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P-7 プログラム

胸部CTスキャン、胃カメラ
第62回名古屋城金のしゃちほこマラソン
オカリナの演奏
小学校を卒業して60周年
東南アジア ひとり旅実施編
東南アジア ひとり旅準備編



平成26年10月25日更新
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胸部CTスキャン、胃カメラ

 投稿者:翔峰  投稿日:2014年10月24日(金)20時16分15秒
いま日本では2人に1人ががんに罹り、3人に1人ががんで死ぬという。先日山の仲間の同窓会があり、山仲間はやはりこの程度の割合でがんに罹ったり、亡くなっていたりしていた。そのときの、肺がん体験者の話によると「人間ドッグで行う胸部レントゲン検査で肺がんが見つかってもたいてい発見が遅く、手遅れになる場合が多い。それより精度の高い胸部CTスキャンを年1回程度受けた方がよい。CTでは早期がんでも見つかり、治療で治る」実際彼もCTで肺がんが見つかったが、早期だったので手術により治ったという。また、胃のバリューム検査も同じで、バリューム検査より精度の高い胃カメラの検査をするべきだという。胃カメラでは、喉のがんも食道のがんも見つけることができるという。

そして、ここまでは、情報の発達している現代では、皆が知っている知識、気づきなのであるが、問題は行動に移すかどうかである。

「気づきと行動」・・・

私は良いと思われることに気がついた場合、いつもすぐ実行に移してきた。今回もためになる、良い話を聞いて気づかされたので、早速実行に移した。まず、胸部CTスキャン検査を羽島市民病院で行ったが、15分くらいで特別の負担もなく簡単に終了し、その結果も肺がんの心配はなく、問題無しであった。

次に、胃カメラ検査を受けた。これは、のどに水あめのような麻酔薬を流し、また、鎮痛剤を注射してから胃カメラ検査を受けたので、CTスキャン検査よりは少し苦痛ではあったが、バリュームを飲む検査と余り変わらないなという印象だった。そして、何によりも嬉しかったのは、検査結果に異常はなく、ピロリ菌もいなくて、喉のがん、食道がん、胃がんとも問題無しという所見であった。

そして、今回は前立腺がんの検査である前立腺MRI検査も受けたが、前立腺がんもないという所見であった。

これからも「気づきと行動」を心がけて生きて行きたい。

今回の検査で、あと1年は何とか健康に生きられる目途がついたので、来年は永年の夢である、世界一周ひとり旅、もしくは日本一周ひとり旅に挑戦したい。



Facebookにも載っています。
https://www.facebook.com/akira.muto.98/posts/722334401186985


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平成26年8月19日更新

第62回名古屋城金のしゃちほこマラソン

 投稿者:翔峰  投稿日:2014年 8月18日(月)08時44分22秒
こんにちは、翔峰です。
8月17日(日)第62回名古屋城金のしゃちほこマラソン大会が行われました。
雨の心配をしてテントも張りましたが、ほとんど降らずで曇りの蒸し暑い一日となりました。

今日のエイド当番は夜叉が池マラニック実行委員長の山口さんご夫妻の阿峰さん、矢峰さんとフルマラソン100回達成したばかりの小林恵津子さんでした。
真夏の大会にもかかわらず、62人もの多くのランナーが参加、10人(うちフル百6名)がフルマラソンを完走しました。

食べ放題のスイカやきゅうり付けのお握り、卵焼きや冷奴、冷やしソーメンなど食べきれないエイドに疲れも吹き飛びました。

この大会も会を重ねる毎に若い美ジョガーの参加が増え、華やかな雰囲気になってきています。
エイドの楽しみに加え、若い美ジョガーのおかげで、走った後の疲れも癒されますね。

虎峰さん、俊峰さんも元気に力走、雲峰一門5名の顔見世となりました。

こちらに写真アルバムをアップしていますので、ご覧いただければ幸いです。
[https://www.facebook.com/media/set/?set=a.686380581449034.1073741843.
100002312940757&type=1&l=1519578d3a]





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平成26年6月26日更新

オカリナの演奏
2014/06/26 8:37着信

こんにちは、武藤です。
マラソンや登山以外に何か新しいことに挑戦したいと思い、去年はベートーベン 第九の合唱団に参加、6ヶ月間の猛練習を経て、大阪フィルハーモニーとの共演でクリスマス特別演奏会出演を果たしました。
https://www.youtube.com/watch?v=tzXmuH0Qn8U&feature=youtu.be
https://www.youtube.com/watch?v=J_rUeCudboc&feature=youtu.be

今年は、どんな新しいことに挑戦するか色々考え...、オカリナを吹けるようになりたいと決め、今日、羽島のオカリナ教室に行って来ました。
何年か前、ニュージーランドの北島、オークランドの港町で聞いたオカリナの「コンドルは飛んでいく」。
その素晴らしいメロディやオカリナの音色に魅せられ、やっとオカリナ習得の機会が訪れました。

これから、9ヶ月間猛練習を重ね、スイスアルプスの草原で「コンドルは飛んでいく」を吹くのが最終の夢・目標です。
https://www.youtube.com/watch?v=rJPEPMTe6E8
https://www.youtube.com/watch?v=lSksGELZYjM

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オカリナとは?
オカリナの音は、深く、優しく響きます。
その魅力は、オカリナ独特のもので、他の楽器では出すことができません。

なぜ、こんなにも魅力的な音がするのでしょう。
オカリナは土から作られています。
きっとオカリナの音は、「母なる大地」が歌う歌声なのではないでしょうか。
これが、オカリナの音が、聴く人の心に、懐かしさとあたたかさを感じさせてくれる秘密なのかもしれません。

