平成15年6月19日開設 P-4
fc2web

香峰さん所属南仙台走友会のホームページ

出口香峰の部屋 P-5

バックナンバー
平成17・18年 P-3(fc2web)
平成16年 P-2(fc2web)
平成15年 P-1(fc2web)



 P-4 プログラム
2011年しまなみ海道100キロウルトラ遠足
リベンジ「日本山岳耐久レース」
3年ぶりに復活!「秋田100キロチャレンジマラソン」
2007年「MYさくら道」
「走り初め 塩竃神社初詣ラン」




平成22年1月25日

2011年しまなみ海道100キロウルトラ遠足


 未曾有の大震災から約3ヶ月。思うように走れない日が続いたが、3年ぶりの復活が嬉しくて参加を決意した。「関門なしで制限16時間だから、練習不足でも何とかなる」と思ったら大間違い。最高気温が29℃上がり、暑さの苦手な私には過酷なレースになった。

 6月4日まだ夜が明けずほの暗い中、スタート地点の福山城で県内外の仲間の姿を探し言葉を交わす。ほどなく夜が明けた午前5時、太鼓の音に見送られスター。晴れの予報だったが、薄曇で走りやすそう。不屈の根性の持ち主☆峰さと、走りながらの会話が弾む。前半最大の楽しみが、約35キロ因島エイドの生絞りオレンジジュース。甘くて冷たくて最高!!ボランティアの人たちが、無心にオレンジを絞り続けてくれる。「おかわりどうぞ〜どうぞ〜」の声で、思わず3杯飲んでしまった。3年前はほら貝を吹いてるおばさんがいたのに、残念・・・今年はいなかった。

 
 

 次の楽しみは冷たいぶっかけうどん。ボリュームがあり昼食代わりに、大助かり。昼前までは暑さを感じず美味しい物にありつけたし、海と島の自然と橋が織り成す大パノラマをカメラで写しながらルンルン気分だった。しかし楽しかったのもここまでだった。徐々に気温が上昇すると、まだ暑さに順応できていない体が悲鳴を上げた。暑さで頭がボ〜っとして、走る気力が奪われ歩きが多くなる。エイドでの冷たいタオルと、足のマッサージがありがたい。3年前に全部歩いてしまい後悔した「来島海峡大橋」約4キロは、気力を振り絞って走り通した。

この長い橋を走り終わるとゴールがぐっと近づく。心なしか足取りが軽くなる。やっと今治城が見えてきた。ゴールまで後2キロ。思わず笑みがこぼれた時、目の前に今治城の石の階段が・・・。「えっ〜ここで階段、すっかり忘れていたぁ」疲労困憊の状況下での階段はキツイ。気を緩めると後ろに落っこちそうなので、しっかり手すりにつかまった。ラスト2キロで試練を与えるコースを設定するのは、「〇宝さんの性格が悪い?それとも嫌がらせ?」と心の中で悪態をつきながら、重い足を必死に引き上げた。最後苦しんだおかげでゴールテープを切る時は、達成感で満たされていた。ゴール後に師匠の虎〇さんと一緒に飲んだビールは格別で、至福の一時だった。

 「被災地 宮城県」から参加したというだけで、コース上でエイドで大歓迎された。被害の少なかった私は気恥ずかしかったが、私に向けられたのではなく宮城県だけでもなく、被災地全部の人に向けられたのだと受け止め、皆さんの温かい思いや言葉を糧に走ることで復興の一役を担えたらと思っている。

 暑さに苦しんたが「しまなみ海道100キロウルトラ遠足」は素晴らしい大会だった。主催者の〇宝さん、三〇夫妻、スタッフの皆さん、ボランティアの皆さんに心から感謝します。ありがとうございました。

  ★ 橋渡り海風うけて見下ろせば浮かぶしじまの新緑光る    香峰

 

