摺針峠は雪景色でくつはびしょびしょ。でも楽しい。

今日も調子は悪くダントツのビリ。

参加を重ねるとなんとかするだろうとの思いで誰も気にも留めてくれない。

回復をひたすら信じてゴール。初日よりは少しましか。

中山道にかくも素晴らしい名水の泉がある事を多くの人は知らない。(垂井の泉など)なんとしても残したい泉だ。とにかく中山道は水が豊富。水の街道といってもよいほどだ。

今日は居酒屋でディナー。コンビニ以外なら幸せそのもの。但し一人きりの淋しいものだ。

<12月31日>
今日は美濃路。今日あたりをかわすとゴールも多少は見えてくる。

浅井夫人のエイドいつも有り難い。東海道でのエイドは特に以外でうれしい。

笠寺観音、阿野の1里塚通過。知立の松並木ももうおなじみとなってしまった。少なくとも5回は通っている。居酒屋で一人ディナー。

体に少々希望も出てきたが爪は完全にダメ。かばったら変なとこに豆ができ気になる。今日は紅白歌合戦も、ゆく年くる年も見る余裕。つまり体調悪くてもジャーニー初心者の頃よりうまくかわしてるということか?

<1月1日>
岡崎弐二十七曲り、いつもの事ながらなんちゅう複雑な道だろう。

御油の松原はとても好きな所だ。ここで長谷川夫人今年もエイド。お正月らしい心のこもったものを有り難う。お雑煮は力がつきます。他の強力なメンバーと較べて走力不足の私はエイドにゆっくりできないが10分か15分ぐらいはいる。

いよいよ姫街道。姫街道は素晴らしい。今回ジャーニーのハイライトだ。

本当にあそこを象が通ったのか?本坂峠、象鳴き峠は象泣き峠じゃーないのかと思うほどしつこい登りの連続。幸二ぼやき峠だったが、後に箱根の石畳で奥鳴きならぬ奥泣き峠となるのを知る由もなかった。

東海道本ルートよりきついし山賊も出るだろうに姫どもが何故ここを通ったのかと思いをめぐらす。川止め回避もあろうがそれなら男どもも同じはず。不思議だ。田中博士なら絶対当たり前のごとくに知っているはず。姫街道分岐の道標は毎回見ててどんなとこだろうと興味深々だったがやっと走ることができた。

江戸への道もいろいろ多様性があったことを身をもって学習した。

暗くなる前に難しい部分を通過したかったが遅いランナーの宿命、肝心の所で真っ暗で一人きり。しかも山中だ。もう精神的にへこたれる。道が正しいかよく分からないが自分を信じるしかない。疲れてくると地図上で自分の進むペースがすごく遅く感じられるようになる。絶えず残り距離と時間の割り算をしてるがものすごく単純化した計算しか安心できない。頭がイカレて計算力が落ちるからだ。チェックポイントの秋葉燈篭をみつけ一安心。これをミスすればリタイアの危機だった。東海道は地図読みの難易度が高い。初参加だとここでアウトになる人が多いと推察する。商店街で化膿止めの抗生物質を分けてもらいホット一息。これがないと爪が大変な事になっている。股ズレには発生してからはワセリンよりオロナインがよく効くことを発見。また1つ賢くなった。股ズレも坐骨神経痛をかばったからだ。かばおうと思わないことがジャーニー完走の奥義であるにもかかわらず修行が足りない。

オーワホテルに皆がミーティング中に制限に10分ほど残してゴールするも最初の数日より余力がある。なんだか辰チャンのレース運びに似てきたが肝心のあの超しぶとい辰チャンがリタイアの模様。ジャーニーは全く一寸先は闇と思ったが数日先に己自身の話しになっちまうとはトホホ…・・だ。

近くにレストランあるのは知ってたしいつもはそこで食べるが時間の無駄を省く為コンビニディナー。これも戦略の内なのだ。元旦にコンビニディナーは淋しいが昼のエイドでお雑煮いただいたから決断できた。

<1月2日>
小夜の中山での遠見の富士は素晴らしい。有名な例のアメは今回も店が閉まってた。一回食べたきり縁がない。これが何回目の通過になるのか?通る毎に新しい発見もあり本当に飽きることのないルートだ。昨年は城跡見物をした。今年は伝説の石探し。

今日あたりから皆くたばってきて私の回復と交差してきた。従って一人旅でなく何人かと抜きつ抜かれつの楽しいジャーニーランとなった。道はほぼ完全に理解できている。おかげで随分楽しくなってきた。

ホテル明治屋までの遠いこと。ミーティング30分ぐらい前であったがレストランで山ほど食べてから出席する。ビールも最高。ありがたいレストランディナーだ。半数ぐらいの人が同じことしてた。