オカリナは、息を楽器に入れるとすぐに音がでます。
ですから、技術的にそれほど難しい楽器ではありません。
童謡、演歌、クラッシック、ポップス、ジャズなどあらゆるジャンルの曲が演奏できます。

音域が1オクターブと6度と、他の楽器に比べてやや狭いです。
曲によって、高音、低音の出るオカリナに持ち替えたりすることで対応します。

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武藤 翔峰
メール   muto_tohox@ybb.ne.jp   
HP http://mutotoho.digi2.jp/
facebook https://www.facebook.com/akira.muto.98
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オカリナ


姿勢


持ち方


音を出す


こつ




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平成26年5月23日更新
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小学校を卒業して60周年

 投稿者:翔峰  投稿日:2014年 5月22日(木)17時14分30秒
今年は小学校を卒業して60周年の記念すべき年にあたり、卒業した金沢市立十一屋小学校の同窓会がホテル金沢で開かれたので妻と二人で出席してきました。

妻と私は小学校5,6年の同窓生で小学校からの付き合いが結婚にまで至りました。

当時のクラスは61人の大世帯、そのうち10名が死亡、連絡先不明が21名、今回の同窓会に21名が出席、9名が欠席でした。同窓会はこれまで卒業後7年目に初めて開催され、成人した同窓生が集いましたが、そのときに妻に再会、改めてお付き合いし結婚に至ったもので、来年は結婚50年目の金婚式となります。

結婚したてのあの若いころ、妻の顔を見るだけで、心がときめいた時代がありました。ピチピチしていたふたりです。あれから50年。いま、妻の顔を見るたんびに不整脈です。

昔は手を取り合っていました。あれから50年。いま、財産を取り合っています。

あの頃は、お茶をひとつ入れるにしても、心を込めていたんです。あなた、お茶が入りましたよ。あれから、50年。夫婦茶碗は、妻の方が大きいほうで飲むようになりました。

お風呂だって、ふたりで入っていたんです、あなた、一緒に入りましょう。あれから50年。ふたりでは入れなくなりました。ふたりとも太ったのです。

昔は羽目を外しました。若かったんです。今、外せるのは入れ歯ぐらいです。

昔は赤い糸で結ばれていると信じていました。あれから50年。いま、気持ちは変わりました。ふたりはいま、コードレスです。

昔は妻の身体をよくさわりました。あれから50年。いま、毎日触るのは手すりぐらいです。

子供のため,家族のため,とにかく一生懸命働いてきました.しかし、人生、上りつめてもいないのに、もう下り坂。ツヤのない上半身、用のない下半身,もういまは,尿の検査と,あとはおしっこをするだけです.

これからも毎日10kmのジョギングだけは欠かさず、健康に恵まれて楽しい人生を送りたいものです。


 


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東南アジア ひとり旅実施編
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平成26年5月16日更新

東南アジア6ヶ国の写真集
2014/05/16 15:39着信

みなさん、こんにちは、武藤です。
2月から3月にかけて1ヶ月旅した東南アジア6ヶ国の写真集をこちらにアップしました。
ご覧いただければ嬉しく思います。

・ベトナム編
http://muto.digi2.jp/Vietnam/Vietnam.html

・カンボジア編
http://muto.digi2.jp/Cambodia/Cambodia.html
・タイ・ラオス編
http://muto.digi2.jp/Thailand_Laos/Thailand_Laos.html
・ミャンマー・マレーシア編
http://akira.html.xdomain.jp/Myanmar_Malaysia/Myanmar_Malaysia.html


今、つくづく思うのは日本に生まれ、日本に生きていることがどれほど幸せなことか、このひとり旅で気づきました。
東南アジアの貧しい地帯に生まれ育っていたら、生きるだけが精一杯でとても今のこの幸せは望めないでしょう。
このことを肝に銘じて生きていきます。
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武藤 翔峰
メール muto_tohox@ybb.ne.jp
HP http://mutotoho.digi2.jp/
facebook https://www.facebook.com/akira.muto.98
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平成26年3月24日更新

東南アジアの人々

 投稿者:翔峰  投稿日:2014年 3月24日(月)11時05分55秒
今回の東南アジア6ヶ国1ヶ月の一人旅もすべての予定を終了、今、クアラルンプールのゲストハウスに滞在中、これからクアラルンプール国際空港経由で関西空港に帰国します。

東南アジアは乾季のこの時期、雨は一滴も降らず毎日35度以上の乾燥した猛暑が続いています。一方雨季には毎日大量の雨が雨が続き洪水になるそうです。大気は汚染し空気はきたなく、水もまたきたなく飲めません。そして道路にはゴミが溢れ返り、野良犬が歩き回っています。貧しい人々はこのような劣悪な環境の中、物売り、物乞い、タクシーやトウクトウク、馬車のドライバーなどで必死に生きるため懸命に働いています。

特に私が滞在した1泊800円〜1400円の安宿の周辺には、汚い身なりで裸足で歩く子供たちも学校にも行かず懸命に働いている姿を見ました。豪華なホテルに泊まるパッケージツアーでは絶対に近づかない危険地帯ですが、私は毎日このような貧しい人たちの生の姿に接してきました。

それに引き換え、四季が規則正しく訪れる日本は、空気もきれい、水も飲める、ゴミは定期的に回収してくれる、そして何よりも豊かで平和で暮らしやすく、世界最高の国だと気づきました。それが今まで当たり前だと思っていた日本での生活が、東南アジアの人々にとっては天国のような生活なのです。

病気になって健康の有難さを知るように、東南アジアの貧しい人々の生活にじかに触れてみて、改めて日本の素晴らしさを再認識しました。
毎日の愛犬との散歩、庭や家庭菜園の手入れ、気持ちの良いジョギング、家族との何気ない会話など、普段の生活の中にこそ最高の幸せがあることを知りました。