<エイドベスト5>
1生絞りオレンジジュース 2冷たいぶっかけうどん 3トマト
4レモン汁 5ソーメン 次点スイカ


このページのTOPに戻る


平成22年1月25日

リベンジ「日本山岳耐久レース」


 2008年初参戦した「日本山岳耐久レース」。第1関門(22.66`)と第2関門(42.09`)の途中で転倒し、こめかみを強打。無念のドクターストップになってしまった。危険な転びかたをするのは実力がないから、「きっと私は、トレールランに向いていないだ」と思い、最初で最後の参加にするつもりでいた。しかし、頭の痛みが薄れると共に、「もう1度チャレンジしたい。このままでは終われない」という気持ちがわいてきた。
 そして2009年「第17回 日本山岳耐久レース」の大会当日(10月11・12日)がやってきた。今年はしっかり練習して臨もうと決めていたのに、怠け癖が顔を出してしまい、練習不足は否めない。でも昨年の失敗を踏まえて、やるしかない。10月11日(土)13時、期待と不安の中、大先輩ランナーのIちゃんとT屋さん(共に東京都)に見送られ、自然というフィールドへとスタートした。ほぼ最後尾からスタートしたので、前半は大渋滞。「24時間もある先は長い。焦るな焦るな」と言い聞かせ、はやる気持ちを抑えながら奥多摩の山の中へと入って行った。雲1つ無い青空でスタート時は汗ばむほどだったが、山の中は太陽の光がさえぎられヒンヤリする。気持ちよく走っていたのに、石や木の根に足をとられ何度も転んでしまう。今からこの調子では先が思いやられる・・・。

 第1関門(22.66`)の浅間峠に18時42到着。しっかり給水と給食をとる。あたりは真夜中のように真っ暗で、冷え込んできた。ここでリタイアすると、温かい飲み物がもらえる。それを横目に見ながら気合を入れ直し、山道をゆっくり上り始めた。「去年この先で転んだんだ」と嫌な記憶が頭をかすめたが、必死に追い払い意識を集中させた。それもつかの間、眠気が弱点の私についに睡魔が襲ってきた。こんな危険な細い1本道で眠くなるなって、集中力が足りないからだろう。情けない。辛いガムを噛んで必死に耐えた。非難小屋(35.59`)で寝ようとドアに手を掛けたが、爆睡しそうでやめた。

 唯一の給水所第2関門(42.09`)の月夜見山に、12日(日)1時2分着。辛いガムは効果なし、もう眠気は限界。何をさておきブルーシートに横になろうとしたら、砂だらけで水浸し。やむを得ず先に給水をしてもらい、コンクリートの地べたに座りペコペコのお腹を満たす。体が冷えてきたせいか眠気が収まった。昨年はここでドクターストップになり、無念のリタイア。そのおかげで、ふっかふかの毛布に包まることができた。甘い誘惑を振り払い、未知のコースに足を踏み入れた。疲れがたまってきたこともあり、これからが地獄だった。上りは当然歩きだが、足が上がらない。下りもゆっくり下りないと、腿が悲鳴を上げる。再び眠気も襲ってきた。もう最悪!!「何でこんな大会に参加したんだろう。もう2度と出るもんか」と心の中で悪態をつきながら、ゴツゴツ岩の上り下りを必死に進んだ。給食の時に何度か座りながら、居眠りをした。疲れも眠気もピークに達し、ただ惰性で足を前に運んでいた。

 すっかり夜が明けた7時12分、最後の関門の第3関門(58`)御岳山に到着。あまりにも眠くて、ベンチに座ってしばらく熟睡してしまった。(ボランティアの女の子が、具合が悪いのかと心配してくれた)しばし眠ったおかげで、スッキリした。しかし、相変わらず足は重く思うままにならない。疲労困憊の状態の時、日の出山(60.55`)への長くて急な階段が待っていた。階段の1段1段がこんなにキツイとは・・・。もう限界、足が上がらない。辛くて心底やめたくなった。その時、「諦めなければ絶対にゴールできる」と送り出してくれたIちゃんとT屋さんの笑顔と、仲間からの励ましのメールが頭に浮かんだ。「去年の悔しさを忘れるな」と気持ちを奮い立たせ、気力だけでゴールに向かった。日の出山の階段の後は平坦と下りだけ。それなのに思うように足が前に出ない。実力不足と練習不足を痛感した。残り1キロのアスファルト道路になった途端、走り慣れた感触の安心感か、ラストスパートでゴールに飛び込み、21時間17分35秒でフィニッシュテープを切った。満面の笑みで迎えてくれたIちゃんは自分ことのように喜び、感激の涙を流してくれた。

