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東南アジア ひとり旅実施編
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平成26年5月16日更新 |
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東南アジア6ヶ国の写真集
2014/05/16 15:39着信
みなさん、こんにちは、武藤です。
2月から3月にかけて1ヶ月旅した東南アジア6ヶ国の写真集をこちらにアップしました。
東南アジアの貧しい地帯に生まれ育っていたら、生きるだけが精一杯でとても今のこの幸せは望めないでしょう。 このことを肝に銘じて生きていきます。
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平成26年3月24日更新 |
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投稿者:翔峰 投稿日:2014年 3月24日(月)11時05分55秒 |
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今回の東南アジア6ヶ国1ヶ月の一人旅もすべての予定を終了、今、クアラルンプールのゲストハウスに滞在中、これからクアラルンプール国際空港経由で関西空港に帰国します。
東南アジアは乾季のこの時期、雨は一滴も降らず毎日35度以上の乾燥した猛暑が続いています。一方雨季には毎日大量の雨が雨が続き洪水になるそうです。大気は汚染し空気はきたなく、水もまたきたなく飲めません。そして道路にはゴミが溢れ返り、野良犬が歩き回っています。貧しい人々はこのような劣悪な環境の中、物売り、物乞い、タクシーやトウクトウク、馬車のドライバーなどで必死に生きるため懸命に働いています。
特に私が滞在した1泊800円〜1400円の安宿の周辺には、汚い身なりで裸足で歩く子供たちも学校にも行かず懸命に働いている姿を見ました。豪華なホテルに泊まるパッケージツアーでは絶対に近づかない危険地帯ですが、私は毎日このような貧しい人たちの生の姿に接してきました。
それに引き換え、四季が規則正しく訪れる日本は、空気もきれい、水も飲める、ゴミは定期的に回収してくれる、そして何よりも豊かで平和で暮らしやすく、世界最高の国だと気づきました。それが今まで当たり前だと思っていた日本での生活が、東南アジアの人々にとっては天国のような生活なのです。
病気になって健康の有難さを知るように、東南アジアの貧しい人々の生活にじかに触れてみて、改めて日本の素晴らしさを再認識しました。
毎日の愛犬との散歩、庭や家庭菜園の手入れ、気持ちの良いジョギング、家族との何気ない会話など、普段の生活の中にこそ最高の幸せがあることを知りました。
普段のこの何気ない生活の中の最高の幸せ以外に、これ以上の何か特別の贅沢を求めることは東南アジアの貧しい人々に対し、申し訳が立ちません。
その思いをユニセフ協会などに寄付して、このような人たちの暮らしが少しでも楽になるよう、今後は自分自身の愚かさを戒めていきたいと本当に感じました。
使い残した現地通貨(ベトナムドン、カンボジアクエル、タイバーツ、ラオスキップ、ミャンマーチャット、マレーシアリンギッドなど)があったので、空港のドネステーションボックス(寄付箱)に寄付してきました。これで少しは、気持ちは晴れました。
また、日本でお会いしましょう。
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平成26年3月22日更新 |
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投稿者:翔峰 投稿日:2014年 3月22日(土)12時46分52秒 |
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今回の旅の最後の訪問国ミャンマーの最後の訪問地、バガンに来た。
バガンは、カンボジアのアンコールワット、インドネシアのと並ぶ、世界三大仏教遺跡のひとつとされるパガン王朝名残の寺院群。
イラワジ川中流域の東岸に、2000あまりの大小さまざまな仏塔や寺院が並ぶ様は壮観。あまりにも広いので、馬車をチャーターし、日の出から日の入りまで21か所の寺院群を巡った。38度を超える暑さの中、真夏のマラニックに匹敵する強行軍であった。
これで、全日程を終了、日本へ帰国するだけとなった。私は6ヶ国1ヶ月で1か国5日くらいの滞在であったが、ヤンゴンで知り合いバガンにも夜行バスで一緒に来たシシリアは、インドネシア、シンガポール、ミャンマーなど東南アジア6ヶ国を1ヶ国1ヶ月くらい滞在し、カナダを出国してからもう半年になるという。
この後台湾を経て、友人のいる日本にも来るという。上には上がいるものだ。
現在ヤンゴンに戻り帰国準備中、クアラルンプール経由関空に帰る。(最終稿)
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平成26年3月20日更新 |
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投稿者:翔峰 投稿日:2014年 3月19日(水)17時48分58秒 |