普段のこの何気ない生活の中の最高の幸せ以外に、これ以上の何か特別の贅沢を求めることは東南アジアの貧しい人々に対し、申し訳が立ちません。
その思いをユニセフ協会などに寄付して、このような人たちの暮らしが少しでも楽になるよう、今後は自分自身の愚かさを戒めていきたいと本当に感じました。

使い残した現地通貨(ベトナムドン、カンボジアクエル、タイバーツ、ラオスキップ、ミャンマーチャット、マレーシアリンギッドなど)があったので、空港のドネステーションボックス(寄付箱)に寄付してきました。これで少しは、気持ちは晴れました。

また、日本でお会いしましょう。

平成26年3月22日更新

ミャンマー・バガン

 投稿者:翔峰  投稿日:2014年 3月22日(土)12時46分52秒
今回の旅の最後の訪問国ミャンマーの最後の訪問地、バガンに来た。
バガンは、カンボジアのアンコールワット、インドネシアのと並ぶ、世界三大仏教遺跡のひとつとされるパガン王朝名残の寺院群。

イラワジ川中流域の東岸に、2000あまりの大小さまざまな仏塔や寺院が並ぶ様は壮観。あまりにも広いので、馬車をチャーターし、日の出から日の入りまで21か所の寺院群を巡った。38度を超える暑さの中、真夏のマラニックに匹敵する強行軍であった。

これで、全日程を終了、日本へ帰国するだけとなった。私は6ヶ国1ヶ月で1か国5日くらいの滞在であったが、ヤンゴンで知り合いバガンにも夜行バスで一緒に来たシシリアは、インドネシア、シンガポール、ミャンマーなど東南アジア6ヶ国を1ヶ国1ヶ月くらい滞在し、カナダを出国してからもう半年になるという。

この後台湾を経て、友人のいる日本にも来るという。上には上がいるものだ。
現在ヤンゴンに戻り帰国準備中、クアラルンプール経由関空に帰る。(最終稿)

平成26年3月20日更新

ミャンマー・ヤンゴン

 投稿者:翔峰  投稿日:2014年 3月19日(水)17時48分58秒
最後の訪問地、ミャンマーに着いた。昔はビルマといい、ビルマの竪琴しか知らない。アウンサンスーチー女史が軟禁されていrという抑圧された印象である。来てみるととにかく暑い。35度はあるだろう。また、ほかの国と同じように貧しい。子供たちは裸足で歩き、学校にも行っていないのではないか。

今日は、シュエダゴン・パゴダ(パヤー)とチャウッタージー・パヤー(涅槃仏)を訪れたが、信心深い人たちでいっぱいであった。

今晩から、夜行バスでバガンに移動する。

平成26年3月17日更新

ラオスの古都、ルアンパバーン

 投稿者:翔峰  投稿日:2014年 3月17日(月)18時43分11秒
ラオスの古都、ルアンパバーン最後の日となり、早朝から托鉢僧の行列やワットビスンナラートの黄金のブッタ像などを見学した。

のどかな古い町に別れを告げ、夜行寝台バスでビエンチャンまで戻って来た。行きの寝台バスは4列だったが、帰りは3列で独立している。夜行寝台バスは日本の方が遅れていると感じた。

今晩はビエンチャンに泊まり、いよいよ明日から最後の訪問国、延べ76ヶ国目のミャンマー・ヤンゴンに空路移動する。

ラオス・ルアンバパール

 投稿者:翔峰  投稿日:2014年 3月15日(土)21時24分22秒
ラオスのビエンチャンから北西400qに位置するラオスの古都、ルアンパバーンに昨日から夜行寝台バスでやって来て滞在している。

14世紀から統一国家ラーンサーン王国の首都となり、6世紀にわたり栄華を誇った。今も世界遺産に登録され80もの古い寺院が建ち、ラオスの京都といった風情だ。何よりも物価の安いのがいい。100円でラーメンが食べられる。未明から通りにひざまずいて托鉢に来る僧侶の行列にもち米を施す。信心深い人々が多いのだろう。

日本を出て20日余り、今日まで雨に降られたことが1日もない。東南アジアは乾季のためである。こうなると日本の冷たくて気持ちの良い雨が待ちどうしい。お陰で毎朝、毎夕綺麗な日の出、日の入りが見れる。今日の夕陽はメコン川に沈むルアンパバーンの夕陽だ。そのあとナイトマーケットへ行き、安いラオス料理とビールを堪能。

明日は夜行寝台バスでビエンチャンンに戻ります。

平成26年3月13日更新

ラオス・ビエンチャン

 投稿者:翔峰  投稿日:2014年 3月13日(木)18時24分24秒
昨日から未知の国、ラオスのビエンチャンに来ている。これまで滞在した国々とはちょっと、雰囲気が違うような気がする。洪水のようなモーターバイクのラッシュもないし、今までの国々のような貧しさも表面的には見えない。首都ビエンチャンのせいなのか。

ラオスの首都であるヴィエンチャンは、メコン川沿いに作られたラオス最大の都市で、16世紀の半ばごろにセタティラート王King Setthathirat(1548-1571)により首都に定められた。そして現在も政治、経済の中心地で、空路、陸路での出入国のメインゲートともなっており、他の県とは違う行政特別市となっている。街並みはフランス植民地時代の古い建物と並木道、そして数多くの仏教寺院が混在し、アジアと西欧文化の融合が見られる。17世紀にヴィエンチャンを訪れた東インド会社の商人、Geritt Van Wuysthoffやイタリアの伝道師Leria de Mariniらは当時のヴィエンチャンを東南アジアでもっとも荘厳な町であると評しているが、現在もその面影を見る事が出来る。