 20時間を超えたゴールタイムは、決して褒められたものではないが、危険と隣り合わせの過酷なコースを走り歩き通し、昨年のリベンジを果たせて大満足だった。昨年から2年越しでアドバイスしてくれた、グリーンアドベンチャー(10回完走)のIちゃんとGさん。2年連続ゴールで見送ってくれた、T屋さん。2年連続ゴール後に美味しい手打ちうどんを振舞ってくれた、K宝さん。南蔵王トレランコースを一緒に駆け抜けてくれたY田さん(コース設定者)、M井さん、O川さん。携帯メールでエールを送ってくれたK野さん、H郷さん。詳細なアドバイスをしてくれたK合さん。大きなケガもなく(タイツ破けましたが)無事に完踏できたのは、多くの仲間たちが背中を押してくれたおかげです。ありがとう!!心から感謝します。

 制限時間(24時間)に余裕があるので、私のような未熟者でもゴールできたが、今までに参加した大会の中でダントツにキツイコースでエントリーしたことを後悔し、「もう2度と出ない」と決めたのに、「今度はストックを使おうかな」「パンよりおにぎりの方が食べやすいかな」「プリンを持って行こうかな」etcと考え始めたことに、自分自身が1番驚いている。もっと真摯に走りこみ、練習しなければ・・・・と今は心に誓っている。

  ★ 感動のゴールへ飛び込み走友の光る涙にただただ感謝  香峰


このページのTOPに戻る


平成21年1月16日

3年ぶりに復活!「秋田100キロチャレンジマラソン」


「わか杉国体」の準備と開催、資金難、実行委員事務局の高齢化etcの理由で、2年間休止していた「秋田100キロチャレンジマラソン」が、ランナーの熱いラブコールにこたえて3年ぶりに開催された。休止していた2年間は「本当に再開するのだろうか?」「もう無くなってしまうのではないだろうか?」疑心暗鬼であった。『2008年9月28日 第18回北緯40° 秋田内陸リゾートカップ100キロチャレンジマラソン開催決定』の案内が届いた時は、飛び上がるほど嬉しかった。

 私のウルトラマラソンの原点である「秋田100キロ」。また走れる喜びを胸に、高らかに鳴り響く号砲で約1,300人のランナーと共に、まだ夜が明けない角館の街へ飛び出した。

 3年前は7回目の参加で走り慣れたコース、見慣れた景色に感慨もなくただゴールの鷹巣を目指して走っていた。でも今年は違う。初参加の時よりも新鮮で、胸が高鳴った。エイドも途切れない沿道の声援も、3年前と少しも変わっていない。笑顔で迎えてくれるエイドステーションでは、地元の食材をふんだんに使った食べ物が並ぶ。「あった〜あったぁ〜ホクホクのかぼちゃの煮物、ミズの実もぶどう漬けもマルメロもあるよ」3年前とおんなじだ!!『名物シソジュース』を始めとする私設エイド、ハイタッチしてくれる野球少年たち、雨の中傘をさして手を振ってくれるお年寄り、何にも変わっていない。「変わらないって凄い!」と感動してしまった。

 あまりにも嬉しくて楽しくて、ドシャ降りの雨も気にならず、気がついたら世界一の大太鼓が聞こえてきた。いつもは途中で気力が途切れ、何度も止めたくなる。それなのに今年は、もう少しこのコースを走りたい、もう少しこのコース上にいたい、「え〜もうゴールなの・・・」という思いだった。Qちゃんではないけれど、「とっても楽しい100キロでした」という言葉が自然に出てきた。

  
  

 ウルトラマラソンを始めて10年。私のウルトラマラソン人生は、「秋田100キロ」と共にあった。10年が経ち体力・走力・気力の衰えを感じることもある。ウルトラだけではなく、他のランニングに浮気することもある。でも「秋田100キロ」だけは外せない。これからも走り続けている限り、故郷の秋田路を走りに帰って来たいと思う。大好きな仲間たちと一緒に・・・・☆