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最後の訪問地、ミャンマーに着いた。昔はビルマといい、ビルマの竪琴しか知らない。アウンサンスーチー女史が軟禁されていrという抑圧された印象である。来てみるととにかく暑い。35度はあるだろう。また、ほかの国と同じように貧しい。子供たちは裸足で歩き、学校にも行っていないのではないか。
今日は、シュエダゴン・パゴダ(パヤー)とチャウッタージー・パヤー(涅槃仏)を訪れたが、信心深い人たちでいっぱいであった。
今晩から、夜行バスでバガンに移動する。
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平成26年3月17日更新 |
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投稿者:翔峰 投稿日:2014年 3月17日(月)18時43分11秒 |
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ラオスの古都、ルアンパバーン最後の日となり、早朝から托鉢僧の行列やワットビスンナラートの黄金のブッタ像などを見学した。
のどかな古い町に別れを告げ、夜行寝台バスでビエンチャンまで戻って来た。行きの寝台バスは4列だったが、帰りは3列で独立している。夜行寝台バスは日本の方が遅れていると感じた。
今晩はビエンチャンに泊まり、いよいよ明日から最後の訪問国、延べ76ヶ国目のミャンマー・ヤンゴンに空路移動する。
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投稿者:翔峰 投稿日:2014年 3月15日(土)21時24分22秒 |
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ラオスのビエンチャンから北西400qに位置するラオスの古都、ルアンパバーンに昨日から夜行寝台バスでやって来て滞在している。
14世紀から統一国家ラーンサーン王国の首都となり、6世紀にわたり栄華を誇った。今も世界遺産に登録され80もの古い寺院が建ち、ラオスの京都といった風情だ。何よりも物価の安いのがいい。100円でラーメンが食べられる。未明から通りにひざまずいて托鉢に来る僧侶の行列にもち米を施す。信心深い人々が多いのだろう。
日本を出て20日余り、今日まで雨に降られたことが1日もない。東南アジアは乾季のためである。こうなると日本の冷たくて気持ちの良い雨が待ちどうしい。お陰で毎朝、毎夕綺麗な日の出、日の入りが見れる。今日の夕陽はメコン川に沈むルアンパバーンの夕陽だ。そのあとナイトマーケットへ行き、安いラオス料理とビールを堪能。
明日は夜行寝台バスでビエンチャンンに戻ります。
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平成26年3月13日更新 |
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投稿者:翔峰 投稿日:2014年 3月13日(木)18時24分24秒 |
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昨日から未知の国、ラオスのビエンチャンに来ている。これまで滞在した国々とはちょっと、雰囲気が違うような気がする。洪水のようなモーターバイクのラッシュもないし、今までの国々のような貧しさも表面的には見えない。首都ビエンチャンのせいなのか。
ラオスの首都であるヴィエンチャンは、メコン川沿いに作られたラオス最大の都市で、16世紀の半ばごろにセタティラート王King Setthathirat(1548-1571)により首都に定められた。そして現在も政治、経済の中心地で、空路、陸路での出入国のメインゲートともなっており、他の県とは違う行政特別市となっている。街並みはフランス植民地時代の古い建物と並木道、そして数多くの仏教寺院が混在し、アジアと西欧文化の融合が見られる。17世紀にヴィエンチャンを訪れた東インド会社の商人、Geritt Van Wuysthoffやイタリアの伝道師Leria de Mariniらは当時のヴィエンチャンを東南アジアでもっとも荘厳な町であると評しているが、現在もその面影を見る事が出来る。
今日はさっそく、そびえたつ黄金の塔、タート・ルアンとパリの凱旋門を模して建てられた戦死者慰霊の門、パトーサイを訪れた。
明日から夜行寝台バスでルアンパバーンに移動する。
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投稿者:翔峰 投稿日:2014年 3月11日(火)22時05分36秒 |
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3日前にカンボジアの国境を越えて、バスでタイ・パタヤにやって来た。7年前にパタヤマラソンを走り、懐かしい思い出の地だ。このビーチリゾートでは、ビーチをジョギングし、暑くなったら泳ぎ、疲れたらパラソルデッキに横になり、何もせずにボーと海を見て過ごすだけ。2日間も何もせずボーとしているとすっかり疲れも取れてしまった。明日からはラオス・ビエンチャンに移動するので、国境越えがまた大変だ。今晩は夕陽を撮影しのんびりし、明日からのラオスへの移動に備える。
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平成26年3月8日更新 |
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投稿者:翔峰 投稿日:2014年 3月 8日(土)18時19分36秒 |