今日はさっそく、そびえたつ黄金の塔、タート・ルアンとパリの凱旋門を模して建てられた戦死者慰霊の門、パトーサイを訪れた。

明日から夜行寝台バスでルアンパバーンに移動する。

タイ・パタヤビーチ

 投稿者:翔峰  投稿日:2014年 3月11日(火)22時05分36秒
3日前にカンボジアの国境を越えて、バスでタイ・パタヤにやって来た。7年前にパタヤマラソンを走り、懐かしい思い出の地だ。このビーチリゾートでは、ビーチをジョギングし、暑くなったら泳ぎ、疲れたらパラソルデッキに横になり、何もせずにボーと海を見て過ごすだけ。2日間も何もせずボーとしているとすっかり疲れも取れてしまった。明日からはラオス・ビエンチャンに移動するので、国境越えがまた大変だ。今晩は夕陽を撮影しのんびりし、明日からのラオスへの移動に備える。



平成26年3月8日更新

アンコールワット

 投稿者:翔峰  投稿日:2014年 3月 8日(土)18時19分36秒
昨日まで2日間に渡ってアンコールワットの遺跡群を訪ねてきた。その中で最も印象に残ったのが、バイヨンだったので、今日は再度バイヨンを訪れ、ほとんど半日一杯、写真撮影を行った。中でも、54もある観世音菩薩の顔に心が洗われるようであった。そのほとんどの観世音菩薩の顔を写そうと、望遠レンズやズームレンズに取り換えて撮影した。

一方では、学校にも行けず、家族にも見てもらえず、子供たち同士が貧しく片寄せあって暮らしている姿に心を打たれた。また、遺跡群や湖にコース設定されているアンコールワット国際マラソンのコースも走ってみた。

アンコールワット国際ハーフマラソン

アンコールワット国際マラソンは、カンボジアの世界遺産「アンコールワット」の遺跡内部で開催される国際レースです。1996年に第1回大会が開催されました。本大会はカンボジアの対人地雷被災者救済のためチャリティマラソンであり、世界に向けて「非人道的な対人地雷の使用禁止」を訴え続けるために毎年開催されています。健常者だけではなく、地雷の被害者となったランナーも参加する勇気と希望がシンボルの大会で、昨年2012年は6000人以上もの参加がありました。

 

平成26年3月7日更新

アンコールワット

 投稿者:翔峰  投稿日:2014年 3月 7日(金)19時14分5秒
今朝はアンコールワットからの日の出を写すため、5時起床で出かけた。お陰でアンコールワットから上る綺麗な日の出を撮ることができた。遺跡巡り二日目は、郊外のバンテア・スレイとバンテアイ・サムレの2か所に行った。昨日の暑さに懲りて、長袖、ロングタイツの完全真夏マラニック型。濡れて冷たい手ぬぐいがあればいいが、そこまではしなかった。[



アンコールワット

 投稿者:翔峰  投稿日:2014年 3月 6日(木)20時01分12秒
世界遺産アンコール・ワットは、カンボジア中央部に広がるトンレサップ湖畔の町、 シェムリアプの北に位置する東西22km南北35kmに渡る広大な遺跡群である。これらを築いたのは9世紀から15世紀にかけて繁栄したアンコール王朝(クメール王朝)。 アンコール王朝はこの地に首都を置き、数多くの建物を建造した。

しかし西のアユタヤ王朝から度重なる攻撃を受けアンコール王朝は衰退。 1431年、アンコールはついに放棄されてしまう。その後アンコールはジャングルに埋もれ、地元のわずかな人々のみが知るのみであったが、 1860年、フランス人博物学者のアンリ・ムオーがそれを発見、報告書を発表したことでアンコールは再び日の目を見ることになった。

20世紀に入ると、当時カンボジアを統治していたフランスが 荒廃していたアンコールの修繕を開始するが、 それはカンボジア内戦により1972年に中断。放置せざるを得なくなってしまった。 カンボジアに台頭したのは極端な共産主義者であったポルポト率いるクメール・ルージュ。すべての文明を否定したクメール・ルージュは、 民衆を強制的に農村へ移住させ、通貨を廃止し、あらゆる宗教も禁止した。そのためアンコールはクメールルージュによる破壊の対象となった。 また、内戦でアンコールが被った被害は、物理的な損害だけではない。

クメール・ルージュは、すべての知識人を反乱を起こす可能性があるとして処刑した。 殺された人々は、当時のカンボジアの人口の3分の1である300万人であったという。処刑された人々の中には、遺跡の保護や修復などに関わっていた貴重な人材も含まれていた。アンコールに存在する遺跡群の中でもっとも有名なものは、いわずと知れた12世紀の寺院建造物、アンコール・ワットであろう。

アンコール・ワットは現在カンボジアで信仰されている上座部仏教の寺院であり、 インドネシアのボロブドゥル、 ミャンマーのパガンと並び世界三大仏教遺跡と称されているが、建設された当初は当時アンコール王朝が信仰していた、ヒンドゥー教と大乗仏教が混合した宗教の寺院であった。

境内は南北1300m、東西1500mの広さであり、周囲は壕がめぐらされている。 中央祠堂は三回廊から成っており、第一回廊と第二回廊には精密なレリーフが残されている。そのモチーフは古代インドの叙事詩であるラーマーヤナや、 ヒンドゥー教の天地創造神話である乳海撹拌などといったヒンドゥー神話、当時の王の様子などである。また中央祠堂第三回廊には先頭がそびえているが、これは須弥山を模しているという。