  ★ 温かく迎えてくれた秋田路にお帰りなさいの声こだまする  香峰

<エイド ベスト5>

1シソジュース 2かぼちゃ煮 3みずの実 4なめこ汁 5ぶどう漬け

  ☆やはり地元の食材を使った物、手作りの物に勝る物はないですね☆


このページのTOPに戻る


平成20年2月29日

2007MYさくら道


 守仙人の「自分の足で行く旅行だから楽しいよ。今回が最後かもしれいなから行こう」という甘い誘いに騙されて、2003年4月に参加した「第10回さくら道270キロ」。これまで参加した大会の中で一番心に残り、一番多くの宝物をプレゼントしてもらった。「また参加したい、もう一度走りたい・・・・」でもこの思いはもうかなわない。残念ながら「さくら道」は守仙人の予想通り、第10回で終了してしまった。私にとっては、最初で最後の「さくら道」になってしまった。
 「もう走れない」となると不思議なもので、より一層「もう一度・・・・」という思いが募る。「二度と走れないだろうと」諦めていた時、朗報が飛び込んできた。「さくら道」で知り合った仲間たちが、自分たち(5人)で勝手に楽しむ「MYさくら道」をやろうと計画してくれた。その後、発起人の超多忙、故障で走れないetcの事情で、「夢」の実現までに1年を要した。

 そしてついに2007年5月1日、前田さん(発起人・神奈川県)温泉川さん(「さくら道」5回完走・東京都)丹野さん(宮城UMC)タッキーさん(山男・神奈川県・途中合流)私5人の、「MYさくら道」郡上八幡→ルネス金沢約170キロが、幕を開けた。ゆのさんから「MYさくら道」のことを聞き駆けつけてくれた、三浦夫妻(「観覧舎」発行者・愛知県)と門さん(兵庫県)に見送られ、降りしきる雨の中を4人でスタートした。

 

 体力的に自信がないと言う丹野さんは、前半自転車に乗り後半走るという作戦を練り、3万円の折りたたみ自転車を購入。わざわざ仙台から持参した。ところがスタートして間もなく、タイヤが修理剤も効かないほどのパンク。他人事ながら「3万円もしたのに、そりゃないよ〜」と、叫びたい心境。送り返したいけどコンビ二も店もない、「どうしよ〜」と途方にくれていたら、向かいにある小さな修理工場に宅急便の看板発見。丹野さんは、これでもう走るしかないと腹を決め、改めてスタート。

 夕方まだ暗くならないうちに、佐藤良二顕彰碑に到着。本番の時は真夜中に着き真っ暗で見えなかったので、しみじみと眺め手を合わせた。ここでタッキーさんと合流予定だが、何度も携帯にTELするのに連絡がとれない。もう会えないかも・・・と諦めていたら、近くのコンビニで雨宿りしながら待っていた。会うなりタッキーさんが「出掛ける時に携帯は自宅に置いて、持ち歩かない主義なんだ」だって。だったら携帯に出るわけないよね。『文明の利器を排除』山男のタッキーさんらしい格言です。何はともあれ、これでやっと5人集合!

 

   雨が強く降りしきる真夜中、ひるがの分水嶺に到着。4年前は虎峰さん(愛知県)と明け方に着き、太平洋/日本海と記した石碑の前で写真を撮った。私設エイドで出してくれた、熱々のたこ焼きを頬張ったことが思い出される。真っ暗で冷たい雨が降る中、改めてエイドのありがたさを思い知った。じっとしていると寒くて震えてしまうので、仮眠はできず休憩も短時間でスピーディーに。とにかく、ひたすら走り続ける。

 雨が小降りになった頃、三分咲きの荘川桜が目に飛び込んできた。真夜中に見る2本の老桜は神秘的で、漆黒の闇に浮かび上がり風格を漂わせていた。またこの桜の下に立てるとは思わなかったので、感激もひとしおだ。雲間から星が瞬き、雨が上がってきた。

 空が白み始めた頃、人けがない白川郷に到着。4年前の観光客で賑わっていた様子が目に浮かぶ。わずかながら青空がのぞき、天気回復の予感。冷たい水で顔を洗い、前日にコンビニで買ったおにぎりで朝食を済ませ、青空の下を走れることを期待してスタート!いくらも行かないうちに、また無情にも雨が降りだした。「心がけが悪かったのは、誰だ〜?私?」皆で日々の行いを反省しなければ・・・・。

 