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昨日まで2日間に渡ってアンコールワットの遺跡群を訪ねてきた。その中で最も印象に残ったのが、バイヨンだったので、今日は再度バイヨンを訪れ、ほとんど半日一杯、写真撮影を行った。中でも、54もある観世音菩薩の顔に心が洗われるようであった。そのほとんどの観世音菩薩の顔を写そうと、望遠レンズやズームレンズに取り換えて撮影した。
一方では、学校にも行けず、家族にも見てもらえず、子供たち同士が貧しく片寄せあって暮らしている姿に心を打たれた。また、遺跡群や湖にコース設定されているアンコールワット国際マラソンのコースも走ってみた。
アンコールワット国際ハーフマラソン
アンコールワット国際マラソンは、カンボジアの世界遺産「アンコールワット」の遺跡内部で開催される国際レースです。1996年に第1回大会が開催されました。本大会はカンボジアの対人地雷被災者救済のためチャリティマラソンであり、世界に向けて「非人道的な対人地雷の使用禁止」を訴え続けるために毎年開催されています。健常者だけではなく、地雷の被害者となったランナーも参加する勇気と希望がシンボルの大会で、昨年2012年は6000人以上もの参加がありました。
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平成26年3月7日更新 |
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投稿者:翔峰 投稿日:2014年 3月 7日(金)19時14分5秒 |
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今朝はアンコールワットからの日の出を写すため、5時起床で出かけた。お陰でアンコールワットから上る綺麗な日の出を撮ることができた。遺跡巡り二日目は、郊外のバンテア・スレイとバンテアイ・サムレの2か所に行った。昨日の暑さに懲りて、長袖、ロングタイツの完全真夏マラニック型。濡れて冷たい手ぬぐいがあればいいが、そこまではしなかった。[
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投稿者:翔峰 投稿日:2014年 3月 6日(木)20時01分12秒 |
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世界遺産アンコール・ワットは、カンボジア中央部に広がるトンレサップ湖畔の町、 シェムリアプの北に位置する東西22km南北35kmに渡る広大な遺跡群である。これらを築いたのは9世紀から15世紀にかけて繁栄したアンコール王朝(クメール王朝)。
アンコール王朝はこの地に首都を置き、数多くの建物を建造した。
しかし西のアユタヤ王朝から度重なる攻撃を受けアンコール王朝は衰退。 1431年、アンコールはついに放棄されてしまう。その後アンコールはジャングルに埋もれ、地元のわずかな人々のみが知るのみであったが、
1860年、フランス人博物学者のアンリ・ムオーがそれを発見、報告書を発表したことでアンコールは再び日の目を見ることになった。
20世紀に入ると、当時カンボジアを統治していたフランスが 荒廃していたアンコールの修繕を開始するが、 それはカンボジア内戦により1972年に中断。放置せざるを得なくなってしまった。
カンボジアに台頭したのは極端な共産主義者であったポルポト率いるクメール・ルージュ。すべての文明を否定したクメール・ルージュは、 民衆を強制的に農村へ移住させ、通貨を廃止し、あらゆる宗教も禁止した。そのためアンコールはクメールルージュによる破壊の対象となった。
また、内戦でアンコールが被った被害は、物理的な損害だけではない。
クメール・ルージュは、すべての知識人を反乱を起こす可能性があるとして処刑した。 殺された人々は、当時のカンボジアの人口の3分の1である300万人であったという。処刑された人々の中には、遺跡の保護や修復などに関わっていた貴重な人材も含まれていた。アンコールに存在する遺跡群の中でもっとも有名なものは、いわずと知れた12世紀の寺院建造物、アンコール・ワットであろう。
アンコール・ワットは現在カンボジアで信仰されている上座部仏教の寺院であり、 インドネシアのボロブドゥル、 ミャンマーのパガンと並び世界三大仏教遺跡と称されているが、建設された当初は当時アンコール王朝が信仰していた、ヒンドゥー教と大乗仏教が混合した宗教の寺院であった。
境内は南北1300m、東西1500mの広さであり、周囲は壕がめぐらされている。 中央祠堂は三回廊から成っており、第一回廊と第二回廊には精密なレリーフが残されている。そのモチーフは古代インドの叙事詩であるラーマーヤナや、
ヒンドゥー教の天地創造神話である乳海撹拌などといったヒンドゥー神話、当時の王の様子などである。また中央祠堂第三回廊には先頭がそびえているが、これは須弥山を模しているという。
暑くて暑くて、真夏の郡上八幡マラニックよりきつかった。
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平成26年3月6日更新 |
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投稿者:翔峰 投稿日:2014年 3月 5日(水)21時03分0秒 |