暑くて暑くて、真夏の郡上八幡マラニックよりきつかった。

平成26年3月6日更新

アンコールワット

 投稿者:翔峰  投稿日:2014年 3月 5日(水)21時03分0秒
今朝は朝8時15分のミニバス(10$)に乗り、6時間ほどでプノンペンからアンコールワットの都、シェムリアップに着く。道中の風景は貧しい人々の暮らしで溢れている。物売りや物乞い、トゥクトゥクなどで必死に生きるために頑張っている人たちを見ると、改めて豊かな日本の有難さが分かる。

病気になって初めて健康の有難さが分かるように・・・・
今日から5日間アンコールワットで過ごし、明日から3日間のツアーに出かける。

宿泊は1泊800円の”チェンラゲストハウス”
夕方市内のジョギングに出かけた。

カンボジア大虐殺

 投稿者:翔峰  投稿日:2014年 3月 5日(水)20時58分41秒
ベトナムから無事国境を越え、カンボジアにやって来た。
カンボジアの首都、プノンペン、今からつい35年ほど前に、”カンボジア大虐殺”と言われるポルポト政権による大虐殺の行われたところだ。

【 キリング・フィールド 】 は、プノンペン郊外約12kmのチューンアエク村にある、ポル・ポト時代(1975〜1979)の虐殺現場のひとつ。のどかな道をしばらく走ると慰霊塔が見えてくる。その慰霊塔の中にはこの地で処刑された方々のおびただしい数の頭蓋骨が収められ、周辺の大地には今なお人骨の破片が転がっている。

今なお、プノンペンに暮らしている人たちも貧しい。足を失った人が這いずりながら道路を渡っている。
800万の国民のうち、300万が虐殺されたという。このような悲劇を目の当たりにして、のどかな平和な日本に帰ると、このような人たちのためにも、前向きに、強く生きなければ・・・・・と考えてしまう。

平成26年3月2日更新

ベトナムの問題

 投稿者:翔峰  投稿日:2014年 3月 2日(日)10時31分48秒
過日、ベトナムに入国するとき、リターンチケット(帰りの航空券)を持っていないという理由で入国できなかった。1ヶ月の長旅であり、今ボーディングパスはないと言っても理解してもらえず、他の審査官に引き渡されてしまった。

そこで、丁寧に詳しく1ヶ月の旅程を説明、ベトナムの後はカンボジアに出国し、タイ、マレーシア、ミャンマーなど6ヵ国旅を続け、クワラルンプールから関空までのイーチケットを見せ、やっと理解してくれて入国審査のスタンプを押してくれた。
ホーチミンでは、facebookに閲覧制限がかかっており、アクセスできないことや、簡単には入国できないことなど、平和で豊かな暮らしやすい日本に慣れきった我々には、信じられないくらい遅れています。

出国時、たかが練り歯磨き150gが没収されたからと言って、日本に文句を言っていたらばちが当たります。それほど遅れた国の問題はレベルが違う話であることが体験できた。
しかし、物価は安い。ビール1本70円、おいしいフォー(コメのめんとチキン)225円、チャーハン375円。たらふく食べて飲んでも一日1000円で済みます。

ベトナムでは中国のように、facebookに閲覧制限がかかっており、簡単にはアクセスできません。抜け道から細々とアクセスしています。

日の出

 投稿者:翔峰  投稿日:2014年 3月 2日(日)10時24分14秒
今日から明日にかけて、約700qのバスの旅、ベトナム→ホーチミン→プノンペン(カンボジア)の大移動です。
今朝は早起きして日の出の写真を撮りました。



ニャチャンビーチ

 投稿者:翔峰  投稿日:2014年 3月 2日(日)10時18分22秒
ニャチャンは、ベトナムの誇る屈指のビーチリゾートです。近年世界中から注目されていて、欧米人だけではなく最近では日本人も多くが訪れる絶好の海水浴地となっています。また、気候柄年間を通して泳ぐことができるのも特徴の一つです。ニャチャンビーチは約7キロにも渡って続いている長いビーチです。並行して走る通りはチャンフー通りと呼ばれていて、リゾートホテルや洒落たカフェやレストランが建ち並んでいます。また、さらに南下していくとバックパッカーが訪れる安宿や港にも続いています。

明日ニャチャン国際マラソンが開催、参加する予定でしたが、都合により延期、コースの一部を走ってみました。
ここでの過ごし方は、何もせずボーと海を見ているか、気が向いたら泳ぐか、時間に追われずにのんびり過ごしています。

日本人といえば、決まったスケジュール通り、忙しく動き回らないと海外旅行ではないと思っているようですが、欧米人は全く逆で一日何もせずボーとしています。


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東南アジア ひとり旅準備編
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平成26年1月12日更新

東南アジアひとり旅 その1

 投稿者:翔峰  投稿日:2014年 1月11日(土)14時55分17秒
寒い日本から脱出し、暖かい南国で1ヶ月過ごすと言う計画をほぼ決定した。LCC(格安航空会社)を利用し、宿泊は安いゲストハウスに泊まり、移動は夜行バスも利用して、時間と費用を節約するいつもの放浪の貧乏ひとり旅。計画に抜けがないかどうか確認するため、プランをまとめてみる。