前田さんは傘をさして、ゆのさんはポンチョ、丹野さんは半透明の長〜い

雨カッパ、裾が風でビラビラなびいている。(ゆのさんは「ウエディングドレス」と言ったが、私には「黄金バット(ちょっと古い?)」にしか見えなけど)私は「秋田100キロ」でもらったワイドゴミ袋。膝下まであるからなかなかGood!皆それぞれ工夫しているが、これだけ降り続くと濡れることは免れない。「雨もまた良し」として諦めよう。

 疲れがたまってきたので、道の駅「上平」で時間をかけて休憩。温かいものを食べて、疲れを癒し冷えた体を温めた。元気を回復してまた5人でスタート・・・と思ったが、疲れの抜けない丹野さんがリタイア。一足先にバスでルネス金沢に向かうことにする。顔色も悪く口数も少なくなっていたので、勇気ある決断だと思う。丹野さんが乗ったバスを見送り、4人で下梨・五箇山へ向かう。

 県境なのでトンネルのオンパレード。雨に濡れずに済むし暖かいが、ふ〜っと睡魔に襲われる。狭い歩道から転げ落ちないように、眠い目をこすりしっかり目を見開いていたのに、排水溝の蓋のほんの僅かな鉄のつめにつまずき、道路側に大転倒。車の往来がなかったのが幸い。ゆのさんが「トラックが来ていたら、葬儀委員長やることになったかも」だって縁起でもない。でも本当に冷や汗もの。「前田さんが友人代表で『私が「MYさくら道」の計画をたてなかったら、こんなことにはならなかったのに』と言ったかな?」なって、ゆのさんにつられて、私も妄想を膨らませてしまった。

 最長3キロのトンネルを抜けたら、ようやく雨が上がっていた。いよいよ今回のメインイベント「さくら道」でお世話になった、波多パパ&ママ(2人は「さくら道」が大好きで、ランナーを誠心誠意サポート。ランナーはママのことを『天女』と呼んでいる)との再会。ようやくパパ&ママが待つ富山県へ。2人に早く会いたくて気は急くが、足取りも気持ちも重い。城端の情緒溢れる町並みが(『遠野』と似ている)、気持ちを和ませ疲れを癒してくれた。ここで膝痛の出たタッキーさんは、電車に乗り一足先に向かった。1人ずつ減って行き、心細くなってくる。気持ちが少しメゲそうな時、突然車から懐かしい人が・・・・。2軍さん(静岡県)だ。おにぎり・お菓子etc食べきれない、持ちきれないほどの差し入れ。思いやりのある2軍さんらしい。おかげで元気回復!

 ランナーが『さくら道のお母さん』と呼んでいる、「坂上松華堂」のお母さんの顔を見てから、ようやくパパ&ママのお店(薬局・化粧品店)に到着。タッキーさんと2軍さんは、先に着いていた。雨と汗にまみれたむさ苦しい私たちを、2人は変わらぬ笑顔で迎えてくれた。お店のカウンターで、ママお手製のおかゆと豚汁をご馳走になる。熱々のおかゆと豚汁以上に、2人の心の温かさとぬくもりが、じ〜んと全身に染み渡った。楽しみにしていた再会も束の間。話は尽きずいつまでも2人の優しい笑顔を眺めていたいけど、お店の売り上げが大幅ダウンしては大変。後ろ髪を引かれながらも、パパ&ママ・2軍さん・タッキーさん(電車で金沢へ)に別れを告げ、3人ですっかり暮れた福光の街へ。

 

 2日目の夜に突入!睡魔に襲われることはなくなったが、疲れはピークに達していた。重い足を引きずるように走っていると、また2軍さんが差し入れ。ビールとおはぎの組み合わせ?一見合わないようだけど、「ビールは痛み止めになるんだ」と言って、ゆのさん大喜び。(「ギャア〜!痛い」ゆのさんの足の裏に大きなマメが)おはぎを肴にビールを飲み満面の笑み。(2軍さんごめんなさい。私は甘い物パスなんです)給油バッチリ!ガソリン満タンのゆのさんに引っ張られ、真夜中の県境をひた走る。突然車が止まり、女の人が走り寄って来た。「ゲ〜怪しい人?」と思ってよく見たら、仕事を終えたママが、最後の見送りに来てくれた。疲れているのに、わざわざありがとう!やっぱりママは、正真正銘『天女』です。

 4年前に比べ県境の道路は整備され、夜中でも車の往来が激しく、すっかり様変わりしていた。1人だったら絶対に迷っていた。気分転換か?いつも寡黙な前田さんが、鼻歌を歌いながら走っている。ゆのさんと「何を歌ってるのかな?大好きなユーミンかな?」と話しながら、前田さんの後ろ姿を微笑ましく眺める。(後で聞いたら眠気覚ましだって。皆を先導するのに気を使ってたんですね)1番体力・走力が劣る私が遅れ気味になるが、心優しい2人は着かず離れずの距離を保ってくれる。ありがたい!