<1月3日>
薩多峠、今日はあいにくの雨。ここからの富士は楽しみの1つなのに全く見えない。体の故障は克服しつつあり少し心の余裕も出てきた。完走間違いない。

回復しつつあるので先頭グループに10キロほどひっくもなかなかのスピードだ。無理してはダメとペースを落とす。昨年はよくぞあんなペースで先頭グループを行ったものと感心する。やはり関西周遊のダメージはただならぬものがある。この2つのレースを短期間で参加するのは無理があるのかもしれない。

トランスヨーロッパに参加する菅原パパがあんなに頑張って走るのを初めて見た。練習量増やしたらしく絶好調のようだ。武石さんもアメリカ横断後にもかかわらずあいかわらず強い。連荘でヨーロッパも行くとはなんちゅうすごい人か。会社も辞めてジャーニーの道にのめりこまれておられる。羨ましい限りだ。同じくアメリカ帰りの浅井さんもとても痩せていたが走りは凄い。同じくアメリカ帰りの越田さんはもうバケモノの走り。金井さんはマイペースで余裕。手に負えない連中だ。こうしてみると東海道はやはりとんでもないつわもの揃いだ。改めて感心する。よくこんな人達とごいっしょしてるわと自分でも呆れる。

<1月4日>
今日は箱根越え。富士がとてもきれいに見えた。過去最高の富士の1つだった。

雲峰師匠歩きも速いが山も速い。ついてゆけないのでペース落とす。登りきり下りに入りもう少しで関所という所で転倒。ケガをした。復調してただけに余計に残念。悪夢の箱根。ジャーニー駅伝では空前の道迷いをしチームが一旦最下位に落ちる原因を作った苦い想い出。

やはりいつの世も箱根は難所だ。私も象のように4つ足ならケガしなかったのに。下りは特に気をつけ飛ばした訳でなく歩きに近い状態だったのに運が悪いとしかいいようがない。滑った場所も悪い。こけた体勢も悪い。岩田さんが心配してくれる。

ケガをした足を杖をついて頑張り関所までなんとかたどり着く。ダメかもしれないと思いつつ時間と共に回復する可能性にすがり更に進む。関所が止めどころだったかもしれないが、ここまで我慢してきて調子もでできてあきらめ切れない。岩田さん心配して亀のペースにあわせてくれる。関所からは1人で行かないと迷惑をかけるので別れる。ここからまた少し登りがあるが枯れ枝を杖にして進む。下りはもっと苦しい。得意の下りがこれでは……・もうダメだと思いつつ茶屋まで下る。ほとんどの人に抜かれあと一人来てないだけとなる。この間の時間はものすごく長く感じる。茶屋でも諦めず温泉までなんとか耐えようと本来のルートでなく楽な車道を行こうとしたがほんの数百メートルで今度こそもうどうにもならないと思ったときやっぱりチョッピリ泣けてしまった。象鳴き峠はぼやいただけだったが遂に幸二泣きの箱根となった。東海道は過去にも一回今回に1回私を泣かせた。

リタイアの感動の方が大きいというと皆は意外だろうが、実はそうなのだ。燃え尽きたときの感動は別格なのだ。現に完走した時の東海道は文章にしてない。観光客を乗せたタクシーが戻ってくるのを待つ。もよりのバス停まで800円ほどで運んでもらう。なんとバスはめったに来ないし乗り換えも必要。こんなことなら<ういろう>まで乗ればよかった。

ジャーニーをやるとタクシーなんか日常生活でもまず乗らなくなるその習性がこんな非常時でも出てしまう。小田原のういろうまでは乗り換えだけでもつらかった。

菅原パパが快調にやってきた。走りが軽快そのもの。ういろうをあげて応援するも、つぎの人がなかなか来ない。じっとしてると走るウエアーでは寒くて仕方ない。風をよけるのに5メートル動くのを苦労する。応援を諦め仕方なしにJRに向い歩き始めるが何歩か歩くのがやっとで、遠くに見える駅までは到底たどり着けそうになかった。タクシーでは一分ぐらいの感じ。JRで藤沢への移動すごい距離だ。こんなのを皆が走ってるのだ。すごいと改めて思う。JR藤沢からホテルへはほんの少ししか離れてない絶好地なのに100メートル歩くのに必死。ミーティングで皆にリタイアを告げる。この時点でもまだ折れてるとは思わなかったが非常にひどい骨折だったのだ。ボルト入れの手術をしたがよくぞあそこから芦屋市の自宅まで杖もなしに一人で帰りついたものだ.腫れた足をよく耐えたなとさすってあげました。一年間ランニング絶望と云われたがそんなはずはない。少しくっけば片足で走れるはずだ。肩と手が悪くても走ってるじゃーないか。神経はほぼ一生の間治らないが骨折は必ず治る。近い内に必ず復活してみせる。    後記: 4月末にはさくら道でボルト入れたまま117キロまでたどり着く。8月トランスエゾなんとか完走。なせば成るの思い強し。