2/24(月)23:35関西空港からLCCエアーアジアD7535でクアラルンプールに向かう。翌朝05:35到着後、AK1450に乗り換え、09:10発でホーチミンに向かい、10:05に到着。
空港からホーチミン市内までは約8km、タクシーで700円くらいなのでタクシーで行く。ホーチミンではゲストハウス:Sai Gon Sports 1 Hotel(1泊1900円)を予約済み。ホーチミンで3泊し、市内観光などで過ごす。
ベトナム戦争が終結し、解放される1975年までは「サイゴン」と呼ばれていたベトナム最大の商業都市、ホーチミン市。街はサイゴン川の西側に開けており、かつて「プチパリ」とも称えられていた美しい街並みは、ここ十数年で急激な変貌を遂げ、今では整然と並ぶ街路樹やシックなコロニアル様式の建物、カトリック教会にわずかにその面影を残すだけとなった。 街角で見かける普段着のホーチミン市を見つけて楽しむのも悪くない。ベトナム名物お米の麺、フォーを食べるのも楽しみだ。

2/28(金)、ホーチミン8:00発のエアコン付き大型バスでニャチャンに向かう。到着は18:00.14US$で予約済み。
ニャチャンは、ベトナム中南部随一のビーチリゾートであり、背後には4つの山並みが控え、海岸線に沿って遊歩道も整備された黄金色のビーチが約7km伸びている。
当初は、ベトナム国際ニャチャンマラソンを走る予定だったが、2015年3月に延期されたので、この7kmの白砂のビーチで思う存分走ってくる。
そして、この暖かい南国の白い砂浜と緑の椰子並木、青い空のコントラストが美しいビーチリゾートでのんびり過ごしてこよう。
ニャチャンではゲストハウス:Sen Vang Guest Houseを予約済み(1泊1820円)でここに2泊し、3/2(日)18:00の夜行バスで翌朝3/3(月)06:00にホーチミンに戻る。(続く)


平成26年1月13日更新

東南アジアひとり旅 その2

 投稿者:翔峰  投稿日:2014年 1月12日(日)10時20分3秒
東南アジアひとり旅 その2 プノンペン編
3/3(月)、夜行バスでニャチャンから朝6時にホーチミンに着く。フォーの朝食を食べ暫く休憩後、ホーチミン10:00発のエアコン付き大型バスで、カンボジア・プノンペンに向かう。カンボジア入国にはビザが必要だが、すでにe-Visaを取得済みなので、国境のバベットでそれを見せれば入国できる。プノンペンには16:00に着く。13US$で予約済み。
http://www.tnkjapan.com/listoftickets.shtml

プノンペンでは、2泊しゲストハウス:Okay Guesthouse Phnom Penhを予約済み。1泊1600円。
カンボジアの首都、プノンペンは、1975年のポル・ポトの政策により人々は地方への移住を強要され、町は無人化して荒廃。続く内紛などで次第に廃墟と化していったが、1993年に新生カンボジアが誕生すると、シアヌーク殿下が王位についてプノンペンに帰還。以来、町は再建に向かい、町の中心部は清潔で美しくなった。特に、独立記念塔が立つあたりは公園になっており散策に最適。

観光は王宮や国立博物館、トゥール・スレン博物館(かつて高校だった場所。ポルポト派のクメールルージュがインテリを監禁して、拷問する場所として使った。現在は博物館になっている)、キリング・フィールド (Killing Field) (プノンペンの南西約15kmにあるチュンエク村は、ポル・ポト時代の1975〜78年に、処刑場となっていた場所。刑務所に入っていた人々はここに連れてこられて処刑された後、穴に次々と投げ込まれ、埋められていった。遺体は現在、掘り出され、慰霊塔には約9000の頭蓋骨が安置されている。)などを巡る。平和な日本に生まれ、育ったことを改めて再認識するであろう。

平成26年1月14日更新

東南アジアひとり旅 その3

 投稿者:翔峰  投稿日:2014年 1月13日(月)09時39分37秒
東南アジアひとり旅 その3 アンコールワット編
3/5(水)プノンペンから大型エアコン付きバスでシェリムアップに向かう。所要時間は6時間、10US$で予約済み。シェリムアップのゲストハウスは、Chen La Guest Houseでここには、4泊する予定。予約済み(1泊9US$)
ここアンコールワットは、インドネシアのボロブドゥル寺院遺跡群、ミャンマー、バガンの寺院遺跡群と並ぶ世界3大遺跡寺院群のひとつである。
12世紀前半に造られた、カンボジアを代表する世界遺産アンコール・ワット。南北約1300m、東西約1500mの塀で囲まれた内部には約600mの参道が続き、その先に中央神殿が位置する。神殿の上部に登るにつれ神々の世界に近付くとされる回廊には、インド古代の叙事詩や神々の戦いを描いた壮大な彫刻が見られるのでの写真撮影も必須です。ここでは、3日間のツアーに参加する。

1日目:
朝:アンコールの古代の首都クメールは今日、アジアの中でも注目すべきで印象的光景の1つだ。
600年もの間、アンコール帝国は地域で無敵で、ジャヤーヴァルマン7世など多くの国王の下で、クメール王国は芸術的にも比類なき功績を残した。
これらの中で最も重要であるのは、12世紀に建てられた寺院、アンコールワット。寺院周辺の巨大な堀を渡る長い砂岩の道(Sandstone Causeway)は訪問者にヒンズー教、クメールの伝説、その芸術性に思いを馳せさせる。
その後要塞都市アンコールトムの壮大なサウスゲートを通ってバイヨン行く。バイヨンにはヒンズー教の神、アヴァロキテシュワラの顔をした200以上もの石像があり、アンコールの最も劇的な光景の1つとされている。
すぐそばにある「象のテラス」は王宮前広場に面して南北方向に延々と続く長大なテラスの呼び名。こちらも注目すべき観光地の一つだ。
午後: ジャングルに覆われた寺院、タ・プローム・ケルには巨大に曲がりくねる根が建物、回廊、崩れかけの塀に絡み付いている。 一度は600以上のダンサーの為の住居でしたが現在は高くそびえているジャングルツリーと金切り声で叫ぶオウムの群れのものとなっている。
夕方 : アプサラ・ダンス・ショー(ディナー付)