 やっと金沢市内に入り、真夜中の兼六園へ。4年前にドシャ降り強風で嵐のような中を、必死に前田さんについて行ったことが鮮やかに蘇えってきた。今は雨が止み風もなく穏やかだが、残念ながら佐藤良二さんの荘川桜が、真っ暗でよく見えない。ここまで来たら後一息。少し迷いウロウロしたが、真夜中1時ついに懐かしの「ルネス金沢」に3人でゴ〜ル!ルネス入口で、途中のコンビニでゆのさんが買ったビールでカンパ〜イ!34時間で「MYさくら道」無事終了。走行距離約170キロの短縮コースだったが、本番と同じくらい感激!感動!この歓喜をまた来年も・・・イヤ来年が無理なら、いつかまた味わえますように・・・・。

 ★ 四年もの月日流れて走友(とも)集い夢馳せつなぐ桜のロード 香峰


このページのTOPに戻る


平成19年2月6日

「走り初め 塩竃神社初詣ラン」


 今年も恒例(9年連続)の走り初めを、極楽湯(名取店)⇔塩竃神社コース(約50キロ)で行った。真冬とは思えない暖かさ、走り初めを祝ってくれるように晴れ渡る青空の下、11名が8時にスタートした。転勤で松戸市に引越ししたにもかかわらず、毎年参加してくれていた黒澤洋一さんが仕事で不参加。「ワハハハハ〜」と響き渡る、豪快な笑い声を聞けないのがちょっと寂しい。

 

夏にウルトラの「完走祈願ラン」も行っているので、走り慣れたコースだ。今年は天候にも恵まれたので、(9年の中で1番のコンディションかも)皆快調な足取で軽快に走っている。途中で早朝に1人で塩竃神社まで走り戻って来た、吉田泰延さんとバッタリ。コツコツと努力する彼らしい。今年はより一層の飛躍が期待できそうだ。程なく自宅から走って来た高橋明さんと、スピードランナーの吉澤竜一郎さんが合流した。

 走りやすいおかげで休憩も少なくて済み、昼前に塩竃神社に到着。天気が良いせいか例年になく、混雑していた。賽銭額に見合わない程、各自が時間をかけてしっかりと祈願した。勿論『南仙台走友会』の、発展と飛躍を忘れずに・・・・。

神社の帰路に、毎年楽しみにしている手作りの甘酒がある。途中で飲まず(森永かな?市販で薄い)我慢していたのに、今年はやってな〜い。がっかり!(私は嫌いですが)気を取り直し昼食を食べに、これまた恒例になったファミレスへ向かおうとおしたら、スタート時間に遅れ1人で走って来た、阿部雅機さんと会った。

 

 昼食後に事務局長の今野春夫さんも合流し、大人数での復路となった。いつも往路は順調でも、復路で調子が悪くなったり故障が出たりする人が出るのに、今回は疲れも見せずに、皆タンタンと走っている。結局1人の脱落者(JR利用など)もなく全員無事に、極楽湯(名取店)に戻ることができた。(数名は自宅直帰)倒れこむこともなく平然としている様子を見て、コンディションに恵まれたこともあるが、仲間たちに走力が付いたことを実感した。「私も頑張らなくては」と気持ちを新たに、引き締めた。『南仙台走友会』にとって良い年にりそうな予感がする、輝かしい走り初めとなった。

  ★ 年明けに仲間と走れる幸せを澄んだ青空祝ってくれる 香峰


このページのTOPに戻る


「雲峰のマラソンの歌」トップページに戻る 峰倶楽部に戻る メンバー紹介に戻る 更新履歴
inserted by FC2 system