田村さん最終日日本橋までもう少しで力つきリタイア。ズッーと苦労してたどり着いたのに残念だったろう。この辺の様子は岩田さん記録、田中義巳さんホームページに記載あり。これもジャーニーだ。


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ご無沙汰してます 投稿者:コーチャン(蘆峰)  投稿日: 5月22日(木)12時23分44秒


最近短歌の手始めの本を読んで、自分がいかに日本語のこまやかな表現に無知だったかを知りました。桜雨・日照雨(そばえ)と読むらしい・青葉雨・肘傘雨など知らなかったが、うならせる表現がいっぱいですね。

かがり火の
むこうに揺れる
夜桜よ
祇園の夜は
今も昔も

という歌を夜桜見物で生まれて始めて作りました。
感動的な大会の後には是非1つぐらいは残したいです。
ランナーズの記事楽しみにしてます。何月号になるのですか?



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20021115日>

蘆 峰 の 独 り 言


 雲峰師匠には初チャレンジのジャーニーラン=なんと無謀な事に東海道!!でお出会いし、いろいろご教授いただきました。歩くスピードの速さにはほんとに驚かされました。歩くのも立派な戦略戦術という事を身をもって知ったのでした。当時からウルトラ100キロを完走しても多くの人の様にはダメージが残らず、ジャーニーのペースなら何日かは続くだろうとチャレンジした。
 田中氏の「ジャーニーランのすすめ」に魅せられた結果の参加であったが、雲峰師匠を含めとてもレベルの高い世界でとんでもないとこに紛れ込んだとあせった。(ジャーニーランナーのルーツはほとんど全員が東海道といえる。)

 6日目で初の象足現象に耐えきれず涙のリタイアとなったが、これがジャーニーランへどっぷり浸かる第1歩となった。

 田中氏多忙で恒例の東海道があるやないやと気をもんでいた時、雲峰さんに御園生氏の東京湾ジャーニーランを教えていただき、これまた東京湾やトランスエゾにのめり込む事になってしまった。すべて雲峰師匠が教唆の犯人である。

 いやしかしオウムの連中もまだ性懲りもなく続けてるのを批判できない。

 なぜなら今では師匠のおかげで人生を楽しんでるとまで思ってるのだから、はたから見るとオウム状態だ。内の「かみさん」なんか走り教の教祖にだまされてると思い込んでます。そりゃーそうだわなー。ほとんどの土日を家族に背を向け、どこか走る為に出かけ総ての連休、お盆休み、ゴールデンウィイーク、正月休みも走るのに日本中どころか最近では海外の布教の為に出ているのだから。おまけに怪しげな峰の名前を何人もが名乗り教祖は山伏やったり虚無僧したりしてるの知ってるから余計です。峰を名乗ったのは60すぎても師匠のように元気に走り回りたいと願ったからです。「蘆」は在住の芦屋市の「芦」の昔の字です。

 芦屋は谷崎潤一郎の細雪の描写世界がとても素晴らしく、ああいう時代にタイムスリップしたいとすら思ってます。もっとも今の芦屋はもう見る影もないほグチャグチャです。特に大震災後は目をおおうほどです。部分的に残った素晴らしい場所を求めてジョギングしてます。目を閉じて昔はかくあったのではと想像するのは至福の瞬間です。昔の世界がちゃんと見えるのだから「峰教恐るべしです。同様に東海道の関宿や御油の松原など、いくつか残った広重の世界をジャーニーランで通過するのは最高です。(初参加の時はそれどころでなくただのバトルロイヤルでありました。)走り始めの頃を思うと人間はここまで強くなれるのかと自分自身で感心しています。確実にものの見方、考え方も変化しました。

 2002年の主たる参加:太陽の道190キロ(こいつはあまり知られてないが山また山が延々のものすごいきつい大会です。萩よりかなりきついと思う。是非お試あれ。)東海道の大阪城シリーズ570キロ、大村湾160キロ、斉州島200キロ、萩往還250キロ、トランスエゾ、鯖街道、六甲縦走、金剛山縦走、関西周遊305キロ(こいつも相当タフな大会ですよ。萩プラス55キロという感じどころではない。歩いたら間にあわない。もちろん眠れない。)おろちウルトラ、玄海ウルトラ等など(20〜42キロも相当出かけました)

 2003年の主たる予定:東海道東上編、大村湾、さくら道、萩、アルティメイトジャーニーラン1100キロ、関西周遊、等など

 プロフィール:54歳、178センチ、73キロ、最大の弱点は交通事故後遺傷害の左肩。マラソン記録3時間39分程度(今はもっとはるかに遅い)遅いランナーであるが長い距離になると人のエネルギーを吸って復活する。多分眠さに強い方だ。マラソンもウルトラも後半の方が速い。いつもリタイアの誘惑と戦っている。教祖の影響で最近はビール飲みながら走るというのを愛好している。従ってますます遅いランナーになりつつある。


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