二日目:
朝: 2日目: 朝: 遺跡の中では小さなバンテアイ・スレイを訪れる。 バンテアイ・スレイは複雑で赤みがかった砂岩の彫刻を特徴としている。バンテアイは砦、スレイは女で、「女の砦」を意味する。
午後:Vニャックポアム、 タ・ソム、バンテアイサムレ、 プリヤ・カーンなどアンコールエリアを訪れる。夜:プノム・バケンかPreah Rupから日没を眺める。

三日目: カンポンプロック
カンポンプロック はシェムリアップの約16km南東ににあるトンレサップ湖の氾濫原の中にある小さな家で構成される三つの部落。 村には主としてクメール人約3000人が住んでいる。 水につかっているマングローブ森林は、そのエリアを囲んでいて、カニを食べるマカク(オナガザル科の猿)を含む野生生物の住処でもある。 乾期の間、湖の水位が低いので村の建物は脚柱が水不足で露出し、頭上6メートルもの高さにそびえているようなる。この季節には村人の多くが引っ越して、一時的に脚柱で支えられた家を建てる。 雨季にになると水位が再び上る。
ツアーは湖にある驚きの全てをご案内する。ローカルの村を探検するボート旅行を楽しむ。そして浮いている学校や市場、診療所などを見る。)
午後: ロリュウス遺跡群を訪問する。寺院パスをお持ちの方はバコン寺院に立ち入ることが可能。 私たちのガイドがバコン寺院の歴史(悪名高い過去も含む)これら寺院の建設当初の情報をご提供する。

平成26年1月15日更新

東南アジアひとり旅 その4

 投稿者:翔峰  投稿日:2014年 1月14日(火)14時07分18秒
東南アジアひとり旅 その4 タイ・パタヤ編
アンコールワットで5日間過ごしたのち、3/9(日)シェムリアップからパタヤまで、クーラー付大型バスで10時間かけて移動する。8:00発10US$で予約済み。

国境を通過するときには再びカンボジアのe-Visaを見せて通過する。タイ入国にはビザは不要。
パタヤはバンコク市内から南東に車で2 時間程度の場所にあるビーチで、東海岸の宝石とも形容されるが、パタヤは街とビーチが直結しているのが何よりの魅力、ビーチ沿いにはホテルやショッピングエリア、レストラン、カフェが充実しており、夜にはビアバーやゴーゴーバーが俄然活気付く、夜遊びの充実したナイトリゾートタウンだ。ベトナム戦争時代にアメリカ軍兵士の保養地として設けられた名残を残しており、ビアバーのカウンターで1 杯5 0 バーツ(2 0 0 円)のビールを飲みながら女の子と交渉し気に入った彼女とデートする。

7年前パタヤマラソンでここを走り、それ以来プーケットと並ぶタイのビーチリゾートとして気に入っている。
そのときは、Eastiny Place Hotelに泊まったが、どこのゲストハウスに泊まるか検討中。
パタヤには2泊して、ビーチを走ったり、息抜きをしたりする。

写真は、7年前の写真です。

東南アジアひとり旅 その5

 投稿者:翔峰  投稿日:2014年 1月15日(水)10時21分8秒
東南アジアひとり旅 その5 ラオス・ビエンチャン編

タイ・パタヤで3日間過ごした後、バンコク国際空港、クアラルンプール国際空港を経てラオス・ビエンチャンに向かう。
3/12(水)タイ・パタヤからバスでバンコク国際空港に向かう。
バンコク21:00⇒クアラルンプール00:15 AK1949
3/13(木)クアラルンプール07:35⇒ビエンチャン09:10 AK1412
13日はビエンチャンのMixok Innを予約済み。1泊1720円。

ラオスの首都であるヴィエンチャンは、メコン川沿いに作られたラオス最大の都市で、16世紀の半ばごろにセタティラート王King Setthathirat(1548-1571)により首都に定められた。そして現在も政治、経済の中心地で、空路、陸路での出入国のメインゲートともなっており、他の県とは違う行政特別市となっている。1999年6月からは、日本政府の無償資金協力によってできたワッタイ空港新ターミナルが利用されている。街並みはフランス植民地時代の古い建物と並木道、そして数多くの仏教寺院が混在し、アジアと西欧文化の融合が見られる。17世紀にヴィエンチャンを訪れた東インド会社の商人、Geritt Van Wuysthoffやイタリアの伝道師Leria de Mariniらは当時のヴィエンチャンを東南アジアでもっとも荘厳な町であると評しているが、現在もその面影を見る事が出来る。

この旅も13日、ラオス・ビエンチャンで日本を出てから18日目、折り返しを少し過ぎ、あと、ラオス、ミャンマー、マレーシアが残っている。
計画に抜けがないかしっかりチェックしていこう。

平成26年1月17日更新

東南アジア 走り旅 その6

 投稿者:翔峰  投稿日:2014年 1月16日(木)09時51分54秒
東南アジア 走り旅 その6 ラオス・ルアンパバーン編
ビエンチャンで2日間の市内観光の後、夜行寝台バスで世界遺産都市、ルアンパバーンへ向かう。
ルアンパバーンで2日間の市内観光の後、再び夜行寝台バスでビエンチャンに戻り、1泊、翌日、空路ミャンマー(ビルマ)のヤンゴンに向かう。