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今朝は朝8時15分のミニバス(10$)に乗り、6時間ほどでプノンペンからアンコールワットの都、シェムリアップに着く。道中の風景は貧しい人々の暮らしで溢れている。物売りや物乞い、トゥクトゥクなどで必死に生きるために頑張っている人たちを見ると、改めて豊かな日本の有難さが分かる。
病気になって初めて健康の有難さが分かるように・・・・
今日から5日間アンコールワットで過ごし、明日から3日間のツアーに出かける。
宿泊は1泊800円の”チェンラゲストハウス”
夕方市内のジョギングに出かけた。
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投稿者:翔峰 投稿日:2014年 3月 5日(水)20時58分41秒 |
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ベトナムから無事国境を越え、カンボジアにやって来た。
カンボジアの首都、プノンペン、今からつい35年ほど前に、”カンボジア大虐殺”と言われるポルポト政権による大虐殺の行われたところだ。
【 キリング・フィールド 】 は、プノンペン郊外約12kmのチューンアエク村にある、ポル・ポト時代(1975〜1979)の虐殺現場のひとつ。のどかな道をしばらく走ると慰霊塔が見えてくる。その慰霊塔の中にはこの地で処刑された方々のおびただしい数の頭蓋骨が収められ、周辺の大地には今なお人骨の破片が転がっている。
今なお、プノンペンに暮らしている人たちも貧しい。足を失った人が這いずりながら道路を渡っている。
800万の国民のうち、300万が虐殺されたという。このような悲劇を目の当たりにして、のどかな平和な日本に帰ると、このような人たちのためにも、前向きに、強く生きなければ・・・・・と考えてしまう。
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平成26年3月2日更新 |
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投稿者:翔峰 投稿日:2014年 3月 2日(日)10時31分48秒 |
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過日、ベトナムに入国するとき、リターンチケット(帰りの航空券)を持っていないという理由で入国できなかった。1ヶ月の長旅であり、今ボーディングパスはないと言っても理解してもらえず、他の審査官に引き渡されてしまった。
そこで、丁寧に詳しく1ヶ月の旅程を説明、ベトナムの後はカンボジアに出国し、タイ、マレーシア、ミャンマーなど6ヵ国旅を続け、クワラルンプールから関空までのイーチケットを見せ、やっと理解してくれて入国審査のスタンプを押してくれた。
ホーチミンでは、facebookに閲覧制限がかかっており、アクセスできないことや、簡単には入国できないことなど、平和で豊かな暮らしやすい日本に慣れきった我々には、信じられないくらい遅れています。
出国時、たかが練り歯磨き150gが没収されたからと言って、日本に文句を言っていたらばちが当たります。それほど遅れた国の問題はレベルが違う話であることが体験できた。
しかし、物価は安い。ビール1本70円、おいしいフォー(コメのめんとチキン)225円、チャーハン375円。たらふく食べて飲んでも一日1000円で済みます。
ベトナムでは中国のように、facebookに閲覧制限がかかっており、簡単にはアクセスできません。抜け道から細々とアクセスしています。
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投稿者:翔峰 投稿日:2014年 3月 2日(日)10時24分14秒 |
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今日から明日にかけて、約700qのバスの旅、ベトナム→ホーチミン→プノンペン(カンボジア)の大移動です。
今朝は早起きして日の出の写真を撮りました。
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投稿者:翔峰 投稿日:2014年 3月 2日(日)10時18分22秒 |
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ニャチャンは、ベトナムの誇る屈指のビーチリゾートです。近年世界中から注目されていて、欧米人だけではなく最近では日本人も多くが訪れる絶好の海水浴地となっています。また、気候柄年間を通して泳ぐことができるのも特徴の一つです。ニャチャンビーチは約7キロにも渡って続いている長いビーチです。並行して走る通りはチャンフー通りと呼ばれていて、リゾートホテルや洒落たカフェやレストランが建ち並んでいます。また、さらに南下していくとバックパッカーが訪れる安宿や港にも続いています。
明日ニャチャン国際マラソンが開催、参加する予定でしたが、都合により延期、コースの一部を走ってみました。
ここでの過ごし方は、何もせずボーと海を見ているか、気が向いたら泳ぐか、時間に追われずにのんびり過ごしています。
日本人といえば、決まったスケジュール通り、忙しく動き回らないと海外旅行ではないと思っているようですが、欧米人は全く逆で一日何もせずボーとしています。
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