3/14(金)市内観光の後、夜行寝台バス ルアンパバーンへ9時間 1500円現地で買う
3/15(土)ゲストハウス:Mixok Inn 2093円予約済み
3/16(日)市内観光の後、夜行寝台バスでビエンチャンへ9時間 1500円現地で買う
3/17(月)ゲストハウス:Mixok Inn予約済み1泊1720円
3/18(火)ビエンチャン09:45⇒クアラルンプール13:30 15:40⇒ヤンゴン16:45

ルアンパバンはランサン王国(1353-1975)の王都で、古くはムアン・スワといい、その後シェントーン と呼ばれるようになった。カーン川とメコン川の合流地点に位置する緑豊かな町ルアンパバンは、その 美しいラオスらしい町並みと、歴史的、文化的遺跡保護の観点から、1995年、ユネスコによって世界 遺産に指定された。プーシーの丘から町並みが一望でき、ルアンパバン名物でもある夕陽は荘厳だ。今やラオスの一都市というより「世界のルアンパバーン」としてその名が知られている。
夜行寝台バスに乗るのも初めてだ。

平成26年1月18日更新

東南アジア 走り旅 その7

 投稿者:翔峰  投稿日:2014年 1月17日(金)20時21分14秒
東南アジア 走り旅 その7 ミャンマー・ヤンゴン編
ラオスでの6日間の滞在を終え、次の訪問国、ミャンマー(ビルマ)に向かう。
ビエンチャンからクアラルンプールに戻り、ミャンマーの首都、ヤンゴンに向かう。
3/18(火)AK1413 ビエンチャン09:45⇒クアラルンプール13:30
      AK1420クアラルンプール15:40⇒ヤンゴン16:45
3/19(水)ゲストハウス:Agga Guest House予約済み 1600円
1日の市内観光を終え、夜行バスでバガンへ 1500円 11時間 18:30-05:00

ヤンゴン
ミャンマー連邦の首都。イラワジ川の分流、インド洋に注ぐラングーン川下流の東岸にある河港都市。米の輸出が盛ん。仏教寺院が多い。旧称、ラングーン。1989年現名に改称。

ミャンマーの首都であり、まさにミャンマーの政治、経済の中枢都市。また、現実的に旅行者の玄関口となる都市だ。その名の由来は、1755年にビルマ族の王アラウンパヤーが、この地を占領し、呼び名を「戦いの終わり」と言う意味の「ヤンゴン」とした所から来ている。人口は今や500万人を数え、今、開放政策の勢いを受け、急激に発達中。ヤンゴンは広い! だが、市内の中心部は十分歩いて回れる。観光以外のほとんどの用件は、ス−レーバゴダから1kmの半径内ですんでしまう。デパートやゲームセンター、ファーストフード、コンビニなどもある。

シュエダゴンパゴダ
言わずと知れたミャンマー観光のハイライト。約2,500年前にある商人がインドで釈迦からもらった聖髪を奉納したのが始まりで、改修を重ねて今の姿となった。「聖なる黄金の塔」と言われ、ヤンゴンのダウンタウンから少し離れた北の方角に位置する。高さ100mの黄金に輝いている仏塔はかなり遠くからでも見え、ヤンゴン市内のシンボルとなっている。境内の中には80もの建物と、大小あわせて66個のパゴダに囲まれており、壮大な寺院の集合体となっている。外国人の入場料はUS5ドル。入場料:US$5

チャウタージーパゴダ
ヤンゴン一番大きな寝釈迦がある。高さ17.6m、長さ65.8mの大きさで、バゴーのシュエターリャウンパゴダよりも大きい。参道には占い師の店が軒を連ねている。

東南アジア 走り旅 その8

 投稿者:翔峰  投稿日:2014年 1月17日(金)20時25分11秒
東南アジア 走り旅 その8 ミャンマー・バガン 最終編
東南アジア走り旅もいよいよ最終地となる。
ミャンマーの首都ヤンゴンでの2日間の滞在を終え、夜行バスで世界3大遺跡寺院群のひとつ、バガンに向かう。ここで2日間を過ごし再び夜行バスでヤンゴンに戻り、1泊翌日空路クアラルンプール経由で関西空港に帰国する。
3/19(水) 夜行バスでバガンへ 1500円 11時間 18:30-05:00 現地で買う
3/20(木) バガン泊 Aung Mingara ホテルを予約済み 40:00US$
3/21(金) 夜行バスでヤンゴンへ 現地で買う
3/22(土) ヤンゴン泊 ゲストハウス:Agga Guest House予約済み 1600円
3/23(日) ヤンゴン17:15⇒クアラルンプール21:30
3/24(月) クアラルンプール15:00⇒関西空港22:25

バガン
アンコールワットやボロブドゥールと並ぶ世界3大遺跡寺院群で、ミャンマーの世界遺産暫定リスト記載物件であるバガン。総数2,000を超える仏塔パゴダが林立する。実はこの物件、1997年の世界遺産委員会で世界遺産登録が審議されたが、残念ながら登録は延期されてしまった。しかし、世界遺産委員会はこの遺跡の普遍的価値を認め、ミャンマー政府にバガンの保護体制を改善して早急に再推薦するように要求した。世界遺産ではないものの、世界遺産委員会が登録したくてたまらない貴重な物件、それがこのバガンなのだ。

これらのパゴダが建てられたのは、10〜14世紀の バガン 王朝の時代。この時代に上座部仏教が伝えられて、釈迦の家であるパゴダが建てられるようになった。この時代、数万〜数十万のパゴダが建立されたと言われている。やがてモンゴルが来襲すると バガン 王朝は滅び、パゴダ建設も下火になった。

このエリアの見所は、バガンの平原に連なる仏教寺院群に尽きる。1日で全貌をつかむのは不可能なので、2日ほどかけてマラニックや走り旅、馬車チャーターなどでじっくり見て回る。    ----終わり-----


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